着いた場所を見て、幸希はぽかんとしてしまう。
そこは危惧したような場所でもなく、次にあり得るかと思っていたどこかのバーなどの酒を飲む場所でもなく。
……なんだかかわいらしい印象の、多分カフェ、だったのだから。
白い壁。暗いので屋根は何色かわからないが、明るい色なのだろう。
なんで、カフェ?
確かに「もう一軒」とは言われたけれど、それでお茶を飲みに行くなんて誰が想像しただろう。
こんな夜も更けた時間に、いい大人の男女がくる「もう一軒」だろうか?
それでも悲しい気持ちは拭えなくて、外観を見られたのは数秒だった。
「いらっしゃいませ」
俯いたまま戸渡の手に引かれるままに店内に入った。穏やかな男性店員の声が迎えてくれる。
店内は冷房が効いていて快適だった。寒いということもない。
「奥の席、空いてますか」
戸渡がそう言うのでちょっと驚いた。
席の希望が言えるような店なのだろうか。
そのとおりであるか、もしくはそのような要求が通るほど通っているかどちらかだろう。
「空いてますよ」と男性店員の声がして、その要望は通ったらしい。「先輩、行きましょう」とまた手を引かれた。
店員やほかの客にどう思われるかちょっとびくびくしてしまう。様子がおかしいであろうことは明白だろうから。
そして入った一番奥の席に、もう一度驚いた。
ワインレッドの布が張られたソファ席。
その前には大きな窓があって、なんと海が見えた。
夜で暗い中なのに海だとわかったのは、夜景の中にそこだけ真っ暗、そして一点だけ灯台らしきひかりがあったからだ。
「綺麗でしょう」
どうぞ、と幸希を促しながら、戸渡はちょっと誇らしげに言った。
あ、これは告白してきたときとは違う声だ、と幸希は思って少し安心する。常の彼が戻ってきたようで。
しかしそこでまた胸が痛くなってしまう。
わからなかった。
自分は戸渡に、こういう『彼』でいてほしいのだろうか。
『彼氏』に、つまり『男』になってほしくないのだろうか。
だからあれほどなにも言えなくなってしまったのか。
それならそれで「ごめんなさい」「後輩でいて」と言わなければいけないのに、それもなにか違う。
ここでならそれがわかるのだろうか?
席を勧められるままに座りながら、幸希はぽうっと目の前の海を眺めた。
「カフェラテは好きですか」
訊かれるので幸希はただ頷いた。
「じゃ、……すみません。カフェラテをふたつ」
メニューは目の前のローテーブルに置かれていたけれど戸渡はそれを手に取らなかったし、そして幸希に見せてくれることもなかった。今、メニューを見て「なにが飲みたいか」と考える気にはなれなかったので、幸希はほっとする。
海を見ながらまた戸渡は何気ない話をはじめた。
「ここ、姉が好きなんですよ」
「少女趣味かもですよね。海が見えるカフェなんて」
「でも姉は車を持ってないから、連れてけなんてたまに言われて」
幸希はそれをただ、うん、うんと聞く。
やがてカフェラテがきた。ホットのようだ。
店が示しているように、ずいぶんかわいらしい。
入っているのはシンプルな白のティーカップだが、ラテにはうさぎが描いてあった。確かに女の子が喜びそうだ。
というか、自分も常ならば、元気なときならば「かわいーい!」なんてテンションが上がって写真の一枚も撮るだろう。
でも今はそんな気持ちにはなれなくて、ただ「かわいい」と思っただけだった。
いや、戸渡に「かわいいね」とは言ったけれど。
「そうでしょう。それにワンコインですよ」
戸渡はふざけた口調で言った。
多分このカフェラテは、ジャスト五百円なのだろう。幸希もつられたように笑ってしまった。
奢りはワンコイン。こんなところまで適用しなくても。
「猫舌ですか? そうでないなら、熱いうちに」
優しく言われて、また涙が出そうになったけれど飲み込む。
「大丈夫、ありがとう」とカップを持ち上げて、ひとくち飲んだ。甘い味が口の中いっぱいに広がった。
最近ずっと暑かったのでコールドドリンクばかり飲んでいて、ホット飲料は久しぶりに飲んだ。
けれど今はこれがふさわしい、と思う。あたたかくて甘いカフェラテは、心をほどかせてくれるような感覚がしたので。
隣で戸渡も自分の前に置かれたカップを持ち上げて、カフェラテをひとくち飲んだ。それにもなにかラテアートが描いてあったと思うのだが、そこまで見る余裕は今の幸希にはない。
「なにか、心配なことでもありますか。付き合うこととかに」
ぽつりと言われて、幸希はどきりとしてしまう。
やっと話が本題に入ったことを思い知って。
どうしよう、どう言おう。
ぐ、と喉が鳴った。ココアのカップを両手で包んだまま、崩れたラテアートを見つめる。
うさぎの絵は歪んでしまっていた。あんなにかわいく描いてあったのに。
「心配、っていうか」
なにか言わないと。
でも言い繕うことはできない気がした。
自分はそこまで器用ではない。
今は余裕もない。
心にあることを言うしかないのだ。
「……どうして、私なの」
末尾は震えた。
そうだ、自分でなくともいいに決まっている。
戸渡は魅力的だ。以前考えたように顔も良ければ仕事も多分できる。
だから彼女もすぐできるし、結婚だって難しくないだろう、と前に思った。
それがどうして自分にこれほど優しい気持ちを向けてくれるのか。
そこは危惧したような場所でもなく、次にあり得るかと思っていたどこかのバーなどの酒を飲む場所でもなく。
……なんだかかわいらしい印象の、多分カフェ、だったのだから。
白い壁。暗いので屋根は何色かわからないが、明るい色なのだろう。
なんで、カフェ?
