ピンクと青のトラベルセット。持ち運び用の小さいシャンプーとトリートメント。その他ありふれた旅行道具。
 私と莉緒の手にはそれぞれ一つずつ袋が下げられている。
 半月前にも訪れた大型商業施設を歩く私達の足取りは軽く、急遽決まった旅行に心が弾んでいるのが分かる。
「よかったんですか?」
「ん?」
「この間みたいに別々に行動しなくて」
「私は前回も、一緒に行く? って聞いてたじゃん」
「そうでしたっけ?」
 彼女との距離は縮まった。以前は別々で行動していた私達も、こうして隣を歩くようになった。半月も一緒に生活していたら、誰かに見られてしまうかもなんて危機感は麻痺してしまった。生徒と出くわす可能性も前は考えていたが、今ではそれも別にいいかと思ってしまっている。
「私と一緒にいると、変な噂が経っちゃいますよ?」
「別にいいんじゃない? なんかもう、それでもいいかなって」
「駄目ですよ~」
 莉緒は嬉しそうに大きく腕を振りながら歩く。その姿はやはり小学生の女の子の様で、私の頬も勝手に緩む。
「ほかに買う物ってありましたっけ?」
「んー。粗方買ったんじゃない? 何か莉緒は欲しいものある?」
「私は今の所、大丈夫です。麻里さんは?」
「どうしよっかな。新幹線で読む本とか?」
「私がいるのに、本読んじゃうんですか?」
「……でもさ。電車の中って喋りづらくない?」
「そんなことないですよ。本読むなんてもったいないです」
 施設をぶらぶらと適当に歩く。色々な店が目に入るが、これといって欲しい物もない。
 隣でぴょこぴょこと歩く灰色のニット帽を見る。買い物が楽しいのだろう。欲しいものは無いと言いながらも、物珍しそうに周囲を見回している。
 私がプレゼントした灰色のニット帽と元々莉緒が被っていたニット帽。彼女はその二つを毎日交互に被っている。雨が降ったら洗濯が間に合わなそうだ。もう一つくらいプレゼントしてもいいのかもしれない。
 あ、そうだった。そういえば。
「そうだ。この間言ってたやつ。莉緒の服を私が選ぶってやつ、やる?」
「急ですね」
「丁度買い物にも来たからさ」
「麻里さん、私に隠れて勉強してましたもんね」
「……知ってたの?」
「だって麻里さん携帯見てる時にチラチラ私のこと見てたじゃないですか。あんなことされれば誰でも気付きますって」
「あまり期待しないでね」
 莉緒が頷くので、私達はアパレルのフロアへ移動する。
 実は、もし莉緒がこの話を持ち出して来たらと思って、既にこの商業施設内の店はネットで予習済み。私は迷うふりをしながら目当ての店へ足を進める。
 ここ数日、莉緒の服を考えることに結構な時間を費やした。最適解が出たのかは分からないけれど、莉緒は私が好きならば何でもいいと言っていたから、これで正解なんだろう。
 普段ならば一人で入らないであろう店に入り、二人でゆっくりと店内を回る。
 一度店員が近づいてきたが、莉緒が私の後ろに隠れるので適当にあしらった。
「私達、周りからどう見えてるんだろ」
「どうって?」
「教師と生徒って言うのは見て分からないじゃん? でも、友達って言うには年も離れてる」
「麻里さんだって若いし、友達に見えるんじゃないですか?」
「いや、莉緒の見た目が幼すぎるから」
「怒りますよ?」
「でも、親子には見えないじゃん? 姉妹とか?」
「麻里さんと私、全く似てないじゃないですか」
「それもそうだ」
 目つきの悪く死んでいる私とキラキラ輝く大きな瞳の彼女じゃ姉妹には間違われないだろう。
 目当ての物をラックから探しながら、私は考える。友達、に見えていればいいけど。そもそも友達ってすごく幅の広い表現だし。年が離れていても仲が良い関係だってあるか。
「麻里さんと私の関係って何なんでしょうね」
 ぼそっと莉緒が呟き、私の手が止まる。
「家主と居候?」
 自分と莉緒を交互に指差しながら首を傾げてみると、莉緒も真似をする。
「介護者と要介護者の間違いじゃないですか?」
「最近は私だって多少は」
「まだまだです。目玉焼きもまともに焼けない人が何言ってるんですか」
「料理なんてできなくても生きていけるでしょ」
「あ、じゃああれです。お母さんと子供。勿論私がお母さんの方で」
 また私の手が止まる。
「莉緒に育てられたら、性格曲がりそう」
「元々曲がってるじゃないですか」
「じゃあ、莉緒に育てられたのかも」
「女手一つでここまで育てるには苦労しましたよぉ」
「――」
 会話のノリでふざけてみただけ。分かってはいるけど、心の中に小さな痛みが生まれる。
「どうしました?」
「いや、なんでもない」
「ふーん」
 莉緒はじっと私を見た後、興味を失ったかのようにふらっと別の棚に向かう。
 懐かしい痛みはすぐに引き、胸の中からなくなった。私はまた引き続きラックに手を掛ける。
 まずはスカート。莉緒には何でも似合うから取っ掛かりに迷う。スカートを使うという条件を指定してくれたのはありがたい。
 幾つか絞った候補の中から私は黒い膝丈の物を手に取る。
 キュロットスカート? だっけ? 
