(転) 本日沈没。
                    

十一・ 秘書嬢: 細沼甲斐子(ほそぬま・かいこ)の青天霹靂。


 細沼甲斐子(ほそぬま・かいこ)の名刺の肩書きには一応『秘書』と記してある。

 主な担当業務は。
 押し寄せる大量の執筆依頼や取材申し込みやらインタビューやら出演やらへの打診を。
締切と枚数と要望ジャンルと対象読者層と。原稿料や出演料の有無と多寡と。期待できる出版後の印税収入額などなど別に。
 解り易く分類列挙して、リストアップしてプリントアウトして、カコ先生に渡して。

 書くか書かないか、出演するか否か、まだ検討中か?のマルバツサンカクや質問事項を赤ペンで(手書きだ!)記入してもらって。
 きちんとしたビジネス文書に意訳や超訳?して返答したり。
 時期や内容の調整を引き受けたり。

 確約した分の。
 締切日と枚数とジャンルと対象読者層と。
 つきあいの浅い出版社や編集部の場合には、担当編集者への連絡先や手土産に望ましい品目リストや、既存刊行物の傾向やら初版発行部数やらやらを、リストアップした上で。

 逆算して、「早めの執筆開始予定日」を設定して。
 執筆部屋のカレンダーに、大きな字で(手書きだ!)記入しておいたり。

 一応完成して渡した原稿の校了予定を把握した上で。
 専任校閲係との赤修正やら何やらのやりとりの日取りを調整したり。

 はたまた締切延長の調整依頼や、ドタキャンの謝罪役を引き受けたり。

 原稿料の振込日と予定金額を事前に把握して経理部に報告したり。
 カコ先生の「経費分の領収証」を整理して、経理部に申告したり。

 馴染みのない出版社との初顔合わせや、無関係なイベントの隙を狙って急襲してくるアポ無し突撃取材の傍若無人な雑誌記者や盗撮カメラマンなどから、人見知りのカコ先生をガードして救い出したり。
 無理な契約や出演依頼やを押しつけてくる輩にはきっちりお断りして「法務を通せ!」と突っぱねてみたり。(実はこっそり護身術も習っていたりするのは、内緒だ。)

 取材や出演に要する移動所要時間や、事前事後の周辺観光スポット情報や宿泊予約候補地までをも含めた日程案を作成して、スケジュールを管理したり。
 頼まれれば切符の手配やホテルの予約や。
 カコさんがアバウトに立てた海外旅行の日程が実現可能かどうかのチェックを本職に依頼したり。

 引き受けた写真撮影付きインタビュー取材や講演会の前には。
 日ごろ身だしなみにほとんど構わないカコ先生の臨時のスタイリストと化して。
 こっそりボタン付けやほつれの繕いやなんかも、しておくし。

 緊急で出演衣装の買い出しに走ったり。
 靴の磨きや修繕や「即便!通販」を頼んだり。
 専門のプロがいなければ、ヘアメイクも引き受けたりなんかする。

 予定を忘れてお寝坊してたら部屋まで起こしに行くし。
 頼まれれば散らかった執筆資料の整理収納や、簡単な掃除も手伝うし。
 寂しがっていればご飯も一緒に食べたりするし。
 私室に「お泊り」なんかもたまにして、眠くなるまでの話し相手を務めたり、するし。
 取材や休暇旅行のお供をしたり。

 まぁ、雑用係で。

 本人はファンタジックに、「おつきの者」でございますと、自己紹介をしている。


     *


 次の予定の書きおろし単行本の出版社との打ち合わせは明後日に決まった。
 …ということは。

「今日と明日は完全オフ?」と、目を輝かせて、カコ先生は笑った。
「そうなりますね。」
「じゃ、お風呂いこ~っと! …一緒にどう?」
「お供します!」
「んじゃー道具もっといで~。十五分後に玄関集合~」
「はい!」

