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" Memories 回顧録8 "

== 長山都眞子 ==




 JR駅から徒歩で5分程の駅近くに立地する、煉瓦造りの有名な〇〇屋と
いう喫茶店の中の大勢の客の喧騒にも負けない声音で私は断言した。



「え~っ、Y氏の運転は怖いから行きません」


 そんな恐ろしい返事をしたのにも関わらず、私はその後も平然とした顔で
Y氏と会話を交わし事務所へ戻ったのだった。



 私はその夜、あの誘いがもしかしなくともデートの誘いで
あったことに突然閃いてしまい、己の鈍感さに悶絶したのだった。




 Y氏はあまり緊張しないで話せる数少ない異性だった。


 そして何より結婚相手として考えることのできる範疇にいた。



 もしあの時の誘いが車というモノを使うドライブでなかったら
相手からのお誘いなんだとちゃんと認識できていたら・・私は
絶対断りはしなかった。



 恋愛ごとに疎い私にとって彼は、結婚を考えられる願ってもない
相手だったのだ。

 だけど、たまたま会社帰りのプラットホームで会い、電車の中で
10分ほど一緒に座り会話したというだけで、よもやデートに誘われるなんて
思いもかけなかった私の言動は愚か過ぎた。



 それから何度かY氏に接触を持とうとしたのだけれど嘗(かつ)てない程
緊張感に襲われ、掛ける言葉を見つけられなくて、結局私は毎日自分の鈍感さを
呪い暮らした。



 緊張感に襲われるほどに、きっとあの日のY氏も私を誘うのには
勇気が必要だったはずじゃないだろうか、そう思い至った。



 それから間もなくしてY氏は同じ部署にいたかなり年上の女性とバタバタと
結婚してしまった。



 仮に私がY氏とデートに行ったからと言って、結婚したかどうかは
定かじゃないけれど、チャンスを逃したことだけは確かだった。



 そうそう、ドライブだったから断ったのにはちゃんとした
理由があった。



 たまたま仕事絡みで一度だけ一緒の車で外回りに行くことが
あって、免許取り立てだったY氏は、まだ助手席で両足を揃えて座っていない
私のことなど気づかず、片足がまだ外に出ていてドアも締まっていない状態なのに
車を発進させてしまったことが・・あった。



 それが私には印象深く残っていて、あの断りのセリフへと
繋がっていったのだった。



 それでもデートのお誘いだって理解していたら、絶対断ったりしなかった。
 絶対に・・。

 

 ずっとずっと後悔の日々を送っていたけれどY氏の結婚で
ようやくヘタレな私は後悔の日々にピリオドが打てた。

 

もうこの頃には悲しいよりも、ほっとしたという気持ちのほうが大きかった。


 Y氏が結婚したのは同じ部署にアルバイトで来ていた8才も年上の女性だった。


 しばらく同じ事務所だったので、結婚したこと・・子供ができた
こと・・情報を聞き流しながら過ごした日々。



 25才を過ぎる頃から結構、結婚の2文字に敏感になっていて。




 常に異性が身近にいるようなモテる女性(人)は別格だろうけど
異性との縁薄い女は焦るのだ。



 25才の歳を越えて焦り出して1年が過ぎた頃、姉が病気で
あっけなく亡くなった。