「わいの名前は狩野弥勒(かのうみろく)。え、知らんって? そりゃそうや。弥勒の名が売れるのはこれから。今後どんどん価値が上がっていきますさかい、買うなら今。一枚たったの百円ぽっきり。三枚まとめて二百五十円に負けておきましょ。どうでっか?」
腕組みをしている左門の表情は見えないが、油絵をじっと見ている様子だ。
胡散(うさん)臭い絵描きだな。絵のことは僕にはわからないけど、名前が知られていないのに百円とは高すぎるだろう。まぁ、左門さんが騙されるわけないか……)
大吉の予想通り、いや予想を超えた(さげす)み方で、左門は購入をきっぱりと断る。
「ダビンチ、ルノワール、フェルメール。私にただの模写を買い取れというのか。しかも写し方が雑だ。キャンバスに色がのっていないところもある。一銭の価値もない」
見破られたかと言いたげに、弥勒は顔を引きつらせた。
それでも笑ってごまかしつつ、なんとかして売りつけようとする。
「社長はんの鑑識眼には負けましたわ。ほんなら十円でどうです? 部屋を華やかにするくらいの役には立ちますって。今日だけ特別、大負けに負けて一円でもかまへん。さあ、買った買った、大安売りや」
左門は弥勒を無視して、斜め前に一歩足を踏み出した。
行かせまいとする弥勒が、すかさず進路を塞いだら、ぶつかってなにかが落ちた。
それはスケッチブックで、拾い上げた左門は勝手に中を見る。
「社長はん、それは売り物じゃないんですわ。そんなん欲しがる人もおらんけど。こっちの油絵を買うてくださいよ。文無しの上に宿無しで困ってるんですわ。頼みますって」
ふたりから四、五歩離れた場所で足を止めていた大吉は、左門に駆け寄った。
弥勒のしつこさに腹が立ったのだ。
小柄な体で勇んで対峙し、迫力のない童顔で精一杯、睨みつける。