 こんな場合、カコ先生が日帰り入浴施設の意味で「お風呂」と言うのは、徒歩五分。
 パペル塔の地下駐車場通路をまっすぐ抜けるか、その上に広がる地上庭園をつっきるかで簡単に到達する、自社直営施設である。

 ふつうの「お風呂」は「男・女」の二種類か、多くても「家族風呂」という別室が併設されているくらいだが、ここのお風呂はちょっと変わっていて、入浴エリアが六つある。
「カコ専用」というのが屋上階のペントハウス的に設けられていて。

 地上階と二階部分は、それぞれ縦に区切られていて。

「一般女性・女性系・中間・男性系・一般男性」の、五つのエリア別。

 自己申告制だと絶対に痴漢だのセクハラだののトラブルが多発するので。
 中三つのエリアを利用できるのは「輪っか」寮の住人か、その連れだけだが。

 他の(大き目に造られている)「一般」二つなら。
 地元民や観光客や、カコ先生の「聖地詣で」に来た熱心な読者の皆さんも、
 もちろん利用可能。

 あいにくだが、天然温泉では、ない。

 カコ先生は天然かけながし温泉が大好きだが。
 出るか出ないか判らないものを(確率的には出る可能性は低い地域だと専門業者さんからは言われた)、闇雲にボーリングしてまわるほどの予算の余裕は…、無かった。

 その代わり、敷地の外れの丘陵地帯の既存の農業用水の横穴井戸からパイプを引いて。
 農場と牧場エリアの境目にある堆肥発酵施設の熱い屋根の下を、ぐねぐねと折り曲げてパイプを通して加温して。
 四十五度ほどに温まった褐色植物泉を「天然水の沸かしたて、かけ流し風呂」にした。

 入湯料は普通の銭湯よりちょっと高いくらいか。
 地元にも観光客にも、密かに人気のスポットだ。

「…あ~。生き返る~♡」

 カコさんはざっと洗髪とシャワーだけ済ませると、どぼ~ん!と寝湯に転がった。
「カコ専用」スペースは、本人と一緒か、本人の許可をインカムで確認しない限りは、他人は利用できない。
 ひとり分サイズの寝ころび浴槽が高温・ぬる湯・温水の三つと、同じく温度別の壺湯が三つと、あとはプールサイドのような寝椅子が二つあるだけの、小さいスペースだ。

 お空が青い。

「…い~ね~。幸せだね~…♡ 」
「ですね~♡ 」

 カコ先生と、うまくやっていくためには簡単なコツがある。
 よけいなことは喋らない。どうでもいい自分話や、他人の噂は、なるべく少な目に。

 大事なことには必ず相槌を打つ。

「いいね」
「美味しいね」
「可愛いね」
「かわいそうだね」
「素晴らしいね!」

 なんてキーワードが出た時には、タイミングを逃さず、かならず反応だ。
(自分の意見と異なっていると思う時には、きっちりと反論するのは可。)

「…あ~。幸せだな~… ♡ 」

 カコ先生は、もう一度しみじみと呟いた。

 …その、時。


     *


「…あら?」
 相槌のタイミングを逃した甲斐子は。
 一瞬、自分が貧血かなにかで眩暈を起こしているのかと思った。

 ぐらっ…
「あれっ?!」
 カコさんが素早く立ち上がった。

「あら… えッ? 揺れてますッ??」
「揺れてるッ!」

 びぃ~~ッ! びぃ~~ッ! びぃ~~ッ!

 聞き覚えのある、不吉なサイレンが響いた。

『 緊急地震速報です! 間もなく強い揺れが来ます! 』

「うそッ!」
 …数秒と待たず、本震が襲い掛かった。

 …揺れる…
 揺れる!

「つかまって!」
「カコ先生ッ!」
 揺れる!

 …数分は、続いただろうか…

 お風呂のお湯が、津波と化して、数メートルもの水しぶきを立てて、跳ねる跳ねる!
 階下から男と女と子どもと性別不明をとりまぜて、悲鳴と怒号と絶叫が響く。

 がつーん!
 がちゃーん!
 ばしゃーん…!
 がしゃーん…ッ!

