アパートへ帰る途中、加波子に向かって男が走ってくる。航だ。かなり息を切らしている。亮に何かあったのだ、加波子は直感した。

「何があったんですか?!」
「亮がいない…。」
「え…。」
「前とは違う…。」

 賑わう商店街の真ん中。航の息は上がったままだ。

「部屋がめちゃくちゃに荒らされて…血の跡も…。」
「血…?」
「警察に通報はしたけど、動いてくれるかどうか…。とりあえず工場の連中と手分けして探してるんだけど…。意味ないかもしれないけどな…。」

 加波子は慌ててスマホを出す。亮のスマホにかけるためだ。亮のもう一台のほうに。

「無駄だ、つながらない…。」
「亮はスマホを2台持ってるはずなんです。1台は亮の、もう1台は私がこっそりジャケットに入れて…。」
「あんた…。」
「それを今、亮が持っていれば…。」

 亮は雑居ビルが並ぶ、ビルとビルの間。男が1人いる。亮の顔は腫れ、血まみれだった。腹を何度も殴られ蹴られ、壁にぶつかりズルズルと下に落ちていく。亮のスマホの液晶は割れ、本体は曲がっていた。男は言う。

「おまえまさか逃げる気でいたのか?」

 亮は殴られる。

「まさかな。側近に知れたらどうなるかなぁ。」

 その時だった。加波子だ。

 ブーッ ブーッ ブーッ

「?なんだ?なんか鳴ってるのか?おれでもないし、おまえのはぶっ壊したし…。おまえ、なんか隠してるな?」

 男が亮のダウンジャケットを掴み、亮は反抗するも、男に勝てる力はなかった。見つかってしまった、亮のもう1台のスマホ。

「なんだよ、やっぱおまえ隠してたのかよ。」

 殴られる亮。

「…カナコ?女?おまえ女いるのか?」
「やめろ…。」

 男は電話に出た。

「もしもし亮?!今どこにいるの?!亮?!」
「あんたこいつの女?」

 聞いたことのない声。慈悲のない声。

「誰…。」
「ともだち。今あそんでんだよ。」
「…今どこにいるの?」
「教えると思うか?」
「亮は?そこにいるんでしょ?!亮!何か言って!亮!」

 男はめんどくさそうに亮のもとへ行く。そしてスマホを亮の顔に近づける。

「やさしー女だな。なにか言ってやれ。」
「亮?!亮?!」
「…お前…何してんだ…。」

 男は壁に寄り掛かっている亮の腹を押し潰す。亮の悲鳴のような声が聞こえた。

「亮!!」
「聞こえただろ?おれってやさしーなー。じゃあ…。」
「待って!待って!」
「しつこいね、あんた。」

 加波子は時間を少しでも稼いだ。周辺の音を聞いていた。少しでも長く。

「待って…待って…。」
「じゃあね。」

 電話が切れた。

「亮は?!あいつは?!おい!」
「…線路が近くて、少しだけ…工場の音が…。」
「わかった!もう一度警察に連絡してまた探す!」
「私も!」

 加波子は航に腕を強く掴まれる。

「あんたはここまでだ。」
「どうしてですか!」
「わかっただろ、危険すぎる。」
「嫌です!私も探します!」

 航はそう言う加波子の両肩を強く掴み、ぶつけるように叫んだ。

「いい加減にしろ!あんたに何かあって一番悲しむのはあいつだろ!!そんなこともわかんねーのか!!」

 叫ぶ航に、加波子は黙る。

「じっとしてるんだぞ、いいな…。」

 航は走っていった。加波子はぶら下げていた妊娠検査薬の入った袋を落とす。そしてアパートに急ぐ。

 部屋に着いた加波子はリュックを出し、適当に荷物を入れ、そしてキッチンへ。包丁を出し、真っ白なタオルで包んでリュックに入れる。

 ドアを閉める必要も時間もなかったが、加波子は目を閉じ、何かに区切りをつけるかのように深呼吸をする。そして鍵をそっと閉めた。亮のもとへ急ぐ。

 商店街の真ん中。落とされた妊娠検査薬は、もしかしたら泣いていたかもしれない。