死にたがりの僕が、生きたいと思うまで。

 
「あああああああぁぁ!!!」

 足も頭も痛くて声を出すのすらきついくせに、無理矢理喉仏から張り上げて叫んだ。
 枕元にあったあづが持ってきてくれた本を掴み、破いた。何十ページも一気に。病院の本だとわかっても、そうせずにはいられなかった。どうせ患者に弁償しろなんて言ってこないだろう。そう思って無我夢中で破いた。良くないと思ってても、物に当たらずにはいられなかった。当たれば気が済むわけでもないのに。
 もう嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ! 
 俺が何したって言うんだよ!!
 なんで何もかも奪われる! 姉も、両親も、自分の命すらも‼ どうせ殺すなら、せめて逆にして欲しかった。俺が姉より先に死ねばよかった。それなのになんでっ!! 
 ――やめろ。希望を持つのも、どうしようもない現状を嘆くのもやめろ。お前はなんもできねぇだろ。なにかできたら苦労しないんだよ。
 いじめられた時から知ってるだろ。――神は残酷だって。残酷でなければ、俺はとっくに死んでるハズなんだよ!!
 嘆きは止まらない。どうせ手に入らないと思うのに、期待が止まらなくなってしまう。
 ――友達が欲しい。――誰かに相談したい。このやり場のない想いを。
 ――誰か助けてくれ。
 アホか。さんざん邪険にしたくせに今更助けてくれなんて、虫がいいにも程がある。助けてもらえるわけないだろ。
 お前は人殺しだろうが!
 最愛の姉を殺したんだぞ!
 助けられたら奇跡なんだよ‼
 ボロボロになった本をゴミ箱に投げ捨て、俺は泣き崩れた。
「朝か……」
 気が付けば朝になっていた。いつの間にか泣き寝入りしていたらしい。
 目を擦って涙を拭っていたら、また頭痛がおしよせてきた。
「痛っ!」
「赤羽くん、大丈夫っ!?」
 ナースコールを押すと、すぐに看護師と穂稀先生がきてくれた。渡された薬を飲むと、徐々に頭痛が収まってきた。
「はぁ……」
 頭を押さえながらため息をつく。
 自分は病に侵されていることを今更のように実感して、冷や汗が出た。
「薬、多めに持ってきたから棚の上に置いておくね。また痛くなったら飲んで」
 病室の端に置かれた棚の上に薬と水の入ったコップを置いて、先生は言う。
 棚に入ってるのは、替えの病衣と自殺した時に着た服だけだ。寝るためのベッドに、医者や見舞いに来た人が座る丸椅子、ゴミ箱、窓、それに花瓶。――必要最低限のものしかここにはない。遊べる道具もなければ、大好きな姉もいない。そんなせまい世界で、俺は死んでくのか……。寂しいな。そんなこと俺が考えちゃダメだけど。死ぬしかないんだし。
「赤羽くん、病室に監視カメラをつけてもいいかな? またいつ症状が起きるかわからないから、念のために」
 先生が真剣な顔で言う。
「……いいですよ。先生、昨日はすいませんでした。その本も」
 ゴミ箱にある本を顎で示す。
「大丈夫だよ。急に病気のこといった私も悪いからね。少しは落ち着いた?」
「……はい」
「そ。ならよかった。赤羽くん、もう一度聞くけど、本当に手術はしなくていいの?」
 先生は首を傾げ、心配そうに俺の顔をのそきこむ。
「……しなくていいです」
「よく考えな。今はしなくていいって本気で思ってるのかもしれないけど、考え方が変わることもあるから。ね?」
「……分かりました。後先生、俺が重篤なの親戚には言わないでください。……たぶん、早く死ねって言われるだけだと思うので」
 先生は目を見開いて俺を見た。
「本当にそれでいいの? まさか、亜月君にも言わない気?」
 亜月……? あ、あづのことか。あづきであづね。
「……あいつは、友達でもなんでもないので」
 首を振って俺は言った。
「赤羽くん、少しでも友達だと思ってないと、そんな言葉はでないよ? 少しは素直になったら?」
「……じゃあどうしたらいいんですか。心配されたくないんです。これ以上世話やかれたくないんですよ」
 先生は口をつぐんだ。
「とにかく、アイツらにも親戚にも言わないでください。お願いします」
 上半身をベッドから起こし、頭を下げた。