 悪夢かと思った。

 甲斐子は恐怖で涙が出てきた。
 お風呂のなかで、少しちびったかも、しれない。


     *


 数分して、揺れは…
 とりあえず、大きいのは…

 …収まった…???


 カコ先生が、まっぱのまま、だだっと駆けだして、内線電話に駆け寄った。
 備え付けの、非常用インカムを素早くはずして手早くかぶって。

 余震で揺れても飛ばないように、しっかりと、ヘッドバンドをかける。
 …の、一連の動作と同時に。

 びっくりするくらい大きな声で。

「みんな無事ッ? カコは無事ですッ! 避難手順に従って行動してっ!

 ポーシャ毒測定班! ただちに安全確保の上、大至急、状況報告願いますっ!」


 …大変な、日々が始まった…。





十二・ 配送員: 葉山 景(はやま・けい)の驚天動地。


 びぃ~~ッ! びぃ~~ッ! びぃ~~ッ!

 聞き覚えのある、不吉なサイレンが響いた。

『 緊急地震速報です! 間もなく強い揺れが来ます! 』

 葉山 景(はやま・けい。出生時の旧戸籍名:葉山 景子)は、飲みかけの熱いお茶をあやうく噴き出しかけた。
 …いや、むせこんでる場合じゃないッ!

 死ぬ気で咳をこらえて、インカムに飛びついた。

『 空キタ便! 全機、緊急浮上! 安全確保! 』

 滅多に使わない全機一斉開放ボタンを、正確に押せて良かったと安堵するのもつかの間。
 …揺れた!

 言語に絶する… 揺れだった。

 まず小刻みにカタカタ揺れた。
 それから横にゆさゆさ揺れた。

(…大きい…!)
 と、思って体を両腕で机の下に固定しながら、様子をみていると…
 縦に。

 ガン! と、…
 突き上げられた…!????

 それからはもうジェットコースターかと哭き嗤いするような。
 笑ってたら舌を噛みそうな…
 地獄のような…

 あれこれ倒れたり飛んだり、崩れたり落ちたり割れたり。
 …でも。

 まだ、本社の建物自体が壊れるほどじゃ… ない?

 震源は、けっこう遠い。(たぶん)。

 それでこれだけ、揺れた。(…おおごと、だ…!?)

 …揺れがとりあえず収まった…? 時には。
 思わず、安心?して。
 気が遠くなりかけた…。


     *


「みんな無事ッ? カコは無事ですッ! 避難手順に従って行動してっ!」

 …すげぇ。
 …カコさん、すげぇ…。

 ちょっと涙が出かけた。
 いやいや…
 感心してどうする。

 七十過ぎの御高齢者に、敗けてどうするよ…
 オレ!

「空キタ便!統括、葉山 景 、無事です! キタ本社一階、損害軽微!重傷者ナシ!
 空キタ便!全機応答願いますッ!」

 非常回線の全社開放で報告だけして。
 途中からキタ内線の双方向通信に切り替える。

『空ビット一号、鹿毛妙子、無事です! 配達先に向け飛行中!
 目標家屋が損壊してます! 人影あり! 手を振ってますっ!
 このまま救援活動に移ってもいいですかッ?』

『安全確保最優先!気をつけて行動して下さいっ!』
『了解ですっ!』

 そもそもが、空キタ便は、前の全島震災の時に。

 あっちもこっちも道路も鉄路も墜ちたり崩れたりしまくって交通網が遮断され過ぎて。
 とり残された人たちへ、せめて水と薬と食糧だけでも、急いで届けたい!…と。
 救援活動のためにカコさんが自費を投じて緊急レンタルした車体を。

 ボランティアで集まった運転手と、日頃のカコ先生の社会的な活動を支えてくれている熱心な『ファン祭徒』からのクラウドな供出物資と資金とが、支えて。
 運用しまくって…。

