「……こんばんは」
 待ち合わせをしていた駅前の広場で会って、顔を合わせるのは非常に気まずかった。再会してから、志月に対してこんな気持ちを抱いたことはない。そしてそれは志月も似たような表情だった。
「お疲れ様です」
 言われて、はっとした。仕事上がりならばこちらの挨拶のほうが適切だ。
「あ、お疲れ様!……です」
 言ったあとに、なんだか気まずくて「です」など付け加えてしまった。
 志月がそれに、ちょっと困ったように笑った。
「行きましょうか」
 でも言われたのはそれだけ。なので幸希も「うん」とだけ言って、志月の隣に並んだ。並んで、志月の行くほうへついていく。
 会う前に駅のトイレでメイク直しをしてきた。クマだってもう一度コンシーラーとファンデーションを塗って隠しなおしたし、アイシャドウとリップも少し濃くした。
 厚化粧ではないけれど、オフィスメイクよりは一歩進んだメイクを。恋人に会うのだから。
 歩く間、手は繋がなかった。
 一緒に歩いて、毎回手を繋いでいるわけではない。
 けれど、会った日は一回は手を繋いでいる。今日は右手が妙にすかすかして感じた。
 志月もそう感じてくれているだろうか。左手を寂しく思ってくれているだろうか。
 でも幸希から手は伸ばさない。
 ちゃんと謝って、許してもらって、元通りの関係に戻れるまで。
 それをする資格は自分にはない、と思う。
 志月が幸希を連れて行ったのは、小さなイタリアンのお店だった。
 定時後だ。おなかは空いている。緊張でそれどころではないというのはあったけれど。
 それでも食べるものは欲しかった。お茶では足りない。
「なににしますか?」
 メニューを差し出してくれて、志月は言った。
 けれどその内容は幸希の頭にちっとも入ってこない。なんだかどれも同じに見えてきてしまって。
 実際、そうだったのだろう。
 今重要なのは、なにを食べるかではない。
 なにを話すかなのだから。
 結局無難に「ナポリタンのセットで」などにしてしまって、志月も「じゃあ僕も同じで」などと言った。
 そしてそこで、一応の準備は整ってしまう。
 ちゃんとしないと。
 自分に言い聞かせて、すう、と幸希は息を吸い込んだのだが。
「幸希さん」
 その前に志月がなにか言おうとした、のだと思う。幸希の名前を呼んだ。
 ぎくりとして幸希は思わず言っていた。
 ちょっと大きめな声をあげてしまって。
「ストップ!」
 幸希の勢いが良かったからか、声が大きかったからか。
 志月はわずかに身を引いた。
「……なんですか」
 1、2秒黙ったあとに、志月は言った。
 ちょっと不満そうだった。彼は彼で、言おうとすることを決めてきたのだろ うから。それを遮られれば不本意だろう。
「志月くん、謝るつもりでしょ」
 でもそれを言わせるわけにはいかない。
 幸希は言った。
 志月が「遮られるとは思っていなかった」という表情で、返事をする。
「え、……いけませんか」
 その返事に対する態度は決まっていた。
 今日一日で思い切ってしまった幸希は、きっぱり言う。
「ダメ。だって、悪いのは私だから」
 志月はなにも言わなかった。
 なにも言えなかった、のかもしれない。幸希がそのような言い方をするのは初めてだったので。きっと想定外だったのだろう。
 今まで通り優しく接して、「いいんですよ」なんて許してくれる気だったに決まっている。
 でももうそれには甘えられない。
「……そういうところ、甘やかさないで」
 一拍置いて、幸希はそのとおりのことを言った。
 志月がごくりと息を飲んだのがわかる。
 数秒黙り。
 でも言ってくれた。
「……わかりました。ではもう謝りません」