「いいえ、もう平気です。それよりも心が痛いわ。もっと早くに話してほしかった。あなたのつらさを分かち合いたかった。私は正一郎さんの妻なのよ」
「君枝……すまん」

それから十分ほどして、左門と大吉は浪漫亭の駐車場まで戻ってきた。
中江夫妻に茶を勧められたが、ズボンを気にして座布団に座りたくない左門が断り、すぐに中江家を後にしたのだ。
謝罪をもらって謎が解ければ用済みとばかりに、至ってあっさりとした別れ際であった。
車を降りて屋敷の方へと砂利道を進む左門に、大吉は早足でついて行く。
あの夫婦の仲が戻ったことは良かったと思うが、今は別の心配が湧いていた。
「左門さん、中江さんの母親はどうなってしまうのでしょう。自業自得とはいえ、呆けてしまっても家族と暮らせないのは可哀想ですね」
「さぁな。我々の気にする問題ではない」
「そんな冷たいこと言わないでくださいよ」
左門に助力を望んでいるわけではないが、同情くらいしてあげてもバチは当たらないと大吉は思う。
端正な横顔を見ながら口を尖らせれば、浪漫亭の勝手口を行き過ぎてしまい、左門に横目で睨まれた。
「どこまでついて来る気だ。とっくにディナータイムに入っているぞ。大吉は厨房で働きたまえ」
「あ、そうだ。僕はまだ仕事中でした」
足を止めた大吉を残し、左門は颯爽と屋敷へ消えてしまう。
(冷めた人だな。一仕事を終えたのだから、感想を言い合ったっていいじゃないか……)
残念に思う大吉は下駄で砂利を蹴飛ばし、厨房へ繋がる勝手口へと引き返すのであった。

翌日、試験期間のため今日も早帰りの大吉は、学校に近い細道をトボトボと歩いていた。
(今日の試験は散々だったな。特に英語。卒業後は大きな商社に勤めて世界を飛び回るかもしれないのに、英語くらい話せないでどうするんだ……)
教科書を入れた風呂敷包みが、やけに重く感じる。