大吉が頬を膨らませても撤回してもらえず、ため息をついた左門はステッキを腕にかけ、懐から財布を取り出した。
それは美しい黒革の長財布で、氏名の頭字が英文字で刻印されていた。
一円札を取り出した左門は、子供らの中で一番年長と思しき十歳くらいの少年に声をかけ、指に挟んだ札を見せる。
「私が用を済ませて戻るまで、君に自動車の番を頼みたい。傷をつけられずに守ることができたなら、これを報酬として与えよう」
一円は、子供にしたら大金だ。
浪漫亭でいえば、昼間は五十銭で提供しているライスカレーを二皿食べられる。
町の大衆食堂のライスカレーなら、十皿も食べることができるだろう。
番兵を頼まれた五分刈り頭の少年は、目を見開いて驚いている。
「やらないのか?」と左門に問われると、ハッとした顔で急いで行動に移す。
車体によじ登ろうとしている幼児を抱えて地面に下ろし、ドアの取っ手を弄っている子の後ろ襟を掴んで引き離した。
「お前ら、御仁の自動車に触ったらぶっ飛ばすぞ。三郎、手垢つけんな。秀雄、やめろって言ってんだろ。殴られてぇのか!」
言葉遣いは荒っぽいが、頼もしく番をしてくれる少年を見て、左門は満足げに頷いた。
財布を上着の内ポケットにしまうと、自動車に背を向ける。
中江家の生垣は白い小花をたくさんつけたイボタノキの低木だ。
その切れ目から玄関へと足を進める左門に、大吉は焦って駆け寄り、後ろから抗議する。
「左門さん、自動車の番なら僕がやります」
そう言ったのは、もちろん一円札が欲しいからだ。
大衆食堂のライスカレーさえ食べられない大吉にとっても、一円は大金である。
自動車を守るだけで得られるのなら、是非ともその役目をやらせてほしいという下心で願い出た。
けれども振り向いてもくれない左門に、にべもなく却下される。
「大吉は役に立たなかっただろう。あの子の方が番兵としては優秀だ」