下宿代を格安にしてくれた坂田屋でなければ、函館での学生生活を許してもらえなかったことだろう。
もしや、退学して実家に帰らねばならないのかと、大吉は青ざめた。
(入ったばかりの仕送りは、そっくりそのまま部屋に置いてきてしまったから無一文だ。これからの住まいどころか、今夜の宿さえない……)
先ほど大吉が、自分は大丈夫だというようなことを言ったためか、女将はホッとしたように笑いかけた。
「大吉君なら自力でなんとかできるよね。賢い子だもの。そういうことでよろしくね」
背を向けて坂田屋の方へ戻っていく女将の姿が、人波に紛れて見えなくなると、大吉は強い不安に襲われた。
(僕が頼れる相手は……)
縋るような思いでゆっくりと青年の方に顔を向けたが、そこに彼はいない。
焦って周囲を見回せば、少し先の人垣の後ろを歩く、長身の後ろ姿が見えた。
「待ってください!」
大吉は走って彼に追いつき、その腕に縋りつく。
「助けついでに泊めてください。新しい下宿先を見つけるまで、お願いします」
大吉の宝物を取ってきてくれた親切な彼なら、きっと住まいを提供してくれるだろう。
そう信じて頼んだのだが、「断る」と冷たく言われてしまった。
「なんでですか!?」と大吉は驚き慌て、窮地に不親切な態度を取る青年を非難した。
「あなたは金持ちでしょう。立派な身なりをしているのですから。僕は無一文なんです。無垢な少年を寒空の下に置いていくというのですか」
「女給好きのマセガキを、無垢とは言わないだろう」
「確かに色気のあるお姉さんが大好きですけど、まだカフェーには足を踏み入れたことがないんですよ。子供ですから」
「中学生かと思ったが、その学帽の校章は函館商業高等学校だな。ということは十六以上だ。ひとりでもやっていける。今は六月で、野宿しても凍死はしない。大吉という名は良い。私が泊めなくても、きっと幸運が訪れるだろう」