強い日差しが続く。ある日、夜。百合と航の電話。

「少し、涼みに行かないか?」
「え?どこ行くんですか?」
「少し歩くから、歩きやすい靴で来い。」

 航の言うがまま、迎えた週末。駅で待ち合わせ。

「行こう。」
「はい。」

 いつものやさしい航。やさしい目。百合は自然と笑顔になる。航の広げた手を百合は握った。

 電車に乗り、百合の会社の駅を通り抜ける。そこから十数分後、ふたりは下車した。地下鉄の駅。駅から出ると、何層にもなるエスカレーター。百合は関心する。それを上り、目的地に着く。

「水族館…?こんな所に…?」
「入ろう。」
「は、はい!」

 水族館に行くのは初めての百合。航の手をぎゅっと握り、どきどきしながら足を進める。

「わぁ…。」

 薄暗い館内。水槽が沢山並び、光を放っていた。ゆっくり進み、ひとつひとつ水槽を見ていく。様々な色、形、泳ぎ方の魚たち。百合には全てが新鮮だった。

「この魚かわいい…あ、こっちも…。」

 夢中になる百合は、いつの間にか百合が航の手を引っ張っていた。百合の表情はとても活き活きとし、航は嬉しく感じていた。

 そして目の前に、壁一面の大きな水槽にたどり着く。

「すごい…きれい…。」

 百合は圧倒される。

「きれいだな。」

 百合はそっと水槽に手を当てる。水槽を見上げる。

「海の中…。気持ちよさそう…。」
「きれいに泳ぐよな。オレ達も…泳げない訳じゃねーけど、立って歩くことができる。走ることも。笑うこともできる。」

 水槽の中の魚に夢中だった百合は航を見る。航もきれいに泳ぐ魚を見ていた。

「笑える動物って、ヒトだけらしいな。だからオレ達は沢山笑わないとな。」

 航は言った後、百合を見る。やさしい笑顔で。百合はその笑顔に見惚れる。

「ここに来て、見るのはオレじゃねぇだろ。行くぞ。」
「はい…。」

 百合は小さく笑いながら進んだ。

 その先も、様々な水槽があり、様々な魚を見た。航と百合、一緒に笑い合い見ていた。水族館を出ると、百合は笑顔で言った。

「航さん!水族館て楽しいですね!」

 百合の笑顔は輝いていた。

「来てよかったか?」
「はい!」
「また来よう。」
「はい!ありがとうございます、航さん!」

 『また』と誘ってくれた嬉しさを、感じることを忘れるくらい、百合は本当に楽しかった。そこへ航は言う。

「もう一ヵ所、行きたいとこがあるんだ。もしかしたら、そっちのほうがあんたは嬉しいかもな。」
「え?どうしてですか?」
「少し歩くぞ。行こう。」
「はい…。」

 不思議に思うも、百合は航の手についていく。

 騒がしかった大通りを抜け、静かな住宅街に入る。狭い道、小さな建物。ふたり歩いている途中、百合の足が止まる。ガラス張りの小さな店を見ていた。見ていたのはグラス、小さなグラスだった。航は言う。

「江戸切子だな。」
「えどきりこ?」
「ガラス工芸、この辺の伝統工芸だ。せっかくだから中に入ってみるか?」

 店内に入るふたり。百合は関心する。グラスが眩しいくらい光って見えた。

「きれい…。」

 色の付いたグラスに、柄になるよう切り込みを入れ、まるで絵のように仕上がるグラス。ひとつひとつ柄が違い、どれもペアグラスだった。

「こんなきれいなものがあるなんて…。」
「どれか気に入ったのあるか?」
「んー…。」

 一般的なのは、青と赤のペアグラス。しかし百合の目に止まったのは、薄い紫と薄いピンクのグラスだった。一口ビールのグラス。それを見つけた百合はそのグラスから目を離せなかった。

「わ、私、これにします。」
「変わった色だな。ほんとにそれでいいのか?」
「はい。」

 すると航は何かを考え始める。

「ビール…江戸切子…。手ぶらで行くのも何だしな。」

 航は別の、百合が選んだグラスより大きな、青と赤のペアグラスを選んだ。ふたりそれぞれグラスの入った紙袋を持ち、店を出る。

「よし、行こう。」
「はい。」
「あんた、何でその色のグラス選んだんだ?」
「紫です。」
「紫?」
「はい。航さん、紫色のネクタイしてました。友江先輩の結婚式の日。そのネクタイは濃い紫色でしたけど。」
「…あんたよく覚えてんな。自分でも忘れてたのに…。」
「あの時、ずっと探したんです。その紫色のネクタイを…。」

 そう控え目に言う百合を、航は愛らしく思った。

「で、見つかったのか?そのネクタイ。」
「…はい…。諦めて自分の席に戻ったら、隣のテーブルに…。」
「よかったな。」
「はい…よかったです…。」

 つないでいた手を強く握る航。百合も強く握った。嬉しいふたり。笑顔のふたり。

「ほんとに…よかった…。」