 スカートに見えるけどズボンみたいな。勉強して手に入れた知識だ。触るのは初めてなのに名称を覚えてしまっているのが悪い癖だ。こんなのテストに出ることでもないのに。
 スカートが嫌いな莉緒に無理やり履かせるのは抵抗がある。だからこれが丁度いいかななんて。
 手に持ったものを腕に掛け、私は別の棚に移動する。
 でもどうして彼女はスカートが嫌いなんだろうか。私もスカートを履かないタイプの人間だけど、莉緒みたいな可愛さを持っていれば履こうと思えるかもしれない。
 莉緒なら似合うのに、勿体ないな。
 そう思いながら服を選ぶ私の頭の中は、もう着せ替え人形で遊ぶ少女の思考回路。ファッションに無頓着な私でも、あれだけ顔のいい人形なら楽しくなってしまう。
 次に見たのは夏物のカーディガン。淡い色が並ぶのを端から触っていく。
 いっそのこと思いっきり可愛いのにしてやりたいな。彼女が自分じゃ買わなそうな色。
 身長の低い彼女にはサイズが多くないから、小さめのレディースでも彼女には多分余る。なるべく彼女の小さな体に合う物を探し、視界に映った薄い桃色を手に取る。
 こんなもんかな。あとは目星をつけていたシャツを取り、コーディネートが完成。
 黒の膝丈スカート。桃色のカーディガン。襟付きの白いシャツ。
 落ち着きと清楚な印象の中に、年相応の可憐さがある。……気がする。
 莉緒に着せたい服か。多分少し違う。これは私の中にあるあこがれの服。
 過去の私が着たかった服だ。
「荒れてたからなぁ、私」
 私が高校生の時に着たかった服。というよりは、大人になった私があの頃こんな服を着ていたら、なんて後悔している服。
 グレてしまった高校生活、こういった可愛い服を着て、まじめに友達と遊んで、生活を謳歌して。そうしていれば今は変わったんだろうか。
 佳晴に出会わなければ、今の私と違った私がいたんだろうか。
 そんな今を想像することなんてできないけど。
「麻里さん?」
「……びっくりした」
「麻里さん、一人でぼーっとしてること多いですよね。寝不足ですか?」
「それもあるかも」
「さっき雑貨の所にアロマありましたよ。少しは変わるかも」
「うーん。どうだろ」
 心配するように私の顔を下から覗き込む彼女に服を手渡す。
「これ、選んだ奴。気に入るかは分からないけど」
「ありがとうございます! じゃ、試着してきます!」
 嬉しそうにその布を受け取り、足早に試着室へ向かう彼女を見る。
 あぁ、自分のできなかったことを他人に押し付けるのはこういう気分なのか。
 そんな背中を見送りながら、口の中に自己嫌悪の味が広がった。
「……狡いなぁ、私」
 自責の念に捕らわれながら莉緒を追いかける。店の端、細い通路に試着室は備え付けられていて、私は壁にもたれるようにして彼女の着替えるカーテンを見つめる。
「ねぇ、莉緒」
「え? なんですか?」
 カーテンの一部が開き、莉緒がそこから顔だけを覗かせる。
「あ、いや。着替えてからでいいよ」
 声を掛けることに失敗し、私は彼女の衣擦れの音を聞きながら手持ち無沙汰に踵をトントンと壁に打つ。
 暫くして物音は無くなり、莉緒が着替え終わったことが分かる。鏡でも見ているのだろうか。静かになった莉緒に私はもう一度声を掛ける。
「莉緒」
「なんですか?」
 今度はカーテンが開かない。だから私はカーテンに話しかける。
「一つさ、提案があるんだけど」
「提案?」
「ん」
「なんですか? 今度は私が麻里さんの服選びましょうか?」
「そうじゃなくてさ」
 カーテンを凝視したまま、私は小さく息を飲む。
 そろそろ踏み込まないといけない。彼女の問題に少しでも近づいて、解決策を見出さなければならない。だから私は余計なお世話を口に出す。
