3.ボクは公衆電話を使わない


「行きずりの強盗事件に巻き込まれた、か……ありがちと言えばありがちだけど」
 ナミダ先生が独り言を呟いている。
 まぁ、よくある事件と言えばそうかも知れないけど、遭遇した本人たちにとってはたまったものじゃない。
「台所の包丁(ほうちょう)で、父は刺されていました……」肩を抱きすくめる水河ちゃん。「父は工場で夜勤が多いらしくて、昼間は家で寝てるそうです……きっと強盗は、空き巣狙いで侵入したものの、父が在宅中で鉢合わせ、咄嗟に台所の包丁を手に取ったんじゃないかって、警察が言ってました……」
 あまつさえその日は、浅谷親子が訪問する予定もあったから、父は起きていたという不運も重なった。寝ていれば殺されずに済んだかも知れないのに。
「なるほど」ポンと膝を叩くナミダ先生。「あなた方は、養育費の悩みだけでなく『死体を目の当たりにしたトラウマ』も新たに植え付けられたんですね」
「ええ……元・夫の家から紛失した金品などからも、強盗と見て間違いなさそうだと警察に言われました」
 母親がやる瀬なく唇を噛みしめた。
 途方に暮れるのをこらえている挙動だ。ギリギリで自我を保っている。
 本当は気が滅入って寝込みたいだろうに――。
「……死体発見後、すぐに一一〇番通報したんですけど、みんな携帯電話が圏外なので、やむを得ず家の電話を借りました」
「仕方ないですね。指紋が付いてしまいますが、警察もそこは了承してくれるでしょう」
「ええ……田舎なので駐在の警官が駆け付けるまで、結構な時間がかかりました。所轄の捜査一課が来るのも遅かったと記憶しています」
 初動捜査の遅れか……のどかな田舎町だからこその落ち度だなぁ。
「通報は弁護士さんがしてくれました」胸をキュンキュンさせる水河ちゃん。「怯える私たちの代わりに、全て弁護士さんがやってくれました。頼りになる人です……素敵」
「じゃあ家の電話には弁護士さんの指紋が付いたんだね。普通のプッシュホンかい?」
「はい……どこにでもあるコードレスホンです」
 水河ちゃんってば、血の気を引いたり恋する乙女の顔色になったりと、ころころ表情を様変わりさせている。感情豊かで忙しいなぁ。百面相かよ。
「その後も、警察の捜査に協力して……弁護士さんのおかげで、目撃証言とかもスムーズに済みました」
「電話は他になかったのかい?」
「父のケータイが、死体のそばに落ちてましたけど……さすがにそれを手に取って通報するのは、弁護士さんも避けてましたね……」
「そばに落ちてた、か。屋内でも常に持ち歩き、殺された拍子に転がり落ちたのかな」
 ナミダ先生が物思いにふけった。ぼーっと天井を眺めている。
 どうしたんだろう? 何か引っかかるのか?
「水河さんが無人駅で公衆電話を使ったとき、父親の自宅に電話したんだよね?」
 ナミダ先生、やたら電話にこだわっているな。
「そうです……父の自宅にかけるよう、弁護士さんから頼まれてたんで……」
「ケータイを肌身離さず持ってる人なのに、自宅の電話へ?」
「そんなに不思議ですか……? 家に居るから家の電話にかける、普通のことだと思いますけど……」
 水河ちゃんがにわかに警戒の色を濃くした。
 あたかもナミダ先生に詮索されているようで、気分を害したのかも知れない。
 悩み相談から一転して、殺人事件の聞き取りみたいになっているのも空気が悪い。
「現場検証もやりましたよ……警察と一緒に、公衆電話も確認しましたし……」
「異状はなかったのかい?」
「特には何も……ねぇ、ママ?」
「そうね……あ、でも」
 母親がポンと手を叩き合わせたので、ナミダ先生が視線を細めた。そんな熱視線に母親はほだされたのか、ついペラペラと饒舌に語り出す。イケメンって便利だな。
「わたしの勘違いかも知れませんけど、公衆電話のプッシュボタンの並びが初見と違っていたような……上段が①②③、中段が④⑤⑥、下段が⑦⑧⑨でした」
「え? 逆じゃなかった?」
 水河ちゃんが母親に反論した。
 おいおい、記憶違いが生じているぞ。
「わたしの見間違いかしら。大して気にしなかったから、警察には言わなかったけど……気が動転して混乱しているだけかも知れないわね」
「そうですか。では、父親の死亡推定時刻は?」
「え……なんでそんなこと」
「電話したときは生きていらしたんですよね?」
「はい……無人駅に着いたのが午後〇時で、娘が公衆電話を使ったのも同時刻……そのとき元・夫と通話したので、彼が殺されたのはそれ以降ですね……弁護士との合流が一時過ぎ。昼食をとり、車で夫の家へ向かったのが二時半頃でしょうか……」
「つまり午後〇時~二時半の間。死斑が浮かぶ時間差も考えると二時前まで絞れるか」
 またもや天井を見上げるナミダ先生は、心ここにあらずだった。
 脳内でめまぐるしい思考が展開しているんだろうけど、ボクには理解が追い付かない。
「水河さんが公衆電話をかけたとき、弁護士は車で移動中だったんですよね?」
「はい……事務を終えて田舎へ向かう途中だったようです」
「証明できるものってありましたか?」
「あります!」挙手する水河ちゃん。「弁護士さんは〇時頃、田舎に向かう途中の国道沿いにあるコンビニで、飲み物を購入したそうです……レシートが警察に提出されました」
「別の場所に居て、田舎に行く最中だった、と。アリバイ成立か」
 アリバイって、不在証明とかいう意味だっけ?
