「厨房は忙しいんですよ。こんな用で電話をかけてこないでください。皺の入っていないシャツなら、他にもたくさんあるじゃないですか」
「私はその場に最も相応しい服を選ぶ。背広とベストとシャツ、靴や帽子は調和が取れていなければならない。君もいずれ会社勤めをし、背広を着るようになればわかるだろう」
「無理ですよ。普通の会社員は背広を二着持っていればいい方です。あれこれ組み合わせを選べるほどの衣装は……えっ!?」
大吉の反論を聞かない左門が、この場で服を脱ぎだすから大吉は慌てて後ろを向いた。
相手は同性だというのに、なぜ恥ずかしく思うのか。
男女という性別の枠組みを超えて、左門の容姿に美しさを感じているせいかもしれない。
「時間がないのだ」
手早く着替える音を後ろに聞きながら、大吉はこれからどこへ行くのかと聞いた。
すると「麗人館だ」と言われ、思わず振り向いた。
左門は紺色の背広の上着に袖を通し、姿見の前で艶のあるネクタイを結んでいる。
「カフェーに遊びに行くんですか!?」
「違う。商談だ」
「僕も連れて行ってください。お願いします!」
童顔の学生でも、左門と一緒なら入店できるだろうと大吉は考えた。
なぜなら左門は見るからに金持ちだ。
こんな上客を逃すカフェーはなく、お供として大吉がくっついていても、咎めることはないだろう。
ネクタイを結び終え、黒い山高帽を被った左門が、姿見越しに大吉を見て冷淡に言う。
「なぜ連れて行かねばならん。大吉は厨房に戻って働きたまえ。忙しいのだろう?」
「そうですけど、僕がいなくても困らないそうです」
森山にそう言われた時、不満を覚えた大吉だが、今はありがたくその理由を使わせてもらう。
この機会を逃してなるものかと、ドア前に立ち塞がり、両腕を広げて左門を脅した。
「一生のお願いです。頷いてくれるまで、ここを退きませんよ」