初めて手をつないで帰るいつもの帰り道。百合はいつもと違った風景に見えた。暗い景色も鮮明に見える。百合の世界が輝き始めた夜。
「緊張でもしてんのか?」
「え?」
「震えてる。」
やはり百合の緊張は航に伝わっていた。
「手…つなぐなんて初めて…。」
緊張のせいで、いつも以上に上手く話せない、説明できない。
「でも、嬉しいです…。」
言いたい、伝えたいことは言えた百合。花束で少し顔を隠す。そんな百合を見て航は思った、百合らしいと。
次第に、百合の震えが消えてくる。航の手、手のぬくもりが百合に安心感を与えた。表情も和らいでくる。しかし気付けばアパートはすぐ近くにあった。百合は寂しくなる。
「今日はありがとな。」
「いえ…。」
百合は下を向き、しょんぼりしていた。
「そんな顔すんなよ。いつでも会える。」
「いつでも…いつでも…?」
航は百合を呼ぶ。
「こっちを見ろ。」
百合は顔を上げる。
「あんたはオレを選んでくれたんだ。そうだろ?」
「はい…。」
「それを忘れんな。」
百合は百合の中の航が溢れ、こぼれる。
「航さん…?」
「どうした?」
「…好きです…。」
航は驚く。百合からのストレートな言葉。大きな言葉。そんな言葉が直接聞くことがあるとは思ってもいなかった。今にもガラス玉が溶けそうな百合の目。航はやさしい声で、ゆっくり答えた。
「わかってるよ。」
その言葉を聞き、やはりおとぎ話の中なのではないかと、ぽーっとしている百合。航はやさしく百合のおでこにデコピンをする。
「いたっ…!」
「いつでもいい、連絡しろ。どんなことでもいい。わかったな?」
「はい…、ありがとうございます…。」
百合が言い終わると、航は百合のおでこにキスをした。
「じゃあな。早く寝るんだぞ。」
「はい…。」
百合はまだ少しぽーっとしていた。航の後ろ姿が小さくなる。手元の花束を見る。
「航さん…。」
百合はゆっくり階段を上り、部屋に入る。テーブルの上にふんわりと花束を置いた。花瓶を探し、水を入れる。百合は花束を少し眺めた。
「きれい…いい香り…。」
百合に複雑な思いが蘇る。そしてその思いをかき消す。花束のリボンをほどき、きつく締められたワイヤーを緩めた。その時、花と花の間から何かがぽろっと落ちてきた。それは航に渡していたメッセージカードの1枚。しかも『会いたい』と一言書いたものだった。
「1枚、返ってきちゃった…。」
少しショックを受けた百合。ふとカードを裏返すと、百合は動きが止まる。
好きだ
ワタル
百合のメッセージの裏に、航からのメッセージが書かれてあった。百合は一言呟く。
「夢じゃない…。」
息苦しくなると同時に、涙が浮かんでくる。
「航さん…。」
百合はカードをきつく握り、泣き崩れた。航のやさしさ、その嬉しさ、航への想い、航と出会った日から今まで、生まれてから今日まで。沢山のものが百合の頭の中で回った。目眩がするほど。そして体が渇くほど泣いた。
そんなおとぎ話のような夜だった。
そして翌日。休日。百合は目覚める。もう太陽は高い。前日、涙の百合はうまく眠ることができなかった。泣き疲れ、床で寝てしまっていた。百合はゆっくり起き上がる。
テーブルの上、大きな百合の花。そして航からのカード。まだぼんやりしている百合はスマホを見る。航からのラインが入っていた。
おはよ
ちゃんと眠れたか?
