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" Memories 回顧録5 "


== 長山都眞子 ==



 眉目秀麗という言葉が当てはまる姉が選んだ夫である義兄もまた
なかなかな容姿の優れた男性(ひと)だった。


 一回りも上の大人のというか、普通におじさん世代の人に対して
義兄と出会うまで、"素敵な"という言葉を当て嵌めてみたこともなければ
考えたこともなかったのに、義兄に対してはすんなりと素敵な大人の男性と
認識できた。



 社会に出て4年、たった4年間で出会った男性の数なんて知れているとは
いえ、会社にいる38才前後の男たちは全員普通のくたびれかかった
おっさん以外の何物でもなかった。



 義兄が姉に惚れているっていうのは結婚する前もした後も、見ていて
すぐに判った。


 そんな義兄にとって私なんて、姉の持つアクセサリー以上でも以下でもなく
そういう扱いであることも何となく感じてもいたせいか、流石に義兄に対して
恋心を抱くっていうことはなかった。


ううん、本当はあったのかもしれない・・
 だけど理性でねじ伏せ、ただの淡い好意なのだと思い込んでいただけなのかも。




  結婚後、しばらくして姉は子供を産んだ。


 姉の子だからたぶん可愛いなんて思えなくって母や父親が可愛がるのを
横目で見ているくらいだろうと思っていたのに、生まれて来た甥の大は
私の予想を大きく覆した。



 姉はあまり育児に熱心ではなかったようで、よく自宅に預けては出掛ける
ような生活をしていた。

 特に義兄のいる土・日には、ふたりの時間が欲しいとか何とか理由をつけて
大を母親に預けに来ていた。



 それで休日はほぼほぼ自宅警備員だった私は、とうとう大と仲良しになって
しまった。



仲良くするつもりも可愛がるつもりもさらさらなかったのに・・
 なのにぃ~ 大と仲良しになってしまったぁ~。


 だってだって、大は天使のような可愛さで、とっても甘え上手で
って赤ちゃんや幼児なら当たり前のことなんだけどね。

 だけど身近で赤ちゃんに初めて接したら、大抵の人間はメロメロになると思う。
 それがまた、たまにじゃなくってしょっちゅう接するもんだから
たまったもんじゃない。



 私はりっぱな親馬鹿ならぬ叔母馬鹿街道まっしぐら。


 そして言わずもがなのことで母は、ババ馬鹿、父親もジジ馬鹿ぶりを
発揮。


 そんなだから大の存在で、私たち親子3人は毎日が仕合わせ一杯だった。