「消防組に知らせてくれたか?」
「とっくにしたさ。今、こっちに向かってる。それまで諦めずに水をかけるんだ」
「すまんが手伝ってくれ。家財が少しでも焼け残ってくれたら……」
函館は半島のように突起した地形であり、三方を海に囲まれている。
強い海風のせいで度々大火に襲われてきたが、不幸中の幸いか、今日はそよ風程度である。
坂田屋は商店街の角にあり、隣家との間には、大人ふたりが両腕を広げたほどの幅の、小さな庭がある。
風向きから考えると、周囲の家屋に延焼せずに終わるのではないだろうか。
それは近隣住民たちの頭にもあるようで、それぞれの家財道具を急いで持ち出そうとする者はなく、皆が坂田屋の消火に力を貸してくれていた。
近くの古い共用水栓から水を汲み、列を作ってバケツを手渡しで火元へ運ぶ。
そこに大吉は加わらず、坂田屋と隣家の間の庭で慌てていた。
等間隔に三つ並んだ、二階の格子窓の真ん中が、大吉の部屋である。
二階にはまだ火の手が回っておらず、大吉はなんとかして部屋に戻り、私物を持ち出せないかと焦っていた。
この庭は女将さんが洗濯をして干すだけの場所であり、他にはなにも活用されていない。
下草が茂る奥に、車輪の壊れたリヤカーという荷車が放置されているだけである。
大吉はそのリヤカーに目をつけ、錆びた取っ手を掴むと、自分部屋の窓の下まで引きずってきた。
一階の板壁はまだ燃えていないが、かなり熱くなっている。
そこにリヤカーの取っ手を上にして立てかけた大吉は、それを踏み台にして壁をよじ上ろうと試みる。
その表情は、必死、そのものであった。
(どうしても持ち出したい物があるんだ。寝具でも教科書でも同人誌でもない。アレだけは、どうしても……)
その時、後ろから鋭い声がかけられた。
「なにをやっている。死にたいのか!」