 これまた物騒な単語が出て来たな。
 事件と違う場所に居たので、犯行とは無関係だと立証できるわけだ。
「怪しいなぁ」
 ところがナミダ先生は、丸っきり信じていなかった。
 ボクも、水河ちゃんも、母親も、思いがけない発言に耳を疑ったよ。
「先生、私の弁護士さんを疑ってるんですか…………あっ」
 RRRR。
 そのとき、水河ちゃんのポケットからスマホが着信音を奏でた。
 抗議を邪魔されて機嫌を損ねた彼女だったけど、面倒臭そうに通話へ応じる。
「もしもし……え、警察の方ですか? 強盗事件のことで質問? ……はい、私は公衆電話から父の自宅にかけましたが……は、違う? ケータイ(・・・・)にかかってた、ですって?」
「え?」
 母親が娘を二度見した。
 水河ちゃんも混乱のあまり、目をぐるぐる回している。
「私は父の自宅にかけたつもりでした……え? 着信履歴ではケータイにつながってたんですか? じゃあ私、見間違えたのかも。父の自宅とケータイ番号、並べてメモしてたんで……どのみち父にはつながったので、気にしてませんでした……はい、失礼します」
 通話を切った。
 意外な情報が飛び込んで来た。
 折しもこんなタイミングで、(はか)られたように。
 ナミダ先生が口角を持ち上げた。
「心理学において、人の記憶は全て『普遍的無意識(ふへんてきむいしき)』に貯蔵されると言われてる。その無意識に精神を接続すれば、そこに蓄積された記憶や情報が『共有』され、計ったようなタイミングで提供されるよう働きかけることも可能となる……」
「は? ナミダ先生、突然どうしたんですか?」
 ボクは思わず突っ込んじゃったよ。
 何言ってんだ、この人?
「その結果、こうして新情報がもたらされた。水河さんは電話をかけ間違えた(・・・・・・・・・・・・・・)、ということにされた。でも、果たしてそれは本当だろうか?」
「一体、何を疑っているんですかナミダ先生?」
 ボクがしびれを切らして問う。
「電話に細工がされてたようだね。あるある――」
 ところがナミダ先生は聞く耳すら持たず、相変わらずしれっとした面相で持論をのたまうんだ。

「――僕の仮説だけど、加害者は弁護士だと思うよ」

「はぁっ?」
 室内の全員が、寝耳に水どころか濃硫酸でもぶちまけられたように飛び跳ねた。
 弁護士が加害者って……犯人ってことだよね、それ?
