勿論幸希とて子供ではないのだ。それが示すこともなんとなくわかる。
でもこれほど優しい気遣いを受けたことはない。
わかる、けれど実感としてはわからないし信じられない。
だというのに、どきどきしてしまっている幸希をよそに、戸渡はなんでもない話をしてくるのだ。
「今日見てきた物件、なかなかおもしろいところだったんですよ。半地下になってて、ちょっと隠れ家みたいな」
「内見っていっても身内だったんです。親戚で……来年大学に入る子なんで下見も下見ですけどね」
「なので、まぁ……ちょっと遊び的なやつで」
幸希はそれに相槌を打つしかなかった。普段、積極的に話ができていたことはもう飛んでいた。
しかしそれもご飯がくれば落ち着いた。とても綺麗に盛り付けられていて、おいしかったので。
「このパスタ、もっちりしていてとてもおいしいね」
幸希が言葉少なだったのは気付いていただろう、戸渡はほっとしたような顔をして同じようにパスタをフォークで巻き取った。
「お店で作っているそうですよ。生パスタだそうです」
「そうなんだ。道理で」
前菜、サラダ、スープ、パスタ、そして肉料理。
一番品数の少ないコースだったのでそれだけだったけれど、幸希にはじゅうぶんでおなかいっぱいになった。食後の紅茶を飲みながら、「とってもおいしかった!」と満足の笑みを浮かべてしまうくらいには。
「気に入ってもらえて良かったです。先輩と一緒に食べられて嬉しかったですから」
こうやってまたどきどきさせてくるのだ。
困る、と思う。
嬉しいけれど、どういう反応をしていいのかわからないから。
お会計は割り勘だった。「ワンコイン以上ですからね」なんて茶化したことを言いながら、それでも端数を少し多めに払ってくれた。
「車で来たって言ったよね。どこに停めたの?」
店を出て、さぁ帰ろうと幸希は言った。
そして戸渡も「駅前の、ちょっと裏の道で……そこしか空いてなかったんです」と答えたのだけど。
歩き出そうとしたとき。
不意に右手になにかが触れた。それがあたたかかったものだから幸希は仰天してしまう。
思わず、ばっとそちらを見たのだけど、戸渡はただ微笑んだ。
「行きましょう」
そのまま歩き出したけれど、幸希はパニックに陥っていた。
右手があたたかい。戸渡の大きな手にすっぽり包まれてしまっている。
手を繋いでいる?
いや、繋いでいるとはいえないかもしれない。
幸希からその手は握り返せなかったのだから。ただ握られるままになるしかない。
今までの彼氏はやはり、こんなことをしてくれなかった。
抱きしめることはされたし、することだってされたけど、手を繋ぐということをしてくれたひとはいなかった。
つまり、そのくらいには大切にされていなかったのだろう。
こんなことはある意味、初めてのデートのようなものであった。
どうしよう、どうしたら。
そこで初めて思い至る。
帰るつもりだった。
でも戸渡がそんなつもりでなかったら?
待ち合わせをして、食事をして、そのあとこんなことをされたら。『行くべき場所』だってあるかもしれない。
それを想像した瞬間、頭の中は沸騰してしまう。経験がないわけでもあるまいに。
男として見ていなかったわけでも、彼氏候補として見ていなかったわけでもあるまいに。
そこまで考えが及んでいなかったのだ。
もう戸渡のほうは見られなかった。
俯いて悶々とするしかないのに、戸渡の口調はまるで変らなかった。少なくとも、変わらないように聞こえた。
「今度は中華とかどうですかね」
「恵比寿でおいしいお店を見つけたんです」
「上司に連れてかれたんですけどね、はじめは面倒だと思ってたんですけど……」
などなど。
でもなにを言われているのかわからなかったし、なにを言われているかなどどうでもいいことだったのかもしれない。取られている手がすべてだ。
駅のほうへ向かい、裏の道へ入り、人通りが少なくなってきた。
良かった、本当に駐車場へ行くのだろう。
幸希は少し、ほっとした。
けれど『ほんの少し』だった。
なにか言われるのだろう。それがなんなのかはわからないにしろ、恋愛的ななにか、違っても男女の仲に関連することであることははっきりしていた。
駐車場が見えてきて、幸希の心臓は破裂しそうになる。
結局ここまで手は握り返せなかった。
戸渡はそれをどう取っただろう。拒絶に感じただろうか。振り払いはしなかったけれど、明確な受け入れでもなかったのだから。
駐車場の、前。不意に立ち止まられた。
戸渡がこちらを見ているのがわかる。
そして一瞬あとには、幸希が想像したことが身に降りかかった。
取られていた手を離されて、伸ばされる。
あっと思ったときには胸に抱きこまれていた。心臓が一気に冷える。
喜びではなかった。そうでないとも言い切れないのだが、ただ一番大きいのは、戸惑い。
「鳴瀬先輩」
言われた声はとても近かった。耳元まではいかないが、頭のすぐ上から降ってくる。そのくらい背が高いのだ。
ぎゅう、と幸希を抱く腕に力がこもって。
「先輩が好きです」
言われた言葉はシンプルだった。
だというのに幸希の胸を今度は熱くする。
もう胸の中は熱いのだか冷たいのだかわからなかった。
不安、戸惑い、そしてきっと多少は嬉しい気持ち。ごちゃごちゃに混ざってどうしたらいいのかわからない。
