「僕です! 高校のときに、茶道部で後輩だった、戸渡 志月(とわたり しづき)!」
「……あっ! 途中入部してきた……」
 そう言われてやっとわかった。高校時代、確かにこんな子がいた。
「そうそう! そうです! あー、そうですよねぇ、先輩とは半年も一緒に過ごせませんでしたし、忘れちゃっても……」
 そうだ、彼は幸希が三年生のちょうど今頃の季節に入部してきた。どうしてこんな時期に入部してくるのだろう、と不思議に思ったことを思い出す。
 でも忘れていたなんて失礼だろう。彼のほうは覚えていてくれたというのに。
「あっ、ご、ごめんなさい」
「いえいえー、仕方ないですよー」
 彼はまるで気にした様子もなく、ただにこにこ言った。そこへ当たり前のように上司が割り込む。
「運命的な再会みたいだが、想い出話はあとにしろよ」
「あっ、す、すみません!」
 彼は「あちゃあ」とばかりに髪に手を突っ込んで小さく頭を下げた。
「じゃ、じゃぁね」
「はい!」
 動揺しながらも幸希は戸渡の上司にも小さく礼をして、その場を退散する。こんなところで高校の後輩に再会するなんて思わなかった。
 まぁ、ありえないことではないだろう。
 幸希の実家は、千葉。高校を卒業して大学を卒業したあと、就職のために都内へ出た。現在では都内で一人暮らしだ。
 千葉から都内へ出るのはそう難しい距離ではない。つまり、通っていた高校と極端に離れてはいないといえる。実際、高校時代の女友達もまだ近くに多いのだし。
 でも驚いた。
 薄い壁の向こうの事務所の自分のデスクに戻りながら、ついつい聞き耳を立ててしまった。
 戸渡ははきはきとした口調で「これまで恵比寿店にいましたが、この度、日暮里店へ配属となりました!」と自己紹介している。
 へぇ、日暮里。あのへんだと扱っているのは日暮里、西日暮里、それから巣鴨とかかしら。
 職業上、幸希はあのあたりの物件を思い浮かべた。
 幸希の居る駒込店とはかなり近い。行動範囲も重なるかもしれない、と思った。
 そのあとは自分の仕事に戻って、かたかたとキーボードを叩いていたのだが、話はほんの三十分もかからず終わったらしい。
 「では、このへんで」という声や、がたっと席を立つ音が聞こえてきた。
 普段来客があっても、別段機会がなければ見送りなどしないのだが、知り合いに会ったのだ。幸希も席を立って、社内へ出る。
 幸希を見て、戸渡はまた嬉しそうな顔をした。
「鳴瀬先輩! お会いできて良かったです」
「びっくりしたけど、私もよ」
 会うのが随分久しぶりとはいえ、後輩なのだ。敬語は使わなかった。
「またお邪魔することもあるかもしれないですから、よろしくお願いしますね!」
「はい、こちらこそ」
 なんか、ワンコみたい。
 思っておかしくなった。
 ふわふわの髪と、長身の体躯。
 高校時代とは変わってすっかり大人になった彼は、たれ目がちな顔立ちと明るい物言いのために、どこか大型犬のような印象になっていた。
「かわいい先輩に再会できて良かったな。じゃ、失礼します」
「失礼します!」
 挨拶をして、戸渡とその上司だか先輩だかは帰っていった。ポーン、とエレベーターが音を立てて、二人は扉に消えていった。
「偶然だなぁ。高校時代の後輩とか、昔、付き合ってたとか?」
 店長にからかい半分にだろう、言われたが幸希は「ただの部活の後輩ですよ」と答えたのだった。事実、そのとおりだったので。
 しかし驚いた。事前に連絡も取らず、約束もせずに知人に会うことなどそうそうないだろう。
 すぐに来客の空気は消え失せて、幸希は仕事に戻った。またキーボードを叩きはじめる。
 でもなんだか嬉しかった。高校時代を懐かしく思い出してしまって。