幸せの吐息を漏らした大吉は、左門の心遣いに感謝して、冷たい人だと思っていた今までの印象をガラリと変えた。
「柘植さんの言った通り、左門さんは優しいお人でした。僕はあなたを尊敬します」
素直な敬意を示せば、左門に呆れられる。
「君は単純だな。少しご馳走してやっただけで、簡単に懐くのか。そんなことでは悪人に利用され、損をするぞ。気をつけたまえ」
「そういう人もいるかもしれませんが、左門さんは違いますよ。中江さん家族を救ったじゃありませんか。あれは清らかな優しさでしょう」
中江一家は帰り際に、左門にいたく感謝していた。
松太郎はせめてもの罪滅ぼしにと、スエと再婚して最後までしっかり面倒を見ると言っていたし、息子の正一郎は心底ホッとした様子であった。
君枝も子供らも家族が増えることを喜んでおり、スエの今後は今までよりずっと幸せなものになるだろう。
全ては左門の功労で、彼にとってはなんの得にもならないことである。
それを優しさと呼ばず、なんと言い表せばいいのかわからない。
ライスカレー用のスプーンを手に取った大吉が、半量になったご飯を整えつつ、「優しいです」と念押しするように言えば、左門に顔をしかめられた。
褒められて嫌そうにするとは、どうしてなのか。
左門は上着のポケットから黒革の手帳を取り出した。
その間にあった名刺を指先に挟み、大吉に見えるようにテーブルに置く。
それには中江正一郎の名が書かれており、『函館運輸局、海運政策課、主幹』と役所での肩書が記されていた。
割と偉い役職についているのかと思うだけで、なにに注目すべきかわからず、大吉が首を傾げれば、左門がニタリと悪人のような笑い方をする。
「海運業を始めたいと考えているのだが、函館と小樽に有力な業者が三社あってな。航路と港の使用権はほぼ独占状態だ。役所もそれを許しており、新規が参入するのは難しい」