函館山の紅葉が始まった十月の日曜日、大吉は五稜郭(ごりょうかく)公園に来ていた。
五稜郭は江戸末期に箱館奉行所を守るために造られ、土方歳三(ひじかたとしぞう)ら新撰組が新政府軍と戦った舞台である。
大正の今は公園として一般市民に開放されており、普段は老人が散歩をするのどかな場所なのだが、今日は詰めかけた人々でごった返している。
皆が口にしているのは、“ウイリアム・スミス”という名だ。
曲芸飛行を披露しにやって来たアメリカ人に、大吉を含めた市民達が興奮していた。
時刻は間もなく十時になろうとしている。
浪漫亭の開店時間が迫っているけれど、今日だけは遅刻しても良いという許しを左門にもらって、大吉はここにいる。
曲芸飛行など滅多にない催しなので見逃したくはなく、左門も情けをかけてくれたのだ。
動きやすい学生服姿の大吉の隣には、同じ格好の清と幸治がいる。
ふたりもチラシを見た時から今日を待ちわびていたので、「早く始まらないか」「この待ち時間も楽しいじゃないか」と目を輝かせている。
観覧場所は公園の中ほどで、ロープが張られて区切られており、押し合いへし合いの中で大吉達は二列目と、かなり良い場所を確保していた。
曲芸飛行に使われる飛行機は、右手奥に見えた。
主翼が二段になっている複葉機で、機体の頭にプロペラがついている。
(あれが空を飛んで宙返りするそうだけど、本当にそんなことができるのか……)
飛行機を遠目に眺める大吉の耳に、蓄音機のような形の拡声器を通した司会者の大きな声が届く。
「お集まりの皆様、お待たせしました。これより鳥人ウイリアム・スミス氏による曲芸飛行の妙技をご覧いただきます。まずは主催者であります播磨氏より挨拶がございます」