「弥生ちゃ~ん、お母さんがお迎えに来たわよ」

 ケーキの箱を抱えた弥生ちゃんと一緒に店まで降りると、親父たち相手にひたすら恐縮しっぱなしの彼女の姿に息を呑んだ。

 ライトブラウンのコートの下に着ている淡いピンクベージュのシフォン生地を重ねたドレスと、いつもより少し濃い目のメイクは逆に彼女を若返らせている。髪も緩く巻いたハーフアップで、耳から首筋に掛けてのラインが露わになり、その色の白さと黒髪の対比にドキリとさせられた。

「ご迷惑をかけてすみません。同僚の結婚式があって、母に娘を預けていたのですけど」

 弥生ちゃんを呼び寄せると一緒に頭を下げさせた。やっぱりお母さんなんだなぁと、やけに感心してしまう。

「本当に申し訳ありません。お世話になりました」

「そんなことありませんよ。久しぶりに楽しい思いをさせてもらいました。光枝ちゃんにもよろしくね」

 顔の広いばあちゃんが彼女の母親の名前を出すと、目を丸くして驚いていた。

「お母さん、お誕生日おめでとう! これ、お兄ちゃんと作ったの。帰ったらいっしょに食べようね」

 大事に抱えていた箱を弥生ちゃんが掲げてみせると、彼女は今度こそ驚きで声も出なくなったようで立ち尽くしている。

「弥生ちゃん、お母さんにおなかいっぱいケーキを食べて欲しいそうです。とっても頑張ったんですよ。おふたりで堪能してくださいね」

「えっ……」

 一瞬言葉に詰まった彼女の指が口元を抑えた。そして、そのほっそりした左手の薬指に光るものが、嫌でも目に留まる。

 視線を感じた俺が、機械仕掛けの人形のように開けっ放しになっていたドアの外へ首を巡らせると、仕立ての良いスリーピースを厭みなく着こなした紳士がこちらに向かって会釈を寄越した。悪い予感に声が掠れる。

「もしかして。御、婚約、された、とか?」

 頬を引きつらせて聞く俺に、俯いた目元を紅色に染めて小さく頷く彼女。

「事務所の所長さんなんだけど。年が明けたら籍を入れる予定なの」

「それは――おめでとう、ございます」

 一気に力も気力も抜けた俺のギャルソンエプロンが、つんつんと引っ張られた。箱を母親に渡した弥生ちゃんの瞳が、情けなく眉を下げる俺を遠慮がちに見上げている。

「……良かったな。お父さんができるんだって」

 やけっぱちで頭をこねくり回す俺の手を、小さな手が掴む。彼女は俺の手の平に、じゃらじゃらと愛用のポシェットから全財産を落とした。

「ケーキのお金です。どうもありがとうございました」

 手の中いっぱいに乗せられた硬貨はその金額よりも重く感じて、大切にエプロンのポケットへしまい込む。

「こちらこそ、ありがとうございました。またのご来店をお待ちしています」

 深くお辞儀をすると、じゃらりと硬貨がポケットの中で音を立てた。