寝ぼけている百合は、躊躇することなく航に電話をする。
「もしもし?大丈夫か?」
航のやさしさは変わらなかった。
「航さん…おはようござい…ます…。」
「なんだ?今起きたのか?」
「昨日…眠れなくて…。」
「まだ眠そうだな。」
「んー…。」
「無理すんなよ。眠いなら寝ろ。」
「でも…。」
「もし外に出られそうになったら教えろ。飯でも食いに行こう。」
「え…?」
「じゃあな、ゆっくり休めよ。」
電話が切れた。
「航さ…ん…。会いたい…。」
百合は再び眠りにつく。
数時間後、百合は目覚める。少しすっきりした百合。テーブルの上には百合の花。
「あ…また寝ちゃったんだ…。…また?あれ…?航さんと話したような気が…。」
百合はスマホを見て確認する。
「やっぱり電話してる…。んー…。」
百合は航の言葉を思い出す。
「あ!」
百合は急いで出かける準備をする。その後、航にラインする。
準備できました
いつでも出られます
ラインの後、航は百合を迎えに来た。恥ずかしがっている百合に、航は手を広げる。その手に、百合はゆっくり重ねる。航はその百合の手を強く握った。
「目が真っ赤だな。どれだけ泣いたんだよ。」
航は笑う。
「笑わないでください!…嬉しかったんです…。」
「どこに行きたい。」
「え?」
「あんたの行きたいとこへ行こう。」
「あ…。」
「考えてなかったか?」
「…そんなにすぐには、考えられません…。」
百合の手は航の手の中。百合はぼーっとしながらも思い付く。
「あの…。」
「思いついたか?」
「私、航さんの知ってる所に行きたいです。」
「オレの?」
「はい。航さんの知ってる所で、航さんのこと知りたいです。」
「…オレの知ってるとこなんてこの辺の飲み屋くらいしかねぇぞ??」
百合の目は変わらない。
「しょうがねぇなぁ…。ただの居酒屋だぞ?」
「はい!」
ふたりは歩く。手をつなぎながら。百合の手は少しずつ素直になっていった。
突然、航の足が止まる。
「やっぱりこっちにしよう。」
歩いていた方向とは別の方向へ航は向いた。航の手の通り、付いて行く百合。
「…焼き鳥屋さん?」
「うまいんだ。一度食ってみろ。」
ふたりは店に入る。小さな古い店。年齢層が高い、男性率も高かった。
「今日は…あんたはアルコールは止めといたほうがいいかもしれないけど…ビールに合うんだ。許せ。」
航はビールと焼き鳥を注文した。運ばれてきた焼き鳥は、どこにでもありそうな焼き鳥だった。
「いただきます。」
百合は一口食べてみる。百合は驚いた。感動するほどのおいしさだった。
「…おいしい…。」
「だろ?」
航も食べ始める。
「こんなにおいしい焼き鳥、初めて食べた…。」
「秘伝のタレなんだってよ。昔はよく自慢してたな。あんたは好きなだけ食え。元気出るぞ。」
百合は食べながら考えていた。そして思い立つ。立ち上がる。
「おい、どうしたんだよ?」
航の言葉など聞こえず、百合は店主に向かった。カウンター越し。そして大きな声で言った。
「あの!秘伝のタレ、どうやったら作れますか?!」
航も店主も客まで驚いた。一同、動きが止まる。
「バカなことゆーんじゃねーよ、ねーちゃん。教える訳ねーだろ?」
「じゃあ、何を使えばこの味に近付けますか?!」
「しつこいねぇ。教えねーよ。」
「教えてください!作りたいんです!お願いします!」
「だから教えねーって言ってるだろ?」
「お願いします!お願いします!」
店主は呆れ、ため息をする。百合の根性を認めてくれた。
「大したもんだな、若いねーちゃんがよ。こんな客、初めてだ。しょーがねーから教えてやるよ。一度しか言わねぇからよーく聞けよ。」
「はい!」
百合は笑顔で返事をした。航は百合を見たまま、まだ驚いている。百合は熱心に店主の話を聞いていた。今までとは明らかに違う百合。そこには百合の成長した姿があった。
百合が航の元へ戻ってくる。難しい顔をし、何かぶつぶつ言いながら。
「あんた、どうしたんだよ?なんであんなこと…。」
「え?あ…、本当においしいし、自分でも作ってみたいと思ったし、…航さんに…食べて欲しいって思ったし…。」
「そりゃ嬉しいけど…。」
「けど…何ですか?」
「あんた、あの店長に会うの初めてだろ?」
「はい。それがどうかしたんですか?」
