「浪漫亭を経営している、大蔵左門と言います。お邪魔したのは、謝罪のためです」
浪漫亭の名を口にすれば、また怒らせるのではないかとの大吉の予感は当たり、途端に正一郎の目が吊り上がる。
「謝られたって、到底許せるものではないぞ。妻は泣くばかりでだんまりだ。これまでうまくやってきた夫婦間に決定的な亀裂が生じてしまったんだ。一体どうしてくれる!」
そう言うということは、誤解は少しも解けていないようである。
妻の君枝が口を閉ざしていることにも腹を立てている様子だが、おそらくは話している途中で、嘘をつくなとまた頬を張ったのではあるまいか。
聞く耳を持たない相手では、黙って泣くしかないだろう。
大吉は心の中で正一郎を非難し、鼻息を荒くしている。
左門の背中に隠れているため怖くなかったのに、振り向いた左門に引っ張り出されてしまった。
立たされたのは左門の前で、正一郎とはわずか二歩分の距離である。
案の定、激高され、「性懲りもなく、お前まで来ていたのか!」と腕を振り上げられた。
「さ、左門さん!」
守るようなことを言ったくせに、自分より前に出すとはどういうことか。
殴られる恐怖に硬く目を瞑った大吉だが、三秒経っても衝撃を受けることはなかった。
恐る恐る目を開ければ、正一郎が拳を振り上げた姿勢のままで動けずにいる。
大吉を左腕に抱えた左門が、右手のステッキを正一郎の喉元に突きつけているからだ。
「謝りに来たのではなかったのか? これはどういう仕打ちだ……」
上擦る声の問いかけに、左門はどこか面白がっているような余裕のある声で答える。
「なにを勘違いしているのですか。私は“謝罪のために”と言っただけです。謝るのは、私の従業員に暴挙を働いた中江さん、あなただ」
「なんだと……?」