 いざ事態が収束して機体を返却しようと思ったら。
 飛ぶには支障が無いんだけども…
 細かい、傷だらけで。

「これ返却受領するなら多額の修理費用請求が発生しちゃいますよ?」
 と、営業マンに…困惑された…
 ので。

 それくらいなら!と、開き直ったカコさんが、そのまま長期リースに切り替えて。
 急遽立ち上げられた…という来歴を持つ、事業だ。

 配達員はその時に救援ボラで動いていた人財が多いから、話も反応も速い。

 ついでにみんな、カコさん原作の漫画『奔れ!国際救助隊!』の大ファンだ。

 良かった…。


     *


『空ビット七号機、小破! 飛べます。
 鈴木美恵子、軽傷です。
 配送完遂の上、状況判断して動きますっ』

『了解。慎重にお願いします』

『空ビット十三。遠野了子、無事です。
 ポッポロ上空。何か所か煙が上がってます。酷いです…

 …家族が心配です。一旦離脱していいですか?』

『気をつけて!』
『はい!』

 次々に報告が入って来る。ありがたいことに死者も重傷者も大破もなし。

 非常緊急電源が入ってPCが復活したので。
 急いで、直通無線で繋いで。
 災害時の連繋出動契約をしている防災省の、救援要請者の分布地図を、急いで開く。

 …真っ赤。だ…。

 一面の、真紅に点滅する、救援要請記号と。
 高速で移動中の、緑の救急車と、朱色の消防車。
 黄色はガス会社がガス管破損箇所を把握したという印。
 水色は水道管の破損個所。
 紫は火災の発生現場だ。
 黒はさらに有毒ガスの発生危険性を示す火災。

 …無理だ。

 市街地とせいぜい近郊だけで、正規の消防署の対応は、手一杯だろうと思う…。

 数点、離れた場所で青く輝やいているのが。
 救援参加宣言を済ませた空ビット号たちらしい。

 遠隔地、へき地、辺境郊外への。
 応急配送。こそを得意とする、
 われらビット…!

 ちゃらら~ん♪ と、脳内で。
 思わず自社のCMソングが流れた…。


 …全員、無事で、戻ってほしい…!

 …一人でも多く、生かして、救出してほしい…!


     *


 …さて…!

 飲みかけだったペットボトルのお茶のキャップを。
 無意識に、ちゃんと閉めてた自分に気がついて、ちょっと笑った。
 すっかり冷めてしまっていたけれども。

 緊張しすぎた喉にはちょうどいい。

 一口飲んで、体の震えをなんとか収めて…。

 …また、長期戦になるぞ…!

 気合を入れろ、オレ!





十三・ 技術者・田中真理(たなか・まり)の阿鼻叫喚。


 パペル塔の『オキタ館長』は名前つながりの半分冗談で任命されただけの小柄で小太りの昼行燈な?実直誠実だが真面目過ぎてお堅くて融通の利かない?
 ごく普通の一般中年女性だと、思っている観光来館者や末端スタッフらは多い。

 実は元職が、ポックル島国『護島隊』のプロの凄腕の防災救援レンジャーで。

 じつはカコさん命名『自宅警備員』なるパペル全域のガード業務スタッフに、武術や捕縛術を指導しているのも、この人だ。

 元職場内の男性中心社会の真ん中で、酷い性暴力に遭わされて。
 不正やセクハラやの数々をもまとめて告発したら、嫌がらせで退職強要されて。
 裁判で闘って敗けて。
 心身ともにボロボロになって路頭に迷ったところを、人権的立場から裁判の支援者だったカコさんに拾われた。という経緯は、意外に知られていない。


     *


 敷地内施設管理全般の通常業務を職分とする、堆肥ボイラー温度管理主任にして自家発酵メタンガス燃焼発電機整備技能士も兼務の、ごく普通の『農業副産物等総合転利用技術者』認定国家資格保持者の田中真理は。
「ぴぎゃぁぁぁ!」とひたすら叫びながらしがみついていた机の下から、ようやく這い出して来た。

 すでにオキタ館長はインカム装着済み。『非常即応』態勢バッチリ。

 カコさんの声に応えて素早く「こちらは全員無事」の報告を済ませて。
 状況把握している。

「震源… ハッカショ村?」
「えっ?」
「ポッポロには、津波は来ない予測と。」
「ふぁぁ」
「ポーシャ毒、震災か? …またか……!」
「嫌~!」
「泣いてる場合じゃないぞ田中!