「あんたは、初めて会った人に、あんなに堂々と話し掛けた。」
百合は自分自身に驚く。それまでの百合にはありえなかった言動。自然と動いた体と口。航に言われるまで気付かなかった。
「自分じゃ気付いてなかったんだろ。オレはそっちのほうが嬉しいよ。」
百合の驚きは続く。航はビールを飲み、ジョッキを静かに置く。
「それに、よく笑うようになったな。」
百合の心配していたこと。
「私、笑えてますか?ちゃんと笑えてますか?」
「笑ってるよ。だからもっと笑え。」
安心し、ホッとする百合。嬉しくなった百合は笑う。
「それは、航さんのおかげです。」
航は決まったように言いかける。
「だからオレじゃねぇ、あんたの…。」
「航さんが私を笑顔にしてくれてるんです!航さんが私の笑顔を引き出してくれたんです!…友江先輩の結婚式の時、私の腕を引っ張ってくれたみたいに…。たまには、受け入れて欲しいです…。」
百合は少し拗ねた。その百合の表情はとても愛らしく、航は嬉しくなった。
「色々持ってるじゃねーか。もっと見せろ。」
「え?」
「笑った顔、泣いた顔、でかい声、真剣な顔、拗ねた顔…。もっとあるんだろうな。全部見せろ。オレに見せてくれよ。な?」
百合はどきっとし、手が止まる。嬉しさで息がつまる。言葉を選び考える前に、つまる息の中、百合は言った。
「航さんがいてくれたら、どんな顔だって…。でも、今はまだ、もっと笑いたいです。」
控え目に笑う百合。その表情もとても愛らしく、航は少しの間、百合に見惚れる。不器用な航は言葉がすぐに見つからない。そしてやっと言葉が出た。やさしく言う。
「ありがとな。」
笑い合いながら食べる焼き鳥は、さらにおいしさが増した。おいしい時間。ビールを飲む百合は、壁のポスターに気付き見上げた。航も気付く。花火大会のポスターだった。足立の花火。東京で一番早い花火大会。
「もうすぐだな、花火大会。みんな好きだよな、こーゆーイベント事。特に女は。」
航は何気なく言った。嫌味もひがみも、何もなかった。百合も言う、嫌味もひがみも何もなく。
「私は、今までイベントなんてひとつもないです。何もしたことないです。」
その言葉が少し気になった航は百合を見る。百合は平然とした顔でポスターを見ていた。
「花火の日、すごいですよね…。」
百合は人を、何かを怖れる顔。
「会社のほうまで屋台が並んで。お祭り騒ぎ?なんでしょうね。駅もホームも電車の中も、ずーっと人が多くて…それを通り抜けてやっとアパートに着くって感じで。」
最後に百合は小さな声。
「いいなぁって…。」
言い終わった後、百合は一息入れて、おいしそうに焼き鳥を食べ始める。
「おいし…。」
そんな百合をじっと見る航。頭を抱え、考える。考えていた答えが出た。その答え合わせを百合にする。
「行くか?花火大会。」
「え?」
「見たいか?花火。」
百合はまたポスターを見上げた。航の質問の答えを考える。
「行きたくないならそれでいい。人がごった返すような場所にわざわざ行くことねぇ。でかい花火大会だから、少し離れた場所からでも充分綺麗に見える。」
百合も航に答え合わせをする。
「花火が一番よく見える場所はどこなんですか?」
「河川敷か土手だな。河川敷で打ち上げるんだよ。」
百合の答えはすぐに出る。
「そこに行きたいです。河川敷か土手に。」
航は百合の答えに疑問を抱く。
「あんた本気で言ってるのか?」
「はい。」
「じゃあ、何万人て人が集まる場所に行ったことがあるか?駅や電車とは訳が違う。人がうじゃうじゃいて真っ直ぐに歩くこともできねぇ…。」
「だからです。人が沢山いるからこそ行きたいんです。」
航は困惑する。誘ったことを後悔した。航はボソッと言う。
「言うんじゃなかったな…。悪い…。」
百合でもわかるほど、航は困惑していた。百合は再び考える。しばらく目を閉じ想像する。でも結局は、自分には想像のつかない世界なのだろうと百合は思った。航と一緒なら挑戦できると思った百合は、目を開け答える。
「行きたいです、航さんと一緒に。行って、航さんと一緒に花火を見たいです。連れて行ってください。」
百合は航に向ける目を強くする。想いが届くようにと。
「行きたいんです…。…隣に…いてもらえませんか…?」
航はまた考える。頭を抱える。頭を抱えながら言った。
