「おはようございます」
「……おはよ」
 朝。何もない朝。
 ここ最近は生活習慣が回復して自ずと目が開く。だから時計を見なくても大体の時間は分かったり。もう休日の朝に時計の針を見て頭を抱えることもない。
 ただいつもとは違うのは視界の端に莉緒の姿があること。特に用があるわけでもなさそうな顔で私に朝の挨拶をする。
「起きて大丈夫?」
「え?」
「体調」
「あーすっかり元気です。多分」
「多分て」
 会話をしながらゆっくりと状態を起こす。
「昨日からずっと寝てたから、早朝に目が覚めちゃって」
「それで?」
「麻里さんの顔見てました」
「なんでよ……」
 莉緒の視線をあしらいながら、体に掛かった薄い茶色地のタオルケットを足元に蹴る。
 一度大きな欠伸をしてベッドから降りようとする私を見つめる莉緒に居心地の悪さを感じて見つめ返すと、にっこりと笑う。
「やっぱり麻里さん、変わりましたねー」
「なにが」
「気づいてないんですか?」
「……うん?」
「結構前からですよね。……あ、そういえば前にも一回言ったかも。麻里さん変わりましたねって」
「言われたかも。あとで教えるから今は教えてあげない的なこと言われた気がする」
 莉緒はもう一度、そういえばと笑って私の枕元に移動すると、ローテーブルの上をこんこんとノックするように叩く。
「麻里さん、あれが無くても起きれるようになってるじゃないですか」
「……あ」
 視線を向けると、そこにいつも存在していた緑色のプラスチックケースはない。
 ここ数年、必ずと言っていい程に毎朝口に放り込んでいたラムネ菓子。生活の一環になってしまいあれがないと起きれないくらいには依存していた筈なのに。
「いつから切らしてたんだっけ……」
「麻里さんが寝込んだ辺りじゃないですか?」
「もう十日くらい前じゃん……」
「いつになったら気付くのかなって思ってたんですけど、結局気づきませんでしたね」
「いつの間にか起きられるようになってる」
「まぁ、毎朝誰かと喋る生活なんて今までの麻里さんになかったと思いますし、それのお陰じゃないですか?」
 朝、時間になればおはようと声を掛けられて、それに私も乾いた喉でおはようと返す。それだけでこんなにも簡単に生活習慣が変わってしまう物なのか。
「よかったですね。ラムネ断ちに成功して」
「薬みたいに言わないでよ」
「実際似たようなもんじゃないですか」
 私はすっかりと覚醒した頭でベッドから降りる。
 寝起きに声を出すと喉の渇きが強く感じられる。この不快感も目覚めの役に立ってるのかも。
 依存を断ち切ったことを自覚した私は二本足で立ちあがり、大きく伸びをする。
「でも、これからは一人で起きられるようになってくださいね」
「え?」
 彼女の言葉に振り向く。背中に冷たい何かを突き付けられたかのような感覚だった。
「え、って。だって私、もう少しでいなくなるんですよ?」
「……あぁ」
「ラムネで起きるのも多分体に悪そうですし。これからは目覚まし時計とかで起きられるように癖を付けとかないと」
「……そう、だね」
「それに家事とかも。一通り教えて一通りできるようになったんですから。ちゃんと続けるんですよ?」
「……。はーい」
 私はきゅっと締まる胸を彼女に悟られないように軽い返事を口に出す。
 キッチンに逃げ込み、蛇口を捻る。綺麗な水が勢いよくガラスコップに注がれる様を凝視しながら、私は自分がはっきりと自覚してしまったことに気が付く。
「でもさ、まだ二週間くらいあるじゃん? そんな後のこと急に言われたらびっくりするじゃん」
 キッチンの死角となる私のベッドに話しかけるが、彼女は言葉を返さない。
「そりゃ私だって、莉緒にあれやこれや変えてもらったし、今後もできる限り続けるけどさ」
 ぺらぺらと口が回る。なぜか緊張していた。
「けどさ……」
 言葉が見当たらなくなり口籠る。
 自分が現在どんな場所にいるかを俯瞰して見て、戸惑う。
 いつの間にこんな所まで来てしまったんだろう。なるべく意識をし続けて、ブレーキを踏んでいた筈なのに。気づけば来るところまで来てしまった。
「ねぇ、麻里さん」
「……なに?」
「ううん。やっぱり何でもない」
 莉緒の顔は見えない。彼女の声は小さくて水流の音に吸い込まれる。
 視界に広がる静寂が私は耐えられずに、私は蛇口を捻り締め、一気にコップを煽る。
 ごきゅごきゅと喉を鳴らしながら水を体内に流し込む。
 息ができない。苦しい。そしてそのうち気管に水が入り盛大に咽る。
 大きな音を立ててコップをシンクに落とすと、莉緒が呆れ半分にこちらにやってくる。
「なにやってんですか……」
 優しく背中を擦られ、暫くして呼吸が始まる。
 転がったコップと、広がった水溜り。それに映る私を見る。
 なんて顔してるの、私。こんなの最初から分かってたことでしょ。頭の隅ではずっと自覚していた筈でしょ。
 苦しく鳴る胸を押さえながら、私はもう一度頭の中で反芻する。
 私は彼女に。藍原莉緒に、どうしようもなく依存していた。