 全館非常時仕様! 地下ダンジョン開放と、避難者収容の準備!」

「はいぃッ!」

 のそのそと這い出して、こぶしで涙をぐいと拭き、垂れて来る鼻水をすすりながら。
 毎月のしつこいほどの避難訓練で。
 何度も、手順の確認だけはしてきた、緊急用の機材を取り出して…、
 震える手をなだめながら、なんとか的確に画面を開いて、ボタンを押して行く。


『 パペル塔と寮の地下は、ダンジョンになっている。

  本当の広さと構造は、誰も知らない。 』


 …というのは、よく知られた都市?伝説で。(カコさんが面白がって広めたのだ。)

 普段は本当に、ただの娯楽アトラクション用の「迷走迷路」として。
 観光客や「聖地」訪問のファンの人たちには有料で提供されている。

 カコ先生の原作マンガやアニメのキャラの絵柄の、記念撮影用の等身大ボードや。
 探索用懸賞クイズの、ヒントや案内の画面が点在している、
 その地下の…
 廊下の。

 壁に埋め込まれたドアをスライドして開けると、
 中は非常用の、頑健な、避難者長期滞在用室になっていて。

 一部は平常時から一般観光客にも開放されてて、
『避難生活体験訓練』名目で。
 安く泊まれる施設として貧乏旅行者たちに活用、されてて。

 地元の人には、自治体を通じて、通常時から、周知はしてある。

 災害時、家が壊れた人は…
 パペルの足元へ。

 と…。


     *


 がこん、がこん…と、軽い震動音とともに。
 地下ダンジョンの隔壁が、上がったり下りたり、斜めに移動したりして。
 震災時・長期耐久仕様に、変更されていく。

 入浴中だった休日スタッフや客たちが、ぽたぽた水滴を垂らしながら。
 とりあえず服だけ着て頭はズブ濡れのぼさぐしゃのままだったり。
 荷物を預けたロッカーがどうにかして開けられなくなったのか、浴衣のような貸出館内着や、それも足りなくなったのか大判バスタオルだけ、羽織ったような姿で。

 がくぶる涙目で膝が笑っていて。
 それでも職務熱心な当番スタッフたちに、誘導されて。
 ぞろぞろと、地下に向かう映像が…
 目の端の安全監視カメラに映る。

「食糧その他、備蓄状況は良し! 敷地内設備、地上地下ともに大破はなし!」

「空ビットがもうすぐ人を連れてきます。受け入れ対応お願いしますね。」
「了解です!」

 カコ先生…『ウマシカ先生』と…オキタ館長が。
 小説や漫画の中のように、カッコよく、冷静に。

 事態の収拾に、当たってくれてる…。

 田中真理は、ぐちゃぐちゃになっていたポニーテールをぐいと。縛り直して。
 どうにか探し出したティッシュボックスからペーパーを山ほど引き出して涙をふき、鼻をかんだ。

 大丈夫だ…
 今度も、きっと。

 きっと、何とかなる。

 何とかなる…!





