鳩が午後6時を告げた。すでに日が落ちた表通りは人影も少なく、まばらにある電灯と家々からもれる灯りが道を照らしている。

 地道にチラシを折っていた俺は、ドアベルの音に顔を上げた。

「いらっしゃいませ。高坂(こうさか)様」

 待ち人来たる。俺はこの数ヶ月の間に、ケーキ屋の息子=スイーツ男子=草食男子という世間一般の誤解を最大限に利用し、警戒心を起こさせないよう慎重にいくつかの情報を引き出していた。

 高坂さんはもうすぐ30才(!?)。駅向こうの法律事務所に勤める事務員さんで、なんと小一の娘さんを持つシングルマザーだ。  

「こんばんは」

 ふわりと笑う彼女はとても子持ちには見えないが、女手ひとつで子どもを育てていくのはやはり大変らしく、いつも少し疲れた様子だった。

 ケースの中をひと回り見渡した彼女が、こてりと小首を傾げる。その視線の先には、本日より発売を開始した和栗のロールケーキ。

「すみません、いつものロールケーキは売り切れちゃって。でもそれ、期間限定なんですよ。いかがですか?」

「へぇ、栗かぁ。美味しそう。……でも」

 プライスカードを見てちょっと顔を曇らせる。いつものロールケーキより30円ほど高いのだ。

「ごめんなさい。今日はシュークリームふたつにします」

 申し訳なさそうにするのが、かえって申し訳ない。

「いえいえ。いつもありがとうございます」

 ありったけの笑顔で対応すると、彼女もほっと気を緩めたようだ。
 俺は商品を詰め終えた小さな箱に、刷り上がったばかりのチラシを添えてを渡す。

「少し気が早いけど、今年のクリスマスケーキのお知らせです。俺のお薦めは、これとこれ」

 チラシの写真に丸を付けてから裏返し、白紙のそこにペンを走らせる。

「これは俺の携帯番号とID。人気の商品はすぐ予約で埋まっちゃうから、よかったら連絡ください」

 自分でもかなり強引かとは思ったけど、高坂さんは大人の対応で笑って受け取ってくれた。