「勝手に勘違いしたのは君だろう。私が函館から撤退したと思い込み、悲しんでいたとは滑稽だ」
「色々あったんです。播磨さんに偶然会って、イタリアとの取引や後継発表がどうのと言われたから、勘違いしたんです。仕方ないじゃないですか」
「新聞を読んでいないのか? それが気になっての誤解だというなら、書いてある。私が函館に帰るつもりでいることも、推測できたはずだ」
左門は帳簿の数字を目で追いながら、左手で向かい側の穂積の机を指差した。
机上には数日分の新聞が、折り目正しく重ねられている。
指摘の通り、大吉は新聞を読んでいなかった。
いつもはできるだけ全紙面に目を通すようにしていたのだが、左門が去ってからというもの、新聞を読む心の余裕がなかったのだ。
穂積の机に歩み寄った大吉は、一番上のものを取る。
それは三日前の朝刊で、一面の記事の見出しが目に飛び込んだ。
『大蔵商会の大誤算。伊ベレッタ社との取引は白紙に』
驚きと興味を持って、大吉は記事を読む。
大蔵商会の製鉄所はこれまで、銃火器を製造するイタリアの大手企業に、銃の原料となる鋼鉄を輸出していたそうだ。
その契約更新において非常識な値上げを交渉し、相手方を怒らせたという内容である。
それによって大蔵商会の株価は大下落。
政府からは失望の声が上がり、新年早々、今年度の我が国の経常収支は赤字に終わるのではないかとの、暗い見通しも書かれていた。
読み終えて、新聞から左門に視線を戻した大吉は、ゴクリと喉を鳴らす。
「まさか、この非常識な交渉をしたのって……」
顔を上げた左門が、ニヤリとした。
「私だ。人殺しの道具は好かない。いくら儲かろうとも、そんなものの原料を輸出したくはない」
そういえば左門は以前、戦争特需で莫大な財を築いた大蔵商会のやり方を批判していた。
新たな戦火を期待している父親を、嫌悪してもいるようだ。