「スケッチブックを見る限り、弥勒には絵の才能を感じる。だが、色付けでなぜこうなるのだ。塗り方を知らないわけではないだろう。途中までは問題ないのだからな。なぜ仕上げで手を抜く?」
ふたりの話がついつい気になって、大吉は掃除をしているふりをしながら室内を覗き見た。
左門は壁際にいて、そこに立てかけられている一枚を指摘していた。
それは真夏の強い日差しを浴び、額に汗して働く米問屋の使用人達の絵で、店先の荷車に重い米袋を積んでいる様子だ。
弥勒はそれを描き終えた作品だとしているようだが、左門は未完成だと言う。
「真夏の晴れた昼間に、なぜ影がぼんやりしているのだ。スケッチでは生き生きとしていた人物の表情が、色を付ければいい加減。なぜはっきりと顔を描かない。着物の塗りも大雑把で、冬物の羽織でも着ているように見えるぞ。これで描き切ったと言われても納得いかぬ。他の絵も同じだ。どれもこれも未完成に見える」
大吉には油彩画の良し悪しがさっぱりわからないが、喧嘩前に部屋を覗いた時、完成間近な絵はあっても完成品があるとは思わなかったので、納得して聞いていた。
一応、画家である弥勒なら、左門の指摘を大吉よりは理解しているはずである。
それなのに、「そうでっか?」と笑うだけだ。
「直せ言われたらやりますけど、練習用ならこれでええんちゃいますか。あと二十枚やな。ほな、さくさく新しいもの描きましょ」
左門は弥勒の才能を信じ、本気で後援してやろうとしているようだが、当の本人は不真面目だ。
笑ってごまかし、調子のいいことばかり言う。
そういういい加減なところが好きじゃないと、大吉が眉を寄せていたら、腕組みした左門が極めて冷静に問いかける。
「弥勒、完成させるのが嫌な理由でもあるのか? 君はなにを怖がっている」