十四・ 林業者: 狩野愛子(かのう・あいこ)の選択。


「まさか、そんなことは、な~…い、…よな…?」

 とは思いつつ、みんな気にはしていた。

 ポックル島国の対岸というか、ごく狭いプガル海峡を挟んだお向かいというか。
 お隣の島国ポンニツの北の果て、つまりポックルに面したプツ湾岸には。

 超巨大な幻視毒発電所が、ある。

 ポンニツ三島のエネルギーを賄って余りあるとかいう超巨大な幻発ネットワークは。
 使えば使うほど、ポーシャ毒、という有害な副産物を出しまくっている、らしい。

 このポーシャ毒は自然分解するのに何百万年という長大な時間がかかるので。
 人工的に解毒を時短化する方法が開発されるまで、ということで。
 とりあえず、一か所に集めて埋設保管をしていた。

 一カ所では収まらなくなったので、次々作って。

 現在では八カ所に、巨大な穴がある。

 その、巨大なポーシャ毒ゴミ埋め場が、八カ所も、ある村が…

 地震や津波に、
 遭ったら。

 風向きからして、主な被害は、ポックル島国のほうにくる…

 さらには、往時のポンニツ(旧統一)島国政府が。
 何をトチ狂ったのか、ポックル島内の、しかも首都ポッポロ市の、すぐ近郊に。
 同じくらい、超巨大にして超!危険な。

 幻視毒発電所を、建設。して、しまった…。

「安全です。安全です!」という大宣伝の、影で。

 有害なポーシャ毒が、ひそかに。
 撒き散らされていた。

 次々に…
 死者と病人と。
 障碍を持って生まれて来る、子どもたちが相次いだ。

 …せいで。

 怒れるポックル島民が全島を挙げて立ち上がり。
 ポンニツ(旧統一)政府からの『絶対絶縁宣言』を出して。
 すったもんだの末。
 比較的短時日のうちに、無血で。
 ポックル島協和国、という名の独立国になった。

 …その経緯の細かい話は、この際、置いておくとして…。


     *


 ポーシャ毒素は、いちど憑りついたら、なかなか取れない。

 分解できない。
 解毒もできない。

 秘電子というものを持つ、すべての生命体に有害で。

 病気になるし、死にもする。

 以前の…若い人はもう覚えていない世代がほとんどだが…
 ポンニツ本島を襲った幻視毒大災害では。
 多くの農地や山林や野生の動物や家畜や、人間が…
 飛び散ったポーシャ毒の、犠牲になった。

 今でも、その傷跡は、完全には癒えていない… と、聞く。

 それなのに…

 前々から、カコ先生や、地震予知とか災害対策に関心の高い人たちが。
「あそこは危ない危ない」と、騒いでいた。

 まさにその場所が。
 今回の震源らしい。

 ポックル島とポンニツ島のちょうど中間の。
 海峡湾内のごく浅い場所で、超・巨大発震。

 幻視毒発電所の建屋と、
 ポーシャ毒ゴミ捨て穴の。

 もろい護岸は一瞬で崩れ去り。

 そこへ次々と…引いては襲いかかる… 多重津波が。

 覆い尽くした。


『 原型を留めず全てが海の下に沈んだようだ、

  まるで伝説の悲劇アトランティスのように… 』


 と。

 普段はカコ先生のエンタメ作品の熱愛ファンクラブ活動をしている
「ポーシャ毒監視班」の。

 最寄りの地域の測定班の人々が。

 超望遠レンズで、対岸から撮ったという画像を、全世界に公開した。

 地球上すべての人々が、現在ちょっくら「ポーシャ毒パニック」中らしい。

 …それも、気持ちはワカルが…


     *


 もっか当面の、自分たちの、火急の、焦眉の、喫緊の…
 問題は。

 …と、実家の稼業の伐採専門林業従事者という、跡目は継ぎつつ。
 業態変換して、育林中心…それも有機林業で…
 再生産可能な、持続的地域産業へと。

 夢の実現に向けて、着々と地歩を固めていた…
 狩野(かのう)兄妹は。
 涙目でニュース速報を観ていた。

 幸いまだ晴れているので太陽電池で充電しながらだ。

 家と事務所はものすごく揺れたけど倒れはしなかった。
 家族と親戚と友人と知人と、職員すべてと取引先関連その他も含めて。
 地元には、大きな損壊も死者も重傷者も出なかった。