「浅谷さん。あなた方は、父の死体発見によるショックで精神を痛めてます。ろくでもない男だったとはいえ、彼の養育費を当てにしてたのも事実ですからね。その心の傷を癒すためには、事件を解決する必要があります、あるある」
 心を癒すために、事件の真相を暴く。
 それが、ナミダ先生のカウンセリング方法。
 心理的な見地から、物事を照らし出す客観視と洞察。
 事件の『真相』とは、心の『深層』でもあるんだ。
(ボクのときも、このカウンセラーは事件を紐解いてくれた。心の在り方を、心理の道筋を示してくれたんだ)
「これは、ありがちなアリバイ・トリックです」
「アリバイ・トリック?」
「推理小説によくある趣向です、あるある。犯行をごまかすために、別の場所に居たという偽証を用意すれば、警察には疑われません。例えば、自分そっくりの肉親に協力してもらい、別の場所で目立った行動を残せば、犯行当時はそこに居たと主張できます。もしくは死体の発見を遅らせたり、化学薬品や冷凍保存で腐敗速度をごまかしたりして死亡推定時刻を狂わせることで、その時刻に他の場所でアクションすればアリバイを作れます」
「き、聞き捨てなりません……!」
 水河ちゃんが立ち上がった。
 激昂している。
 大好きな弁護士を犯人呼ばわりされたから、本気で血相を変えている。般若の面みたいだ。そこまで惚れているのか。
 まぁ母子家庭で辛い状況の中、親身に協力してくれる男手というのは魅力的に映るんだろうけど……。
「水河さん、座りなよ」
 ナミダ先生が命令した。
 でも、彼女は座らない。
 水河ちゃん、完全に怒り心頭だよ。きちんと説明されるまでは収まりそうもない。
 ナミダ先生はやれやれと溜息をついてから、諦めてそのまま話を続けた。水河ちゃんに見下されたまま。
「恐らく、弁護士は事務なんか立て込んでなかった。そう偽って、単独で父親宅に先行したんだと思う。ありがちありがち」
「先行……? なぜですか!」
「そりゃ父親を殺すためさ。死体に死斑が出始めるのは死後数十分からで、徐々に色濃くなって行く。個人差はあるけどね。午後〇時以降に殺されても余裕で発生するけど、少しさかのぼって午前十一時とかに殺されても、死斑の色合いは誤差の範囲だろう」
「そんな……だって私は、生きてる父と電話したんですよ?」
「それが弁護士のトリックなのさ。午前中に、弁護士は車で父親宅をこっそり訪ねた。そして父親を殺害し、強盗の仕業に見せかけるべく家を荒らし、金品を奪った。山中を探索すれば、捨てられた金品が発見されるんじゃないかな。うん、ありそうだ」
「ぜ、全然、私の解答になってませんよ! 弁護士さんはなぜ……」
「弁護士もまた、君にご執心だったんだ。弁護士も君を見捨てた父親が憎かったのさ。だから殺して、金品とケータイを持ち出した」
「ケータイ? 父のですか?」
「ケータイを奪った弁護士は至急、車で引き返し、午後〇時に国道沿いのコンビニへ駐車した。その時刻は、君たちが電車で無人駅に到着する時間でもあったね」
「弁護士さんは時間を見計らってたんですか……?」
「そうなるね。そして君たちのスマホが圏外で、公衆電話を使うと予測した。いや、そう仕向けたのかな? わざわざ電波の悪いキャリアに変更させたそうじゃないか」
 キャリア変更……! それも仕組まれていたのか!
「そして君は案の定、公衆電話から父に電話した。しかしそれは、弁護士が持ち出した父のケータイにつながった」
「え、意味が判りません……」
「君は自宅に電話したつもりでも、実際はケータイにつながった。弁護士は父の振りをして(・・・・・・・)怒鳴り散らし、すぐに電話を切った。長話したらバレる恐れがあるからね」
「えぇ……?」
「君は父親のD・Vに(おび)える被虐待症候群だったから、怒声を反射的に父親だと思い込んだ。おかげで父親は午後〇時までは生きてたことになり、弁護士のアリバイも成立する」
「私が電話をかけ間違えたのは、偶然ですよ……?」
「違うね。午前中に弁護士が田舎へ先回りして、公衆電話のボタンに細工したんだ」
「ボタンに細工を……?」
「君は、公衆電話のボタンがパソコンのテンキーと同じだと言った。テンキーは上段が⑦⑧⑨の並びだ……そんな馬鹿な! 公衆電話は家の電話と同じく上段が①②③だよ!」
「ええっ?」
「プッシュボタンの上に、薄いプラスチック製のボタンカバーを造ってかぶせれば、並びのあべこべな電話を偽装できる。君たちは公衆電話を使ったことがなかった(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)から、ナンバーの並びが逆になってても不思議に思わなかったんだ」
「た、確かに……気付きませんでした」
 水河ちゃんはおろか、母親までもが意気消沈している。
 何しろ初めて使うんだから、公衆電話のボタン配置に疑問を抱く余地すらなかったに違いない。ボクも知らなかった……。
「電話のボタンを細工するのは、昔からよくあるトリック(・・・・・・・・)なんだよ、あるある」
「そうなんですか?」
「うん。電話機がまだ一般に浸透してなかった時代は、シールやカバーで数字を上から貼り替えてもバレなかったんだよ。プッシュホンが初登場したときも同様だ」
 そうか。馴染みが薄いものは、疑いようがない。細工に気付かないんだ。
 ちょうど今のボクたちみたいに……。
「当時の推理モノや二時間ドラマで、この手口を見た人も多いんじゃないかな? 模倣しやすいトリックだから、注意を呼びかける人も居たと思う」
「へぇ~……」
「無論、電話が広く認知されてからは一気に廃れたけどね。みんな番号の並びを知るようになれば、配置が違ったら一発でバレる」
「確かに……」
「でも現在、再びこの手のよくあるトリックが通用するようになった。今は携帯電話で事足りるから、公衆電話を知らない世代が増えた(・・・・・・・・・・・・・・・)んだ。昔の電話機が珍しかった頃と同じ状態さ。時代は繰り返すね、あるある」
 時代を超え、期せずして公衆電話に不慣れな人口が増え始めた。
 つまり……ボタンの誤認トリックがまかり通ってしまう!
