「ええ。とても素敵な人と巡り逢えて私は日本一の幸せ者です。でも、働きすぎて体を壊さないか心配しています。カレーは薬膳料理でもあるのでしょう? 松太郎さんに食べてもらいたいわ。できれば一緒に来たいけど、忙しくて行けないと言うのです」
「そういうことでしたら、作り方を教えましょう。ですが、どうか内密に。勝手なことをすれば、私が経営者やコック長から大目玉を食らってしまいます」
「わかりました。こっそりですね。コックさん、ありがとうございます。夫と息子に早く美味しいライスカレーを食べさせたい。きっと喜んでくれると思うんです」
ふたりの会話を聞いていた正一郎は、焦りを顔に浮かべて「親父!」と呼びかけた。
松太郎は片手で額を押さえて首を横に振り、「そんな馬鹿な……」と呟いている。
親子の頭にあるのは、スエは不貞などしていなかったという可能性だろう。
似た者親子であるようだから、もしかすると君枝の場合と同様に、思い込みから問答無用で家を追い出したのかもしれない。
しかしながらそれは可能性にすぎず、二十八年も経ってから潔白を証明するのは不可能だ。
家族が再びひとつになれるかは、スエを信じるかどうかにかかっている。
正一郎は必死の顔をして、父親に頭を下げる。
「親父、頼むからお袋を信じてやってくれ。もう独り暮らしは限界なんだ。飯も作れないし洗濯もできない。これ以上、放っておいたら死んでしまう」
スエとの同居を懇願する息子に、松太郎は渋い顔をする。
「しかしだな、引き取って面倒をみれば、君枝さんが大変だろう」
世間一般的に、親の介護は嫁がするものである。
君枝への気遣いを示した松太郎だが、なにか断る口実を探しているような感じもする。
不貞の事実はなく、追い出したのは過ちであったと、今さら認めるのが怖いのかもしれない。