数秒の沈黙の後に、左門が静かに問いかけた。
「ふしだらな女……果たして、そうでしょうか」
「不貞を働いた女が、ふしだらではないとでも言うのか? ならば阿婆擦れと言い直そう」
松太郎は鼻を鳴らして、スエを侮辱する。
すると左門は不愉快そうに眉を寄せ、料理帳を手荒くテーブルに置いた。
「どうぞ、このページをご覧ください」
「読まんぞ!」
声を荒げて拒否した松太郎に代わり、息子がそれを手に取る。
正一郎の目は真剣で、なにかを期待しているような顔に見えた。
「よせ」と父親に止められても構わず読み上げる。
「七月十一日、初めて西洋料理を拵えました。件の浪漫亭の方にご教授いただいたライスカレーです。正一郎は大喜びして三度もお代わりし、最近食欲が落ちて心配していた松太郎さんも大盛りを完食してくれました。私は涙が出るほど嬉しく……」
レシピの下には、初めてライスカレーを家族に出した時の様子が書かれていたようだ。
そこには間男と情を交わすようなふしだらさは微塵もなく、ただ家族を喜ばせたいという主婦の純粋さのみが綴られていた。
もしや、不貞などというのは勘違いだったのでは……そのような疑問を顔に表しているのは、中江夫妻や大吉、松太郎もである。
松太郎はなにも言わないが、ライスカレーに向けられた瞳が左右に揺れており、激しい動揺が感じられた。
その時、階段に近い窓際の席から、「まぁ、美味しいライスカレーね」という年配の女性の声がした。
開店前の店内には中江一家の他に客はいないはずなのに、どういうことだろう。
一同が声の方へ振り向けば、ふたり掛けのテーブル席でライスカレーを食べているのは、スエであった。
誰が世話したのか、きちんとした訪問着姿で結髪も整っている。
薄化粧もしており、大吉が出会った数日前とは別人のようだ。
今のスエなら、六十二の実年齢より若く見える。
「ふしだらな女……果たして、そうでしょうか」
「不貞を働いた女が、ふしだらではないとでも言うのか? ならば阿婆擦れと言い直そう」
松太郎は鼻を鳴らして、スエを侮辱する。
すると左門は不愉快そうに眉を寄せ、料理帳を手荒くテーブルに置いた。
「どうぞ、このページをご覧ください」
「読まんぞ!」
声を荒げて拒否した松太郎に代わり、息子がそれを手に取る。
正一郎の目は真剣で、なにかを期待しているような顔に見えた。
「よせ」と父親に止められても構わず読み上げる。
「七月十一日、初めて西洋料理を拵えました。件の浪漫亭の方にご教授いただいたライスカレーです。正一郎は大喜びして三度もお代わりし、最近食欲が落ちて心配していた松太郎さんも大盛りを完食してくれました。私は涙が出るほど嬉しく……」
レシピの下には、初めてライスカレーを家族に出した時の様子が書かれていたようだ。
そこには間男と情を交わすようなふしだらさは微塵もなく、ただ家族を喜ばせたいという主婦の純粋さのみが綴られていた。
もしや、不貞などというのは勘違いだったのでは……そのような疑問を顔に表しているのは、中江夫妻や大吉、松太郎もである。
松太郎はなにも言わないが、ライスカレーに向けられた瞳が左右に揺れており、激しい動揺が感じられた。
その時、階段に近い窓際の席から、「まぁ、美味しいライスカレーね」という年配の女性の声がした。
開店前の店内には中江一家の他に客はいないはずなのに、どういうことだろう。
一同が声の方へ振り向けば、ふたり掛けのテーブル席でライスカレーを食べているのは、スエであった。
誰が世話したのか、きちんとした訪問着姿で結髪も整っている。
薄化粧もしており、大吉が出会った数日前とは別人のようだ。
今のスエなら、六十二の実年齢より若く見える。