「……わかったわ。それを赤羽くんが望むなら、そうする」
 俺の頭を撫でて、先生は笑った。
「ありがとうごさいます」
「うん。でも、本当にいいの? 何もかも話さなくて」
「……いいです。後先生、歩けるようになったらどっかの病院に移ってもいいですか。できれば日本じゃなくて海外の病院に」
「それはいいけど、どうして? まさか、何も言わずにいなくなるつもり?」
「……そうです。きっと捨てられないと思いますけど」
 捨てられないなら何も言わずにいなくなるしかない。
 俺にあいつらと一緒にいる資格はない。死ぬのに一緒にいるなんてダメだ。
「だったらここにいればいいじゃない!」
 先生は声を荒げた。
「それじゃダメなんです。あいつには俺が死んだのを引きずって欲しくないんです」
「……わかったわ。でも、よく考えな。手術のことも、病気のことを話すかどうかも、転院するかどうかも。ね?」
 先生から顔を逸らし、口をつぐむ。
「わかった?」
 俺の顔を覗きこんで、先生は言う。
「……はい」
「ん。じゃあ後でカメラをつけに看護師とかが来ると思うからよろしくね。その時に朝食も持って行かせるから。じゃあ、またね」
 そういい、先生は病室去ろうとした。
「あ、先生、待ってください」
「ん?」
「あの、俺ってこのまま手術受けなかったら、余命どんくらいですか」
「そうだね。君の病気はそんなすぐ死ぬ訳じゃないの。悪化してヘルニアになったらそうなる可能性が高いけどね。悪化するのがいつかわからないからまだなんともいえないけど、きっともって数年かな」
「……そうですか」
 数年か。じゃあ大方、成人は迎えられないだろうな……。
「……うん。じゃあ、またね」
「はい」
 小さな声で、俺は頷いた。

 先生がいなくなった後、俺はベッドの後ろにあった窓を開けた。
 風が入ってきて、ベッドのそばにある丸椅子とゴミ箱が揺れる。俺の黒髪も一緒に揺れた。
 空では、太陽がさんさんと輝いている。気温は二十度くらいだろうか。梅雨入りしたのに良く晴れている。太陽を見るのは久しぶりだな……。
 眩しくて手で顔を隠していると、額から汗が流れた。
「……そりゃ、生きてたら汗くらい流れるよな」
 汗を拭って小さな声で呟く。
 後数年で汗も流れなくなって、そのうち息もできなくなるのか。
 一筋の涙が頬を伝う。――死にたくない。人殺しの俺に、長く生きる資格なんてないのにそんなことを思う。
 生きたいわけではない。
 生まれてからずっと死ねって言われてたし、それでも生きたいとは思えない。そんなことが思えるほど俺は強くない。
 ただ、死にたくはない。
 ――死ぬのは怖い。
 当たり前のようにしていた息が突然できなくなって死んでしまうのを想像したくない。そうなるのがどうしようもなく怖い。でも、受け入れるしかないんだよな……。
 俺は窓を閉め、ベッドに寝っ転がった。
「痛っ!」
 足が動いて、猛烈な痛みに襲われた。
 ……死んだら痛みも感じなくなるのか。
 ますます死への恐怖心が強くなり、思わず悪寒が走る。――怖い。でも受け入れないと。
 長く生きてても親戚やいじめっこに早く死ねって言われるだけなんだから。
 「あづ、俺はいいって」
「いい加減しつこいぞ潤!ここまで来たならお前も入れ!」
 お昼頃。廊下から大声が聞こえてきた。なんの騒ぎかと思って身体を起こすと、病室のドアの前で、潤とあづが言い争いをしていた。
「でっ、でも!」
「いーじゃん!……俺、潤もなえと仲良くなんなきゃ嫌だよ」
 拗ねるみたいに頬をふくらませてあづは言う。ドア越しでもあづの声は大きくて、よく聞こえた。
「……ああもう、わかったよ」
 あきれたように肩を落とし、潤はそう言うかのように口を動かす。あづより声が小さいから、本当にそういったかはわからない。でも、多分そう言った。
「やっほー! なえ!」
 病室に入ってくるなり、あづは声を上げる。一緒に入ってきた潤は、何も言わず丸椅子に座った。
「うわっ、本当に来た」
 俺は嫌そうな顔をして言う。
「当たり前だろ。お前が来いって言ったんだから」
「うるせえ」
