(柄にもなく大人しいんだよな。僕をからかうこともなく、顔色も良くない。病気にならなきゃいいけど……)
丼をのせたお盆を手に、勝手口から外へ出た大吉は、雪で湿った砂利を踏みしめ、左門の屋敷へ向かう。
寒気の中にうどんの湯気が逃げていき、冷めてはいけないと歩調を速めて、玄関前に着いた。
ドアノブを回して中に入ろうとしたら、内側から勢いよく押し開けられて、お盆ごと丼が吹っ飛んでしまった。
驚き焦る大吉の前に飛び出してきたのは、大風呂敷を背負った弥勒である。
「せっかくのうどんが」と非難しかけたが、弥勒の荷物がやけに多いことに気づいて問いかけた。
「その荷物、なんですか? まさか……」
「あちゃー、見つかってもうた。止めんといて。こんな生活、続けられへん。ほな、さいなら」
まさかと思ったのはその通りで、弥勒は逃げ出そうとしていた。
弥勒を好ましく思っていない大吉なので、出て行くことは賛成だが、今は引き止めるしかない。
「雪の夜にどこへ行こうというんですか。当てがなければ凍死しますよ。やめてください」
羽織の袖を掴んで心配する大吉に、弥勒は迷惑そうな目を向ける。
「銀座通りへ行って、金持ちそうな酔っ払いに宿交渉するから平気や。放してんか」
「放しません。拾ってくれる人がいないかもしれない。危ない真似しないで、左門さんに相談しましょうよ」
「恐ろしいこと言うやっちゃな。鬼の社長はんに見つかれば、軟禁じゃ足らず、監禁されてまう。こっそり逃げるしかないねん」
左門は確かに厳しいが、悪い人ではないと大吉は説得する。
けれども弥勒は聞く耳持たずで、力尽くで振り切ろうとしていた。
「放せっちゅうねん」
「嫌です。見逃したら僕が左門さんに叱られます」
前のめりに足を進める弥勒と、全体重をかけて腕を引っ張る大吉。