「と、とりあえず遅れちゃうし、学校行こうか。久我くん」
「そんなよそよそしくしないで、幼馴染(フィアンセ)。君は昔、僕のことをヨリって呼んでくれていただろう?」
「でも……」
「ヨリだよ、幼馴染(フィアンセ)
「久我君……」
「ヨリだ」

 私が呼び方を改めない限り、彼はここから動くつもりはないらしい。
 中間試験が迫る中呑気に遅刻をする訳にも行かないため、私は渋々彼の名を呼んだ。

「……行こう、ヨリ」

 ヨリの話によると、私は幼い頃この町に住んでいたことがあったらしい。彼とはその時に知り合い、その後引っ越した私は蒼遥高校に通うために一人で戻って来たという『設定』のようだ。
 幼少期の私とヨリがどんな関係だったかは分からないが、彼の様子を見るに私達は相当仲が良かったようだ。と言うより、ヨリが幼少期から私をひどくかわいがっていたことが言葉の節々から伺える。私を婚約者呼ばわりする点から類推するに、物心がつかない子供同士にありがちな、結婚の約束の一つでもしていたのかもしれない。

 やや過ぎた言動を覗けば、ヨリは至って普通の優しい青年だった。彼が見せる柔らかな笑顔は、どこか人の心を落ち着かせる魅力がある。

「折角再会できたんだ。君のためにできることなら何でもしたい」

 夏を控え、湿り気を帯びた空気を纏いながらも彼は爽やかな笑顔を私に向ける。

「君の願いなら、何でも叶えてあげるよ。何が欲しい? 内申点? それとも僕の苗字?」
「いやいや」

 迂闊に願望を口にすれば何でも持って来てしまいそうだ。
 せめて何かお互いのためになることはないだろうか、と私は頭を巡らせる。