「……否定しねぇのかよ? うわっ、マジ? あづすげーじゃん。本当にこいつにまた明日来いって言わせたのかよ!俺はてっきり冗談だとばかり……」
 潤は目を見開いて叫んだ。
「ああ!だから言っただろ!絶対仲良くなれるって!」
 嬉しそうに笑ってあづは言う。
「……俺はこいつと仲良くする気なんか」
「そんなこというなよー。なえも友達は大勢いた方が楽しいだろ?」
俺の隣に座り、あづは俺の肩に腕をのっけて、足をブラブラと動かす。
「……別にお前のこと友達だなんて思ってないし、これから友達になる気もねぇ」
 俺はあづにデコピンをして憎まれ口を叩く。
 嘘だ。
 俺は少なくとも、あづには心を開きかけている。友達だと思ってなくても、友達になりたいとは思っている……かもしれない。
「いやそれ絶対嘘だから!友達だと思われてなかったら絶対帰れって言われてるし! なぁ、潤?」
「……まぁ、確かに帰れとは言われてないな。この前来た時と違って」
「だろだろ? やっぱ今日来て正解だっただろ?前より丸くなってるし」
「……まぁ、前よりはな」
 控えめに潤は頷く。
「なってねぇ。帰れ」
「帰らねぇよ? あと、そのやり方は汚ねぇ」
「はいはい。重いからどけろ」
 そう言い、俺はあづの腕を摑んでどかした。
「えっ、……確かに、大分丸くなってるな。 会ったばっかの時なら今絶対振りほどいてたし、隣にいんのも嫌がってただろうからな」
 うんうんと頷きながら潤は言う。
「だろー?」
 潤の方を向いて、あづは口角を上げて上機嫌に言う。
「俺、明日も来ようかな。あづがいくなら。こいつと仲良くなる気はねぇけど!」
「いや仲良くなれよそこは!」
 声を上げてあづは突っ込む。
「だって、あづこいつといたら俺の扱い雑になるだろ」
「なんねぇよ⁉」
「……お前らウザイくらい仲良いな」
「まぁな!お前も一緒に3人で仲良くしようぜ!」
 親指を上に上げ、残りの指を曲げてあづはいう。グッドのサインだ。
「「しねぇ」」
「だからなんで潤まで乗り気じゃないんだよ!」
「だってこいつ常識ねぇし」
「……そんなこと言ったら俺もないだろ? 髪染めてるし、学校休みがちだし」
「……お前は特別」
 あづの頭を撫でて、潤は言う。
「じゃああいつも特別にしろよ! 不平等な潤は嫌いだ!」
 頬をふくらませて、あづは潤から顔を背ける。
「わ、わかった!ごめん、ごめんあづ」
 慌てて手を合わせて、申し訳なさそうに潤は言う。
「よし!じゃあ明日も二人で来るからな!なえ!」
 そういうあづと、肩を落としながらも笑う潤を見て、胸が熱くなった。ムカついた。同時に、ほんの少しだけ羨ましいと思った。こいつらは本当にお互いのことを信じあってるんだとわかって。俺もそういう友達が欲しかった。こいつらといたら、きっと人生が楽しくなるんだろうななんて、そんなことを思う。俺は人生を楽しんだらいけないのに。
「……わかったよ。もう好きにしろ」
 そう思うのに、気がつけばそう口走っていた。 ……好きにさせちゃダメだろ。死ぬんだから。
 来るなって言えよ……。
 言えるわけがなかった。
 やっとできた友達にそんなこと言えるハズもない。

 ……友達?

 否定したくせにそんなふうに思ってたのか……。
 先生に友達じゃないって言ったのも、さっき否定したのも認めたくなかったからだ。友達だと思ってるのを認めたくなかった。だって認めたら、大切に思ってると自覚したら、別れが辛くなってしまうから。

「なえ? 何ぼーっとしてんだよ。あ、もしかしてまた頭痛いのか? だから喋ってなかったのか? 先生呼ぶか?」
 突然、あづが心配そうな顔をして言ってくる。
「アホか。平気だよ」
 あづの頭を叩いて、呆れたように言う。
「あ、お前今笑っただろ⁉」
「笑ってねぇ」
「いや絶対笑った。口角上がってたってマジで。写メ撮っとけばよかったー。なえが笑うの超貴重なのに」
「撮らなくていいわ。この馬鹿が」
 あづの頭を叩く。
「いーじゃん。照れてんの?」
「フッ。あづなえ大好きかよ」
 潤は鼻で笑って、呆れたように言う。
「好きに決まってんじゃん? 友達なんだし」
「誰が友達だ誰が」
「友達だろ毎日会ってんだから。な? 潤」
「……まぁ、そうだな」