「…絶対、離れるなよ…。」
百合は笑顔で返事をした。
おいしい時間が終わり、ふたりは店を出る。
「店長が言ってたこと、後でメモしなくちゃ…。」
またぶつぶつ言っている百合の後ろ姿を、航は微笑ましく見ていた。
「帰るぞ。」
航は笑顔で百合に手を広げる。百合も笑顔で応える。
「はい!」
ふたりは手をつなぐ。帰り道。
「明日は大人しく休め。疲れてるはずだ。」
「はい、そうします。」
「なんだよ、やけに素直じゃねーか。」
「昨日から一日しか経ってないのに、もう何年も経ったような気がして…。」
「大袈裟だな。」
「航さんといると時間が足りません。」
時々出る、百合のストレートな言葉。百合に自覚がないため、余計その言葉が航の胸にくる。
「今度の花火。あんたにとってのイベント、初めてか?」
「あ…そういえばそうです。」
「他にイベント事って、何があるんだ?」
「私に聞かれても…。」
「何かあるだろ。」
「んー…、夏が花火…、冬は…クリスマス…?それから…年が明けてバレンタインが来て、その後お花見…。あと…誕生日…?とか…?…んー…私にはわかりません!」
「それ全部やろう。」
「ん…え?」
「今言ったやつ、全部やるんだよ。いや、イベントってイベント、全部やってやろうぜ。」
百合の足が止まる。
「…全部…??」
「そうだ、全部だ。なんだ、嫌か?やるのか?やらねーのか?」
春夏秋冬、一緒にいてくれる。航がそう思ってくれている。それを知ることができた百合に、安心感と弾む胸。百合は笑顔で答える。百合らしい、小さな笑顔。
「全部…やってやろうぜ、です…。」
航も笑顔で返す。
「決まり。帰るぞ。」
笑顔のふたりは仲良く帰る。アパートに着く。笑顔のまま、手をつないだまま。
「じゃあな。ゆっくり休め。」
「はい。」
「焼き鳥、出来たら食わせてくれよ。」
「もちろんです。」
航は百合のおでこにキスをしようとする。
「あの!」
百合は声を出した。そして少しうつむく。
「どうした?」
航は心配になる。うつむいていた百合がゆっくり航を見上げると、航は百合を心配する、想いやる目をしていた。
「あの、そういうことをされると、逆にゆっくりできなくなる…んです…。」
「…なんでだよ。」
「…どきどきしちゃって、落ち着かなくて…。」
百合はその時でさえどきどきし、その場をどうしたらいいかわからなくなる。その時。
航の顔は百合の横。航は百合の頬にキスをした。
「じゃあ、これはどうだ?」
固まる百合。その百合の顔を航は覗く。
「おい、聞こえてるか?」
「え…?」
「オレはこっちだ、こっち見ろ。」
「え…?」
百合は航を探す。見つける、いつもの位置、いつもの距離。そしていつもの笑顔だった。
「ゆっくり休めるといいな。じゃあな。」
航は帰っていく。固まっていた百合の体が動き出す。
「あ…航さん…!」
百合は叫ぶ。航に、自分に。
「航さん!ひどい!」
航は少し振り返り、笑って手を振った。それを見送った後、百合はアパートの階段を上り、ドアの前に立つ。今度は頬に手を当てる。
「おでこの時より、熱い…。」
落ち着かない休日の始まり。
週が明ける。一回り成長し、大きくなった百合。航への想いも大きくなっていた。自分では気付いていない。
百合は、葵と舞に報告をするため誘う。終業後、居酒屋・古都。
「お疲れー!」
「かんぱーい!」
すかさず葵は聞いてきた。
「ユリ、どうしたの?ユリから私達誘うなんて。しかも古都。何かあったの?」
葵と舞はいつもと変わらない。変わったのは百合と航の関係。
「2人に報告があります…。」
百合は気合いを入れる。
「私、好きな人と、付き合うことになりました。」
葵と舞は驚き、2人は目を輝かせる。そして。
「イエーイ!」
二人はハイタッチをする。そしてハグをした。
「やったー!」
その後、葵は百合にハグをする。
「やったねー!ユリー!」
「ユリおめでとう!」
2人の迫力に圧倒される百合。
「あ、ありがとうございます…。」
「なーにー?ユリが喜ばなくてどうするのー?」
「ユリー!よかったねー!」
「はい、すごく嬉しい…です。」
こんなにも大きな祝福をされると思っていなかった百合。葵と舞に心から感謝をした。