確かに「もう一軒」とは言われたけれど、それでお茶を飲みに行くなんて誰が想像しただろう。
こんな夜も更けた時間に、いい大人の男女がくる「もう一軒」だろうか?
それでも悲しい気持ちは拭えなくて、外観を見られたのは数秒だった。
「いらっしゃいませ」
俯いたまま戸渡の手に引かれるままに店内に入った。穏やかな男性店員の声が迎えてくれる。
店内は冷房が効いていて快適だった。寒いということもない。
「奥の席、空いてますか」
戸渡がそう言うのでちょっと驚いた。
席の希望が言えるような店なのだろうか。
そのとおりであるか、もしくはそのような要求が通るほど通っているかどちらかだろう。
「空いてますよ」と男性店員の声がして、その要望は通ったらしい。「先輩、行きましょう」とまた手を引かれた。
店員やほかの客にどう思われるかちょっとびくびくしてしまう。様子がおかしいであろうことは明白だろうから。
そして入った一番奥の席に、もう一度驚いた。
ワインレッドの布が張られたソファ席。
その前には大きな窓があって、なんと海が見えた。
夜で暗い中なのに海だとわかったのは、夜景の中にそこだけ真っ暗、そして一点だけ灯台らしきひかりがあったからだ。
「綺麗でしょう」
どうぞ、と幸希を促しながら、戸渡はちょっと誇らしげに言った。
あ、これは告白してきたときとは違う声だ、と幸希は思って少し安心する。常の彼が戻ってきたようで。
しかしそこでまた胸が痛くなってしまう。
わからなかった。
自分は戸渡に、こういう『彼』でいてほしいのだろうか。
『彼氏』に、つまり『男』になってほしくないのだろうか。
だからあれほどなにも言えなくなってしまったのか。
それならそれで「ごめんなさい」「後輩でいて」と言わなければいけないのに、それもなにか違う。
ここでならそれがわかるのだろうか?
席を勧められるままに座りながら、幸希はぽうっと目の前の海を眺めた。
「カフェラテは好きですか」
訊かれるので幸希はただ頷いた。
「じゃ、……すみません。カフェラテをふたつ」
メニューは目の前のローテーブルに置かれていたけれど戸渡はそれを手に取らなかったし、そして幸希に見せてくれることもなかった。今、メニューを見て「なにが飲みたいか」と考える気にはなれなかったので、幸希はほっとする。
海を見ながらまた戸渡は何気ない話をはじめた。
「ここ、姉が好きなんですよ」
「少女趣味かもですよね。海が見えるカフェなんて」
「でも姉は車を持ってないから、連れてけなんてたまに言われて」
幸希はそれをただ、うん、うんと聞く。
やがてカフェラテがきた。ホットのようだ。
店が示しているように、ずいぶんかわいらしい。
入っているのはシンプルな白のティーカップだが、ラテにはうさぎが描いてあった。確かに女の子が喜びそうだ。
というか、自分も常ならば、元気なときならば「かわいーい!」なんてテンションが上がって写真の一枚も撮るだろう。
でも今はそんな気持ちにはなれなくて、ただ「かわいい」と思っただけだった。
いや、戸渡に「かわいいね」とは言ったけれど。
「そうでしょう。それにワンコインですよ」
戸渡はふざけた口調で言った。
多分このカフェラテは、ジャスト五百円なのだろう。幸希もつられたように笑ってしまった。
奢りはワンコイン。こんなところまで適用しなくても。
「猫舌ですか? そうでないなら、熱いうちに」
優しく言われて、また涙が出そうになったけれど飲み込む。
「大丈夫、ありがとう」とカップを持ち上げて、ひとくち飲んだ。甘い味が口の中いっぱいに広がった。
最近ずっと暑かったのでコールドドリンクばかり飲んでいて、ホット飲料は久しぶりに飲んだ。
けれど今はこれがふさわしい、と思う。あたたかくて甘いカフェラテは、心をほどかせてくれるような感覚がしたので。
隣で戸渡も自分の前に置かれたカップを持ち上げて、カフェラテをひとくち飲んだ。それにもなにかラテアートが描いてあったと思うのだが、そこまで見る余裕は今の幸希にはない。
「なにか、心配なことでもありますか。付き合うこととかに」
ぽつりと言われて、幸希はどきりとしてしまう。
やっと話が本題に入ったことを思い知って。
どうしよう、どう言おう。
ぐ、と喉が鳴った。ココアのカップを両手で包んだまま、崩れたラテアートを見つめる。
うさぎの絵は歪んでしまっていた。あんなにかわいく描いてあったのに。
「心配、っていうか」
なにか言わないと。
でも言い繕うことはできない気がした。
自分はそこまで器用ではない。
今は余裕もない。
心にあることを言うしかないのだ。
「……どうして、私なの」
末尾は震えた。
そうだ、自分でなくともいいに決まっている。
戸渡は魅力的だ。以前考えたように顔も良ければ仕事も多分できる。
だから彼女もすぐできるし、結婚だって難しくないだろう、と前に思った。
それがどうして自分にこれほど優しい気持ちを向けてくれるのか。