帰宅の挨拶をした相手は坂田屋の店主とその妻で、四十代のふたりは大吉の親ではない。
大吉の実家は函館から乗合バスで二時間半もかかる漁村である。
父と祖父、長兄が漁師をしており、母と祖母も魚を仕分けたり網の補修をしたりと、忙しく手伝っていた。
五人兄弟の真ん中に生まれた大吉は、ひとりだけ故郷を離れ、去年からここで下宿生活を送っている。
決して裕福ではない実家だが、函館で学び将来は商社勤めをしたいのだと大吉が両手をついて頼み込んだら、両親はなんとか費用を工面してくれた。
「大吉君、お帰り」
奥の調理場から顔を覗かせ、挨拶を返してくれたのは、着物に割烹着と三角巾姿の女将。
明るく少々慌てん坊な性格で、ふくよかな体型をしている。
菜箸を手にしたまま、草履(ぞうり)をパタパタと鳴らして駆け寄ってきた女将は、嬉しそうに大吉に報告した。
「“揚げかまぼこサンド”、今日もあっという間に売り切れたよ。今、急いですり身を揚げているところさ」
「この時間から作って、また売るのですか?」
「買えなかった常連客にせがまれて、その人の分だけさね。大吉君のおかげで商売繁盛。ありがとうね」
「僕は、自分が食べたいものを言っただけですから……」
学帽を被り直した大吉は、照れたように笑った。
他人に褒められた経験は多くない。
面と向かって感謝されると、恥ずかしくなる。
その褒められた理由である、揚げかまぼこサンドとは、三日前に大吉が考案した坂田屋の新商品。コッペパンに切れ目を入れ、千切りキャベツと揚げかまぼこを挟み、マヨネーズをかけたものである。
マヨネーズは瓶詰めのものが市販されるようになったが、まだまだ庶民の間に浸透しておらず、特に年配層には受け入れられにくい調味料のようだ。
どこかの男性が、ポマードと間違えて髪に塗った、という話も聞いたことがある。