「葵さんと舞さん、いつも私を励ましてくれました。それから私の背中を押してくれて…。本当に、ありがとうございました。」
報告を終えた百合はホッとする。葵と舞は、まだまだ目を輝かせている。
「私達は何もしてないよー!ユリの努力!」
二人の勢いは止まらない。増すばかり。葵は百合に聞く。
「ねえ!どっちから?ユリ?彼氏?」
「え?か、れし?」
「だってもう彼氏でしょ?で、どっちだったの?どっちが告白したの?」
「え?!」
「それくらいいいじゃーん!」
百合は2人に勝てない。顔を真っ赤にし、もう一度気合いを入れる。
「…これからどうするか、決めてもらいたいって言われて…。」
「それで??」
「…いっしょに…いたいって…言いました…。」
百合が落ち着く間もなく、葵と舞は叫ぶ。
「キャー!」
二人は肩を寄せ、手を握り合っていた。
「なんかいいー!『好きです』とか『付き合ってください』とかじゃなくて、なんかかっこいい!なんていうのかな…ロマンチック??」
「それー!『決めてもらいたい』…なんてかっこよすぎー!言われてみたーい!」
さらに葵は聞く。
「それで?」
「え…?」
「それから??」
舞も参戦してくる。
「その後、何かあった??」
百合は2人のテンションにも会話にも付いていけなくなる。
「あの…もういいですか…?私、限界です…。」
「じゃあ、他に言える範囲のこと、ある?」
「聞きたいなー、ユリの話…。」
2人の目はまだ輝いていた。困る百合は、大切なことを思い出した。
「あ…その日、花束をもらいました。百合の花束…。」
同じように叫ぶ2人。
「キャー!」
「やっぱりロマンチックー!」
2人の騒ぎよう。百合は聞いてみる。
「そうなんですか…?」
「そう!ロマンチック!そんなふうに言ってくれて花束まで…そんな人いないよー??」
「百合も純粋だし、きっと彼氏も純粋な人なんだねー!」
すると、ビールを飲んだ葵が思い付いたように言う。
「これからどうするか、ユリに決めてほしかった…。自分が返事を待つくらい…。」
「どうしたんですか?」
問い掛ける百合に葵は答える。
「すごい、いい人なんじゃないかなって思ったの、ユリの彼氏。自分を押し付けたりしないで、ユリのこと、ユリの性格、ユリの全部を考えられる人。だからそういう告白だったんじゃないかなって思った。」
すると舞も言う。
「確かに…ガンガン押し付けられたら、ユリ怖がっちゃいそう。いくら好きな人でも。そうじゃない?」
百合は答えに困る。思ったことを素直に言った。
「わかりません…。ずっとやさしい人なので、初めからずっと…。」
葵と舞はまた肩を寄せ合う。
「何この惚気。これから毎日聞かされるの?」
「えーそれきつい。毎日はやめてね、ユリ。」
「そんな…惚気なんかじゃ…。」
2人はいつものように優しかった。
「うーそ!言いたいこと、言いたい時にどんどん言ってね!」
「ユリの話、いつでも何でも聞く!」
百合は照れながら礼を言う。
「ありがとうございます…。」
葵は百合をじっと見る。
「ユリの彼氏…うらやましいなぁ…。」
「え?なんですか?」
舞が答える。百合の頬をつつく。
「彼氏はこんな可愛い顔がいつでも見られるんだよ?しかも独り占め!」
「え?え?」
「じゃあ、改めて乾杯しよ!ユリ!おめでとう!」
「かんぱーい!」
3人の宴が続く。
3人は飲んで話して時間が進む。3人、一息ついた時。葵が突然言った。
「私も報告しようかな。ユリの話の後で、申し訳ないんだけど…。」
「え…何ですか?どうしたんですか?」
百合は心配になる。舞はすぐに言った。
「どうしたの?急に。何かあった?」
すると葵はニコッとし、答える。
「私、別れた。彼と。」
百合も舞も驚く。突然のことだった。
「え…?」
「別れたって…、3年付き合ってた人でしょ?」
「そう。」
葵はずっと清々しい顔をしていた。舞は心配する。
「…どうしたの?何かあったの?特に悪い話、最近全然なかったでしょ?」
「うん、ない。何もない。」
「じゃあ、どうして?」
葵は百合に向かって言う。
「ユリ。初めに言っておく。ユリは何も考えないで。」
「?どういうことですか?」
葵は話す。出来事を、気持ちを。