「その服を着る時はさ。……ニット帽、被らない練習しない?」
 彼女はニット帽をかぶる理由を鎧だと言っていた。外部からの視線を弾く強固な心の鎧。それが何かと直結しているのかは分からないけど、いつまでも殻にこもっている訳にいかないだろう。
 人は慣れる生き物だ。殻を剥かれてから暫くは痛くて痛くて仕方ないかもしれないけど、どうせいつかは慣れていく。私がトラウマと寄り添って生きていけるくらいだ。きっとどうにかなる。
「どういう意味ですか?」
「意味なんてないよ。私のコーディネートにはニット帽が含まれてないってだけ」
「……なるほど。そういう事ですか」
「どう?」
「仕方ないですね。スタイリストには逆らえません」
「ありがと」
 莉緒は恐らく私の考えなんてお見通し。それでも私の案に乗ってくれるということは、きっと彼女も周囲からの目を克服したいんだろう。
 物音のしなかったカーテンの向こうで、小さな音と床にそれが落ちる音が聞こえる。
 そしてカーテンが開かれた。
「……どうですか?」
 帽子を取ったからか、それともスカートを履いているからか。少し恥ずかしそうに体を揺らす莉緒を見て胸に様々な感情を抱いた。
 今の私が過去の自分にしてほしかった恰好。その存在が目の前にいることに、きっと私は目を見開いてしまったんだと思う。それを見て恥ずかしがる莉緒は、すぐにカーテンを閉めてしまった。
「あ、ごめん。似合ってるよ莉緒。想像してた通り」
「……そうですか」
「気に入らなかった?」
「いえ、とても気に入りました」
「よかった」
「あの、これ、旅行に着て行ってもいいですか?」
「え? まぁ、いいけど」
「ありがとうございます。帽子を取る練習にもなるので。……じゃあこれ脱いじゃいますね。このままレジに行く訳にもいきませんし」
 分かったと伝えて私はまた壁にもたれる。深いため息が漏れ、慌てて口を押えた。

「お金は出すって言ったじゃないですか」
「プレゼントってことで、いいでしょ?」
「そりゃ、嬉しいですけど……」
 試着室から出てきた彼女が真っ直ぐにレジに向かったので、咄嗟に私が会計を済ませた。私の着たかった服を着せてしまった罪悪感があったのかもしれない。
 ただ彼女に何かを買い与えることで快感を得ている私もいる。なんでも喜んでくれるから、その顔を見ているとこっちも嬉しくなってくる。これは言語化するならばなんて言葉が適切なんだろうか。国語は苦手ではないけど、自ら表現するのは話が別。つくづく私は教師に向いていないのかもしれない。
「あ、麻里さん。これ」
「ん?」
 せめてものお礼にと、私の分の荷物まで両手に下げた莉緒がその荷物ごと腕を上げて何かを指差す。
「花火大会。八月九日って明日じゃないですか」
「そうだね」
「麻里さん、どうせ行かなそうですよね」
「莉緒も人込み苦手でしょ?」
「はい。私も毎年家から音を聞く程度でした」
「行きたい?」
 莉緒は少しだけ悩んで、首を縦に振る。
「麻里さんと一緒なら」
「じゃ、行こうか。それこそ夏って感じのイベントだし」
「麻里さん。夏の行事苦手じゃなかったんですか?」
「苦手だったよ。でもさ」
「でも?」
「莉緒と一緒なら参加しないと後悔するかなって。明日、眠るときに後悔しそう」
 莉緒は嬉しそうに笑う。
「それは仕方ないですね。後悔はしたくないですし」
「何年ぶりだろ。花火大会」
「私も。……って、まともに行くのは初めてかもしれません」
「え?」
「だからエスコートしてくださいね。麻里さん」
「人込みだから頼りにならないよ」
「まぁ、期待せずに期待しておきます」
「なんだそれ」
 笑いながら店内を歩く私たちの足取りは、毎日の輝きに弾んでいた。