奈々が帰るとき、席に倉瀬はいなかった。
確か打合せで席を外していたはずだ。
今にもこぼれそうになる涙は、かろうじてフロア内では堪えた。
だから誰にも見られていないと思っていた。

それなのに、どこで見られたのだろうか。
会社を出るときだろうか。
それより、どうしてそんなことを聞くのだろう。
涙の理由が、“倉瀬に失恋したから”なんて本人を前にして言えるわけがない。

言えるわけがないのに、いざ倉瀬を目の前にすると奈々の瞳にはみるみる雫がたまっていった。
今にもこぼれ落ちそうなくらいの大粒だ。

上手い言い訳なんて思い付かない。
頭なんてこれっぽっちも働かない。

瞬きをしたら、ついに一筋涙がこぼれてしまった。

「俺には言えないことか?」

倉瀬の長い指が、奈々の涙を掬う。
その仕草が優しくてくすぐったくて、余計に涙を誘った。

「…ごめん、なさい。」

ようやく絞り出た声は小さく震えて、消えてしまいそうだった。

「奈々、俺を頼れって言っただろ。」

倉瀬の力強い言葉が、奈々の胸を突き刺す。

本当は頼りたい。
でも、無理だよ。
そうでしょ?