「彼とは3年。一緒にいたけど、いつも何もはっきりしない。私が何か言ってもちゃんとした返事してくれなかったり、ケンカしても話し合いにもならない。ダラダラ付き合ってるなとは思ってた。そんな時にユリと会ってユリを見てきて。ユリっていつも一生懸命なんだよね、何に対しても。それでね、彼と一緒にいて彼を見た時、ふと思ったの。私この人に一生懸命になんて、もうなれないんじゃないかって。」
百合は言葉が出ない。その代わりを舞がする。
「そんなのまだわからないじゃない。今は少し…初心みたいなのを忘れてるだけかもよ?初心て誰だってすぐ忘れがちだし…。」
「初心ね…でももし初心を取り戻したとしても…、同じことを繰り返すだけだと思う。時間の無駄だと思ったの。そう思ったら、もう終わりかなってね。」
「葵…。早く言ってくれればよかったのに…。本当にいいの?」
「早くも何も…ほんと、ふと思ったの。」
葵は自分より百合が心配だった。葵が百合を見ると百合は震えていた、今にも泣き出しそうな目で。優しく葵は言った。
「ユリ、何も考えないでって言ったでしょ?」
「…だって、私がいなかったら…葵さん、別れることなかったかもしれない…。」
「ユリならそう言うと思ってた。でもねユリ。私はユリに色々気づかされたの。時間の無駄だってことも、ユリが教えてくれた。ユリは私のことをリセットしてくれたの。だからそんな顔しないで。笑ってユリ。ありがとう、感謝してる。」
葵は清々しい笑顔を百合に向けた。葵の優しさでさらに涙腺が緩む百合。
「葵さん…。」
「もー泣かないの!」
百合は葵に抱き締められる。葵の優しさ、葵の心。とても暖かかった。百合を抱き締めながら葵は言う。
「そうそう、聞いてよ、舞!」
「今度は何よー??」
「別れ話になった時ね、彼『別れないでくれ』ってすがり付いてきたの!こんな女々しい人だったなんてって思ったら、別れてよかったってほんと思った!」
「ねー葵ー?」
「何?」
「合コンとか、行っちゃう?」
「あーそれいい!」
「じゃあ、香に聞いてみるね!」
葵の腕の中、百合が声を出す。
「あ!」
「なに?ユリは合コン行っちゃだめだよ?」
「違います。すみません、また2人にお願いが…。」
後日。終業後、3人は会社から少し離れた大きなデパートに来ていた。
「これ可愛い!」
「こっちのほうが可愛いよー!」
3人は浴衣売り場。花火大会に、思い切って浴衣を着て行こうと思った百合。百合は浴衣選びを、葵と舞に付き合ってもらった。この時も、2人は百合本人よりテンションが高い。百合はありがたく思い、微笑ましく見ていた。そして百合も浴衣を探す。
「沢山ありすぎて、見るだけで大変…。浴衣ってどんなのがいいんだろう…。どういうのが好きなんだろう、航さん…。」
百合は初めて浴衣を着る。花火大会を、楽しいものにしたい、そうなりますようにと、百合は浴衣に願いを込める。葵と舞が近寄ってきた。
「ユリ、これ。私達2人とも意見が一致した浴衣。どう?」
やわらかい色の浴衣だった。やわらかい水色の地に、やわらかいピンクと白の百合が沢山咲いていた。
「でね?帯はこのピンクと同じ色がいいと思うの。」
「もう少し年齢が高ければ、白い帯でもいいと思ったんだけどね。」
「どうかな?」
「はい…すごくかわいい…。」
「ちょっと合わせてみたら?」
2人は店員を呼び、百合は軽い試着をした。それを見た葵と舞は驚愕する。何も言わない2人に、百合は不安になる。
「…似合いませんか、浴衣…。やっぱりやめようかな…。」
「だめ!やめちゃだめ!」
「え?」
「ユリ、すごい綺麗…。スタイルいいから似合うだろうとは思ってたけど…。」
「うん、綺麗。似合う。可愛い過ぎず、大人過ぎず。綺麗、ユリ。」
百合は鏡を見る。少し背伸びをしているように見えた。しかし2人の選んだ浴衣の色はとても綺麗だった。百合は決める。
「これにします。」
「決まり!後は小物だね!」
小物含め、浴衣一式を買った百合。少しだけ大人になったような気がしていた。3人はそのまま、そのデパートでご飯を食べることになった。最上階のレストラン街、夜景が綺麗だった。
「いいなぁ、浴衣着て彼氏と花火大会…。」
舞が呟いた後、葵が言う。
「そういえば…あんなに人いる所、ユリ大丈夫?」
「あ…そうだね。そういうこと、彼氏わかってるんだよね?」
「はい。でも、人が沢山いるからこそ連れて行ってほしいって、私がお願いしたんです。すごく心配されましたけど…。」