「このようにして、水河さんは上段の⑦⑧⑨をプッシュしたつもりでも、実際は①②③を押してたわけだ。同じように、下段の①②③を押したつもりが、実際は⑦⑧⑨を押してたんだ。偽装カバーのせいで、まんまと一杯食わされたんだよ。あるある」
「一体どこからそんなカバーを……」
「君の父が工場で造ってるのは、各種機械のボタンカバーだったよね?」
 ああ!
「そこで密かに電話用のボタンもこしらえた。かぶせるサイズを調整して、こっそりと」
「父が……!」
「弁護士はずっと前から、君の父をそそのかしたんだろう――『あなたの妻と娘が養育費をせびりに来ますよ。でも俺に従えば、訪問されずに済みますよ』ってね。父は弁護士に言われるまま、職場でこっそりボタンカバーを製造した。製造機械の設定をちょっといじれば可能だし、CAD(キャド)オペで製図知識があれば、3Dプリンターでも簡単に造れる」
「父の自宅番号は030・72731・4989……でもボタンの上段と下段が逆さまだったから……」
「そう。君は自宅にかけたつもりでも、実際は①②③と⑦⑧⑨が反対に入力されてた。すなわち――」

 030・72731・4989(自宅の番号)
  ↓  ↓↓↓↓↓  ↓↓↓
 090・18197・4323(携帯電話の番号)

 父親のケータイ番号じゃないか!
「だから私、自宅にかけたつもりが、父のケータイにつながったんですね……」
「弁護士は父の振りしてケータイに出て、無人駅に着いたあとは公衆電話のボタンカバーを回収し、喫茶店に入った。人の居ない田舎だから、公衆電話の細工なんて誰にも目撃されなかった」
「ううっ……」
「そして君たちと合流し、父親の家に向かった。そこで死体を発見し、混乱に乗じてこっそりケータイを死体のそばに返却した(・・・・・・・・・・)。もちろん指紋などは拭き取ったはずだ」
 うん。つじつまは合う。
 合ってしまう――。
「ですが……自宅とケータイの番号が、プッシュボタンを入れ替えたら一致するなんて偶然、あり得ますか……?」
「もちろん弁護士が父親をそそのかした際、番号を変えるよう打診したんだろう」
「弁護士さんが、そこまで私たちのために動いてくれるなんて……」
「きっと正義感あふれる人なんだろうね。あと、君が弁護士に入れ上げるのと同様、弁護士も若い女の子に慕われて悪い気はしないだろう。君たちを酷い目に遭わせた父親が憎くて、いっそ殺してしまおうと決意したのはあり得るよ、あるある」
「信じられません……! 本当にそれが真実なんですか?」
「真実は、人の心の数だけあるよ」胸に手を当てるナミダ先生。「心は全ての源だ。なぜなら、あらゆる物事は人の心が起こす(・・・・・・・)ものだからね。心理学で説明できないことはないのさ。うん、ないない」
「じゃあ……私はどうすれば」
「弁護士と話をしよう。彼から直接聞くのが一番じゃないかな? 君だって思い当たるフシがある(・・・・・・・・・・)だろう――?」

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