 乾燥中だった木材山も、崩れたけど折れたり割れたりはしていない。
 むしろ災害復興に向けて建築資材の需要と価格は高騰が見込めるだろう。

 …ただ。

 明日から、この地域には、大雨が降るという。
 まさに、ポーシャ毒が絶賛噴出中の、プツ湾。から。
 雲が…

 津波で幻視毒発電所とポーシャ毒性ゴミ捨て穴がもろともに海没して。
 水中で、幻滅現象を起こして。
 幻視妄想劣化烈火崩壊熱で。

 ぼっこぼこに沸騰している…
 海から。

 雲。
 というより水蒸気爆発的。な?
 ものすごい、煙柱が…
 沸いて、蠢いている。

 最中だと、いう…


     *


「…みなさん無事ですか~?」

「うましか先生ッ!」
「…カコです…」

 午後もだいぶ遅くなってから、パルパレ有機林業帯発足準備基金の支援『雲助』集団の筆頭募金主たるウマシカ先生が、電話をくれた。
 全員無事、と状況をざっと伝えると、
「あぁ良かった!」と心の底から安堵した笑顔で、言ってくれつつ。

 カコ先生の緊急連絡の主眼は、そこじゃなかった。

「明日から雨ですよね?」
「はい…」
「森、守りたいんです。」
「はい…」
「用意してあったものがあるんですけど…
 副作用というか想定外の副被害も、出るかもしれないんですけど…」
「…はい?」

「試してみても、いいですか…??」


     *


 とりあえずお願いしますと言ってみたら、一時間も待たずに、空飛ブータ号と僚機が連れだって、ぶんぶんぶい~ん!と。元気に。飛んできて降りてきた。

「今から~、森の上に~、天幕を張りまーす!」
「はいぃ?」
「こっちのブータ号と~、あっちの子ブータ号で~、…こう?」

 実は自分もまだよく理屈は解っていないらしい運転手の富田さんが、簡単な図面を開いて、作業予定を説明してくれる。
 二機の飛空車のあいだにロープというか一定間隔で噴霧穴の開いた長い長いホースを張って飛んで。
 よくある、広い田畑の上空から農薬散布をするのと同じ要領で、『粟泡幕撒く(あわあわまくまく)液』とやらを散布するという。

「作業手順は~。大丈夫です! さっきパペルの屋敷林でも、同じことを~、小さいやつでしたけど、実験して成功済みです!」

「…いわゆる『煙タイソレイヤ』の逆版… いいもん成分のやつってことですか?」
「ポーシャ毒の、ヒバク直前のユース剤の予防対抗服用、的な…?」

「噴霧と違うんです。」と、『親よりでかい仔ブータ号』の運転手の前田園美(まえだ・そのみ)さん。

 噴射された薬液が、空中で酸素に触れると、あっというまに広がって固まって。
 何というか、プチプチシート?のような多層構造の、軽くて頑丈な多層膜状になって。
 広く山林の上をビニールハウスのような形に、数キロ平方単位で覆ってくれるという。

「カコ先生が~、言うには~、初期被毒を避けられると~、予後がかなり違うと~…?」

「一ヶ月ほどで幕は自然に融けて消えるそうです。素材はトウモロコシの茎とジャガイモの皮なので、生分解性は高く、環境負荷は少ないはず、と」

 前田さんのほうが比較的専門的に、説明を補足してくれる。

「想定される副被害としては、融けるまでの約一ヶ月のあいだ日照と呼吸を妨げて、植物を枯らしてしまうかも知れないこと。
 それでも推奨したい理由は、葉と表皮と土壌を、直後の直接の汚染から、かなりの確率で安全に防護できる可能性があるということ。…だそうです。」