「心配するよね…私が彼氏の立場なら、連れて行かないかも…。」
「でも、ユリの勇気を受け入れてくれたってことじゃない?」
「勇気?」
「そう、勇気。勇気がなかったら、そんなことお願いできないでしょ?」
「そっか…彼氏は百合の勇気を無駄にしたくなかった…。」
葵はナイフとフォークを置き手を止め、百合を見つめる。そしてゆっくり言った。
「ユリの彼氏、ほんとにいい人なんだね。」
「ユリのこと、ちゃんと理解してくれてるし。」
舞も言ってきた。2人に見つめられる百合。また葵が言う。
「会えてよかったね、その人に。応援するからね。」
葵も舞も百合に微笑みかける。
「はい、ありがとうございます…。」
百合は控え目な笑顔で感謝した。
「あーそのずるい笑顔も、彼氏が独り占めするんだねー。」
「ユリはもう彼氏のものだもんねー。」
「かれし…の、もの…。」
「そ、彼氏のもの。彼氏もユリのもの。」
「そう。彼氏のこともユリが独り占めだよ?」
2人はまた会話を楽しむ。その間、百合はどきどきしていた。
「私が…独り占め…。」
買い物も食事も終わり、3人は帰路につく。百合はアパートへ帰る、大きな荷物を持って。
百合は難しい顔。パソコンとにらめっこ。浴衣に合う髪型を探していた。葵と舞のアドバイスを思い出しながら。
「髪は必ずアップ、でも夜会巻きはだめ、気合いを入れすぎるとキャバ嬢、ってどんな髪型??夜会巻きとキャバ嬢の間??んー…、お弁当より難しい…。」
花火大会まで、あと少し。
迎えた花火大会。百合は浴衣を着る。美容院にて。葵と舞のアドバイスに悩みに悩んだ結果、大きな声で言った。
「キャバ嬢みたいにならない感じでお願いします!」
着付けも髪のセットも完璧にしてもらった百合。髪は少し巻いた後、程よい高さにアップし自然な感じにまとめ、帯は強調性のないよう結んでくれた。百合は鏡に映る自分を見て、新鮮に思う。やはり少し大人になった気分になった。
「自分じゃないみたい…。」
アパートに航が来ることになっていた。美容院から帰る百合に新しい心配。
「あれ?歩きづらい…。草履?…違う、浴衣の裾が狭いんだ…。大丈夫かな…。」
百合はしっくりこない歩き方。アパートに着くと、航はもう待っていた。航が見たのは浴衣姿の百合。航は驚く。
「あ、航さん!待ちましたか?…ごめんなさい…。」
航は百合の言葉が聞こえない。百合に見惚れていた。綺麗な浴衣にまとわれた百合、その百合はとても美しく綺麗だった。航はしばらく言葉を失う。何も言わない航に、百合は不安になる。
「航さん…?」
航は我に返り、慌てて手を広げた。
「ああ…じゃあ行くぞ。」
「はい…。」
目的地、河川敷か土手。そこまでは、まず電車で移動し、会場の最寄り駅から少し歩く。そんな場所。ふたりが足を進めれば進めるほど、人が増える。賑わう。百合が航の手を握る力が強くなる。
「大丈夫か?」
航は百合を見る。心配する目ではなく、やさしい目。それが百合を安心させた。ホッとする百合。もし航が心配する目をしていたら、百合の不安は大きくなっていたかもしれない。航はそれをわかっているかのようだった。百合は小さな笑顔。
「はい。」
「行こう。」
毎日乗っている電車。通勤時とは全く雰囲気が違った。学生や子供も乗っている。浴衣を着た女性、少女も沢山いた。皆笑っていてとても賑やかだった。しかし百合はそわそわし、落ち着かなかった。
会場の最寄りの駅に着く。人の数は増えるばかりだった。うまく目を開けられない、下を向く百合。
「あと少しだ。行けるか?」
百合は航を見上げると、航はまたやさしい目。
「掴まれ。」
航は手をそっと離し、その代わりに腕を広げた。
「はい…。」
百合は航の腕を、両腕できつく握り締めた。そしてふたりは歩き始める。百合は自分の足元を見ながら、航の腕を頼りに歩いた。航が言う。
「ゆっくりでいい。歩けなくなったら言え。倒れたっていい。オレが抱える。」
百合は嬉しかった、航の言葉。帯と人混みで苦しい胸が、さらに苦しくなる。しかし礼を言う余裕はなかった。百合はゆっくり航を見上げる。
「ゆっくり行こう。な?」
航のやさしい目に、百合は吸い込まれた。
「はい…。」