「それ見ろ! 二対一だからもう友達だ! これ決定!」
「多数決で友達かどうか決まるわけねぇだろ」
「なんだよノリわりぃな! こういう時は友達だっていえばいいんだよ!」
「言わねぇ」
 友達だと思ってても、それを認めちゃダメだ。
 ちゃんと取り繕わないとダメだ。だって繕わないと、何もかも話したくなってしまう。いじめのことも姉のことも。そんなのダメだ。そんなことしたら捨てられてしまう。
 先生には最悪繕ってるのがバレてもいいけど、こいつらにまでバレたらダメだ。絶対ダメだ。そう思っていても、日に日に俺の化けの皮は剝がれていった。そして、ある出来事が完全に俺の化けの皮を剥がした。
 七月中旬。足の骨折が治った俺は、午後からリハビリをしていた。
「なえー!」
 リハビリ室の入り口に空我と潤と、見知らぬ子が来た。
 同年代くらいの女だ。茶色い髪をしていて、まつげが長い。姉を思い出して、思わず目を背けた。
「赤羽くん、どうかしました? 会わなくていいんですか?」
 看護師が小声で言う。
「……あいつら帰らせてもらえますか」
 看護師に小声で言う。――看護師はまだしも、同年代の女に会うのは無理だ。姉を思い出して、自己嫌悪に襲われるから。
「……わかったわ」
「すみません」
 翌日、三人は朝から来た。土曜日だったから三人とも一緒に来れたようだ。
「なえ、昨日はよくも追い返してくれたな?」
 俺を睨みつけてあづは言う。
「出てけ。……最初からこうすればよかった。そう思ったから追い出したんだよ」
「は? なんだそれ。俺達は友達じゃねえのかよ」
 力のない声であづは呟く。
「だから、俺がいつそれを認めたんだよ」
 同年代の女と同じ空気を吸うのが無理だった。仲良くなれば確実に姉のことを話してしまう気がしたから。
「なえ、もしかしてお前、女嫌いなのか?」
 怪訝そうな目をして潤は言う。
「あ、それで出てけの一点張りなのか!」
「ちげぇ。俺はその女だけじゃなくて、お前ら三人に出てって欲しいんだよ」 
「なんでだよ。理由教えてくれなきゃ、出ていかねぇ」
 子供みたいに空我は拗ねる。
「ハッ、駄々っ子か」
 馬鹿にするように言う。
「ちょっと! あづはあんたを心配して言ってんだよっ⁉」
 俺の肩に手を置いて、女は叫ぶ。
〝奈々絵〟
 姉に世話を焼かせた時のことを思い出して、涙腺がゆるみそうになる。思わず手を思いっきり振りほどいて叫ぶ。
「触んなっ!」
「恵美、大丈夫か?」
 潤は首を傾げ、女の手を触った。
「うん、平気」
 恵美と呼ばれた女が頷く。
「あづ、もう帰ろう」
 あづの肩を叩いて潤は言う。
「なんでだよ。理由聞かなきゃ帰らねぇ。そんなに帰りたいなら、お前らだけ先帰ってろよ」
 あづは二人を睨み付ける。
「でも、このままじゃ拉致が明かねぇぞ」
「それでも俺はこいつと話がしたいんだよ‼」
 俺を指さして、あづは叫ぶ。
「俺は話すことなんてねぇ」
「あるだろ。なんで出てけって言ったんだよ。それくらい教えろ」
「元からお前らに心なんて開いてないからだよ。もう演技すんのも馬鹿らしくなった」
 あづは目を見開く。
「本気で言ってんのか……?」
「ああ。そうに決まってんだろ」
「嘘。だってあんた、泣きそうな顔してるじゃない」
「俺が泣いたとこなんて見たことねぇくせによく言えるな」
「言えるわよ。だって今、あんた泣いてるもん」
 恵美が俺の頬に触れる。触れた指先が、俺の涙で濡れていた。
「……ふざけんな。何も知らねぇくせに、大した覚悟もねぇくせに世話焼こうとすんじゃねぇよ‼」
 声が枯れる勢いで叫ぶ。
 口だけの奴が一番(たち)が悪い。
 どうせ俺が人殺しなのを知ったら捨てるに決まっているのに。
 捨てられるのは怖い。でも俺はそれ以上に、助けると言って助けてくれない人間が気にくわないんだ。
 裏切られるくらいなら、自分から裏切れ。どうせ捨てられるなら、自分から捨ててしまえ。そう決めたなら、それをとことん貫け。どうせ手に入らないとわかっているくせに、掴もうとするな。
 ――俺はそれがお似合いだ。どうせ死ぬなら友達なんて欲しがるな。奴らの顔を見ればわかるだろう。人殺しと一緒にいる覚悟なんてないと。