あの時の文子は、誰とも結婚するつもりはないと断っていたが、その頬はほんのりと色づいていたように思う。
もしかすると文子は、清と夫婦になる将来を想像し、それも良いと考えていたのかもしれない。
ただ、女怪盗であることを隠している上に家族を養わねばならないので、普通の女の幸せを望まないようにしていたのではあるまいか。
女怪盗だと知られても、刑務所を出るまで待つという手紙が何通も送られてきて、文子は清に、はっきりとした恋心を持つようになったのかもしれない。
そして好きだからこそ、清に辛辣な言葉をぶつけ、諦めてもらおうとしたのだろう。
自分が、清の足枷(あしかせ)にならないように。
この涙の跡は、好きな男を傷つける苦しみか、それとも芽生えたばかりの恋心を無理やり捨てた悲しさか……。
「大吉、ぼうっとしてないで、清を励ましてやれよ」
「あ、ああ、そうだな。清、文子さんはひどい言葉を平気で吐く性悪女だ。きっぱり諦めるべきだと僕は思う。早く忘れられるように、この手紙は僕が預かっておこう」
文子の本心に気づいた大吉なので、性悪女だとは思っていないが、親友のために文子の嘘に乗っかることにした。
文子を妻にすれば、清の人生は日陰暮らしになってしまう。
手紙を封筒に戻してポケットに入れた大吉は、隣の机から弁当箱を取り、作り笑顔で振り向いた。
「この卵焼き、柘植さんが焼いてくれたんだ。甘くて優しい味がする。清にひと切れやるよ」
すると幸治が大袈裟に羨ましがる。
「清だけなんてずるいぞ。あー、ものすごく食べたい。卵は栄養の塊だからな。大吉、僕にもくれ。この通りだ」
「仕方ないな。今日だけ特別だぞ。三人でひと切れずつ食べよう」
大吉と幸治はわざとらしいほどにはしゃぎ、清も無理やり作った笑顔で卵焼きを口にした。
とても美味しいけれど心は弾まず、結ばれない方が良い恋があるのだと、大吉は切なく思っていた。