そう言った後、百合が航から目を離すと、そこには別世界が広がっていた。
百合に祭りが見えた。灯り、どこまでも続く屋台の列、途切れることのない人の波、そしてその人の笑顔。全てが輝いて見えた。どこまでも輝いて。
「航さん…?」
百合は航に呼び掛ける、辺りを見ながら。航は頭を百合に近づける。
「どうした?何かあったか?」
「お店、いっぱい…。」
航はふと百合を見る。するとそこには、下を向いていたはずが、前を、周囲を見て歩く百合がいた。航は驚く。そして嬉しくなった。自然と笑顔になる。その百合の気持ちが変わらぬよう、あえて航はそれまで通りに話した。
「食いたいもんがあれば言え、寄るぞ。」
「航さん?」
「なんだ?」
「みんな…楽しそう…。」
「花火だからな。」
「航さん…?」
「なんだ?」
「みんな…私のこと…見てない…。」
その言葉には航はすぐに返事ができなかった。航は百合を見る。百合はずっと周りを見ている。とてもいい表情をしていた。また航はそれまで通りに話す。
「そうだ。今日だけじゃない、いつもだ。」
「明るい…眩しい…楽しい…。」
「祭りだな。」
ふたりの花火大会が始まる。
「着いたぞ。階段、上れるか?」
目的地に着いたふたり。土手の階段。
「はい、大丈夫です。」
百合は航の手をとり、一段ずつゆっくり階段を上る。階段を上り切る。
「うわぁ…。」
百合が初めて見る景色、世界。既に何万人もの人が花火を待っていた。皆楽しそうに、何かを食べたり飲んだり話したり、笑っていた。ふたりはしばらく歩く。
「どうだ?すごいだろ。」
「はい…。ここの人達みんなが、花火を待ってるんですね…。」
百合の表情は活き活きとし、目は輝いていた。それを微笑ましく見る航。
「この辺にしよう。」
航はショルダーバッグから小さなシートを出した。
「座れ。」
「は、はい。」
草履を脱ぎ、慣れない動きでシートに座る百合。その姿も美しかった。そして小さなシート。必然的にふたりの距離が近くなる。なんとなく恥ずかしくなる百合。さっきまで航の腕を強く掴んでいたというのに。航はそんな百合をふと見た後、遠くを向く。航は百合の手を握った。どきっとする百合。
「いい眺めだな。」
航にそう言われ、百合は眺める。初めての景色、世界を。百合の目が輝く。
「はい…。」
航は、百合が不安がるような言葉は一切口にしなかった。そのまま花火を、この時を楽しんで欲しかった。徐々に日が暮れる。空が花火の準備を始める。
そして時間が来た。
ドンッ
胸を叩く大きな音。百合にとって、今まで聞いた音という音の中で一番大きな音。思わず航の手を強く握る。しかしそれは一瞬だった。その一瞬後、夜空に大きな、光る花が咲いた。数万人の歓声が上がる。
夜空に絶え間なく舞う、色とりどりに輝く花火。幻想的だった。百合は言葉を失う。ただ花火を見ていた。花火はどんどん打ち上がる。歓声も上がる。百合の目に花火が映り始めた頃、やっと言葉が出た。かすかな声。
「きれい…。」
百合はまた、航の手を強く握る。航は花火を見たまま、百合の手を強く握り返した。ふたりはずっと、同じ花火を見ていた。
ほんの少しだけ興奮が落ち着いた百合。花火と花火の間。
「きれい…。きれいですね、航さん…。」
百合は航を見る。航は花火を見ていた。百合は航をもう一度呼ぶ。
「…航さん?」
航は百合を見る、何も言わずに。百合は初めて見る、航の艶のある目。航の『大人』を感じ、魅了される百合。そんな航に、百合も何も言えなかった。しばらくふたりは見つめ合う。百合は胸が高まる。航はそっと呟いた。
「…どっちがだよ…。」
「…え…?何ですか…?」
航の声が、花火に消えていく。しかし次の声は、はっきりと聞こえた。
「あんたのほうがきれいだ。」
航はそう言った後、ゆっくり百合に顔を近づけ、やさしくキスをした。百合から音が消える。
百合は目を閉じる。真っ暗の中、航とふたりだけになる。真っ暗の中、花火の光に照らされる、ふたりだけの世界。
航の唇が離れる。百合はそっと目を開けると、現実の世界に戻っていた。下を向く百合。航は百合の背後に腕を回し、肩を抱く。百合の頭が航の肩にこつんとする。ふたりはそのまま、花火を見ていた。同じ花火を、ふたり一緒に見ていた。
航からのキス、花火の美しさ、幻想的な風景。百合は夢幻のように感じた。