 有機林業計画の関係者一同、三分間ほどだけ。
 額を集めて協議した。

 ウマシカ先生が言うことだ…
 試作品でも、トライする価値はある…

 なにより、日暮れがもうすぐで。
 飛空車は安全に飛べない時間になるし。
 それまでに作業を終えてもわらなきゃならないし。

 それより一刻も早く人命救助活動のほうに戻って。
 ひとりでも多く、救けてあげてほしいし…。

「…お願いします!」

 プロジェクト言い出しっぺにして最年少者の狩野愛子(かのう・あいこ)が。
 代表して、ふかぶかと頭を下げた。

「ぶい~ん!」
「かっこいいとは、こういうことさ ♡ 」
 とか、二人してポーズを決めて、にやっと笑って。

 空飛ブータ親子号は、すぐに元気に発進して、小一時間で。
 無事に任務を終えた。





十五・ 補佐役: 鷹野王也(たかの・おうや)の煩悶。


「パサミカワ農場のドームハウスは無事だそうです」

 カコ先生が言った。あぁ良かった。

「作業所事務所は損壊したそうですが、人は無事。資材も野菜も無傷。」

 ヨシノさんがぼやいた。

「ツキパタも、素直にドーム化しておけばよかった…」
「今からします。」
「へ?」

「とりあえず応急の仮設措置なので、台風級の強風が来たら破れますが」
「ほえ??」

 あくまでも、『天然の太陽と雨と風』という厳しい北国の気象条件の下で。
 完全無農薬・不耕起有機栽培…は、現実的には無理だが。
 なるべくそれに近い…理想に近い農法がやってみたいと。
 こだわっていたヨシノ以下主要メンバーが、反対し続けてきたせいで。

 いままでパペルの敷地周辺に広がるプキパタ農牧場の、広大な田畑と山林は。
 雨ざらしで吹きさらしの、天然の。

 大地の上、空の下にあった。

「冬季休業中の収益性が~★」とかで。
 早期全面ハウス化を熱烈希望する副社長らをはじめとした経営効率最優先したい勢との間では、喧々諤々の応酬が繰り返されてきた。

「このままドームハウスで定着するかどうかは、今回のポーシャ毒災害の騒ぎが一段落してから、また落ち着いて話し合うということで… いい?」

「…っす。」

 第一陣の大雨災害が降りかかって。
 農地と生育中の作物すべてが、激烈なポーシャ毒にまみれてからでは…
 遅い。

 ヨシノさんは少し哀し気な眼をして、覚悟を決めて潔く頷いた。


     *


(あぁ… オトコらしいわ…♡ )

 心の奥で懊悩にまみれて…
 呟くのは。

 ヨシノと同じく自称「心はオトメ」系だが。
 見た眼はハードゲイだと勘違いされている、
 農牧場管理補佐の。
 本名は鷹野王也(たかの・おうや)だ。

 彼女?の恋路と農場の明日は、

 前途多難だ…。


     *


 もだえる巨大な筋肉質の可愛らしい彼女?の、
 わかりやすい仕種を横目で眺めて。
 苦笑したり鳥肌たてたり、しつつ。

 パペルの施設整備班は総出で。
 無事だった電動農作業車をすべて集めて来て機材を着々と積み上げ。
 素早く展開した。

 消防出初式のホースの色シャワーのような。
 鮮やかに輝く水の柱が立ったかと思うと。
 すぐに固まって。
 それなりに強度のある、風船の柱のようなものが…
 出来上がる。

 そのアーチを畑から畑へと何本も、一定の角度と間隔を保って、正確に…
 しかけてまわる。

 そのアーチ群の上から、中型の作業用ドローンが。
 ぶんぶんと飛び回って泡あわ膜幕とやらを噴射する。
 …固まる。

「ほえ~…」

 ヨシノとタカノの名物コンビは、並んで呆然と作業を観ていた。

「こんなこともあろうかと。」

 カコ先生は、定番の科白を呟いた…。


     *


 地下ダンジョンへは着々と。
 地元住民が自家用農業車や空キタ救援便で。

 詰めかけて、来ている。