君枝はまだ悲しげに涙を拭っており、疑いが晴れても心の傷はすぐには癒えないようである。
正一郎は慌てたように近づいて、妻の前に膝をついた。
「君枝、すまん。お前の不貞を疑うとは、俺はどうかしていたんだ。レストラン通いしていたことも謝る。決してお前の料理に不満があったわけではない。叩いてすまんかった。許せぬのなら、俺のことを殴ってくれ」
「あなたに手を上げるなど、私にはできません」
か細い声でそう言った君枝は、濡れた瞳に夫を映し懇願する。
「教えてください。最近のあなたは様子がおかしいです。私の料理に不満がないのでしたら、どうして浪漫亭に通っていたんですか?」
君枝の問いかけは、左門が気にしていた疑問のひとつであった。
強く興味をそそられた様子の左門が、ふたりのいる方に体ごと向ける。
「それは……」
なにか言いにくい事情でもあるのか、正一郎は顔を逸らして唸るのみ。
けれども、それを許さぬ左門に脅された。
「理由を話さねば、ご夫人は不安なままでしょう。中江さんが心配していた夫婦間の亀裂とやらを、自ら広げるつもりですか」
「話すほどの大した事情ではない。浪漫亭のライスカレーが好物というだけで――」
「嘘はいけません。あなたが来店のたびに、まずそうに食べていたのを、このコックが見ています」
「それは、その……」
「もっと言いましょうか。二十年以上前に、浪漫亭のコックとの間で、不貞があったのではありませんか? あなた方のことではなく、ご両親の問題です」
パッと振り向いた正一郎は驚きに大きく目を見開いており、なぜそれを知っているのかと問いたげだ。
左門は片手で遊ばせていた帽子を被り直すと、なんてことない顔をして淡々と言う。