会社に来客があれば、お茶を出すのが幸希の役目。自然とそういうことになっていた。
 別に男尊女卑というわけではない。
 ほかの社員が営業職なので、来客が同業者であれば商談に入るし、客であればすぐに接客に移るし。仕事がパソコンへの打ち込みであり、少し手を離したとしても別段困ることもない幸希がおこなうのが効率的だというだけだ。
 まぁ、女性が出したほうがウケがいいという理由は少しあると思うのだけど。
 ときはまさに、夏の折。出すお茶も冷たいものにしていた。
 朝、お茶を沸かして、事務所の冷蔵庫に入れて冷やしておく。来客があれば、それを注いで出すだけだ。簡単な仕事。
 事務職である幸希は、昼休み以外ほぼずっと事務所に居るのだが、営業職の社員は外出も多いため、暑い暑いと愚痴りながら帰ってくることも多かった。そしてストックしてあるお茶を遠慮なくぐびぐび飲んだりするので、幸希はたまに辟易するのである。
 それはお客様用です、なんて思っても店長クラスのひとには言えないのだし。
 そしてそのような横暴なことをするのは、店長か副店長と決まっていた。そのたびに幸希は、まったく、と思いつつも再びお茶を沸かして、早く冷やすために無理やり冷凍庫に突っ込むのだった。
 夏場は部屋を借りたいという客も少ない。よって、来客の半分ほどは同業者だった。
 同業者というのは、賃貸物件の管理者、つまり持ち主であったり、別の会社の営業職の人であったりした。
 同業であるので一応ライバルということになるのだが、協力し合うこともままあった。管理している鍵の貸し借りや、客との書類の仲介など。表面上はうまくやっていかねばならないのだ。
 今日の来客も、同業者だった。
「こんにちは」
 ちりん、とドアベルが鳴って誰かがやってくる。
 あら、来客ね。
 幸希のいる事務所からは、すぐには入り口が見えない。でも出迎えた営業の社員の会話でどんな人が来たのかはわかる。きたのは同業者のようだ。
「こいつ、今度店舗移動してきたやつです。よろしく」
「戸渡(とわたり)といいます。よろしくお願いします」
 冷蔵庫からお茶のボトルを取り出しながら、ん? と幸希は引っかかるものを覚えた。
 どこかで聞いたような名前、そして声だ。どこで聞いたのだっけ。
 うっすらとした記憶ではわからずに、そのままお茶を淹れて事務所を出て、来客のためのソファのある場所へ向かったのだが。
 『彼』を見てやはり引っかかるものがあった。知っている気がする。
 ああ、どこで会ったのだろう。
 しかし向こうは幸希のことがわかったようだ。ぱっと顔を明るくした。
「鳴瀬先輩じゃないですか!」
「え?」
 暗めの茶色の髪は、襟足まであって、やや長め。たれ目の優し気な風貌の青年であった。
「ん? 知り合いか?」
 彼の横にいた、上司だか先輩だか……多少上の立場の者であろう男性が不思議そうな声を出した。
 彼は「はい!」と元気よく答えて、そして自分を指さした。幸希が「知っているような気がするけど、思い出せない」という顔をしたのがわかったのだろう。
 それは人によっては失望するような案件かもしれないのに、自分を指さしアピールする彼はひたすら嬉しそうであった。