でもこれほど優しい気遣いを受けたことはない。
わかる、けれど実感としてはわからないし信じられない。
だというのに、どきどきしてしまっている幸希をよそに、戸渡はなんでもない話をしてくるのだ。
「今日見てきた物件、なかなかおもしろいところだったんですよ。半地下になってて、ちょっと隠れ家みたいな」
「内見っていっても身内だったんです。親戚で……来年大学に入る子なんで下見も下見ですけどね」
「なので、まぁ……ちょっと遊び的なやつで」
幸希はそれに相槌を打つしかなかった。普段、積極的に話ができていたことはもう飛んでいた。
しかしそれもご飯がくれば落ち着いた。とても綺麗に盛り付けられていて、おいしかったので。
「このパスタ、もっちりしていてとてもおいしいね」
幸希が言葉少なだったのは気付いていただろう、戸渡はほっとしたような顔をして同じようにパスタをフォークで巻き取った。
「お店で作っているそうですよ。生パスタだそうです」
「そうなんだ。道理で」
前菜、サラダ、スープ、パスタ、そして肉料理。
一番品数の少ないコースだったのでそれだけだったけれど、幸希にはじゅうぶんでおなかいっぱいになった。食後の紅茶を飲みながら、「とってもおいしかった!」と満足の笑みを浮かべてしまうくらいには。
「気に入ってもらえて良かったです。先輩と一緒に食べられて嬉しかったですから」
こうやってまたどきどきさせてくるのだ。
困る、と思う。
嬉しいけれど、どういう反応をしていいのかわからないから。
お会計は割り勘だった。「ワンコイン以上ですからね」なんて茶化したことを言いながら、それでも端数を少し多めに払ってくれた。
「車で来たって言ったよね。どこに停めたの?」
店を出て、さぁ帰ろうと幸希は言った。
そして戸渡も「駅前の、ちょっと裏の道で……そこしか空いてなかったんです」と答えたのだけど。
歩き出そうとしたとき。
不意に右手になにかが触れた。それがあたたかかったものだから幸希は仰天してしまう。
思わず、ばっとそちらを見たのだけど、戸渡はただ微笑んだ。
「行きましょう」
そのまま歩き出したけれど、幸希はパニックに陥っていた。
右手があたたかい。戸渡の大きな手にすっぽり包まれてしまっている。
手を繋いでいる?
いや、繋いでいるとはいえないかもしれない。
幸希からその手は握り返せなかったのだから。ただ握られるままになるしかない。
今までの彼氏はやはり、こんなことをしてくれなかった。
抱きしめることはされたし、することだってされたけど、手を繋ぐということをしてくれたひとはいなかった。
つまり、そのくらいには大切にされていなかったのだろう。
こんなことはある意味、初めてのデートのようなものであった。
どうしよう、どうしたら。
そこで初めて思い至る。
帰るつもりだった。
でも戸渡がそんなつもりでなかったら?
待ち合わせをして、食事をして、そのあとこんなことをされたら。『行くべき場所』だってあるかもしれない。
それを想像した瞬間、頭の中は沸騰してしまう。経験がないわけでもあるまいに。
男として見ていなかったわけでも、彼氏候補として見ていなかったわけでもあるまいに。
そこまで考えが及んでいなかったのだ。
もう戸渡のほうは見られなかった。
俯いて悶々とするしかないのに、戸渡の口調はまるで変らなかった。少なくとも、変わらないように聞こえた。
「今度は中華とかどうですかね」
「恵比寿でおいしいお店を見つけたんです」
「上司に連れてかれたんですけどね、はじめは面倒だと思ってたんですけど……」
などなど。
でもなにを言われているのかわからなかったし、なにを言われているかなどどうでもいいことだったのかもしれない。取られている手がすべてだ。
駅のほうへ向かい、裏の道へ入り、人通りが少なくなってきた。
良かった、本当に駐車場へ行くのだろう。
幸希は少し、ほっとした。
けれど『ほんの少し』だった。
なにか言われるのだろう。それがなんなのかはわからないにしろ、恋愛的ななにか、違っても男女の仲に関連することであることははっきりしていた。
駐車場が見えてきて、幸希の心臓は破裂しそうになる。
結局ここまで手は握り返せなかった。
戸渡はそれをどう取っただろう。拒絶に感じただろうか。振り払いはしなかったけれど、明確な受け入れでもなかったのだから。
駐車場の、前。不意に立ち止まられた。
戸渡がこちらを見ているのがわかる。
そして一瞬あとには、幸希が想像したことが身に降りかかった。
取られていた手を離されて、伸ばされる。
あっと思ったときには胸に抱きこまれていた。心臓が一気に冷える。
喜びではなかった。そうでないとも言い切れないのだが、ただ一番大きいのは、戸惑い。
「鳴瀬先輩」
言われた声はとても近かった。耳元まではいかないが、頭のすぐ上から降ってくる。そのくらい背が高いのだ。
ぎゅう、と幸希を抱く腕に力がこもって。
「先輩が好きです」
言われた言葉はシンプルだった。
だというのに幸希の胸を今度は熱くする。
もう胸の中は熱いのだか冷たいのだかわからなかった。
不安、戸惑い、そしてきっと多少は嬉しい気持ち。ごちゃごちゃに混ざってどうしたらいいのかわからない。