" Memories 回顧録4 "


== 長山都眞子 ==




 振り返ってみれば、姉との関係は希薄だったと思う。


 たった二人きりの姉妹だったのに、実を言うと私は姉のことが
苦手だった。


 両親はこんな不出来な私のことを可愛がって大切に育ててくれて、そんな
両親だから姉のことももちろん愛し慈しんでいたことは見ていて知っている。


 姉は両親からすると、親戚からもご近所からもそして幼い頃より
学校関係で先生たちからも、鼻が高い娘だったに違いない。



 だけど私が姉のことを好きだったのか、愛していたのか?と聞かれても
yesとは言えない。

 両親自慢の姉を好きでいられないなんて自分は何て
ねじ曲がった人間なのだろうと、少し悩んだ時期もあった。



 けど今なら分かる。
 決して私のほうに問題があったというわけではなかったことを。

 振り返ってみれば、私は姉からやさしくされた記憶がない。


 それどころか、場面場面で意地悪と思われるようなことをされていた節がある。


 それはあからさまなものではなく、ちょっとした日常の言葉の中に
棘を含ませるっていう手法だった


 例えばこんな風だ。

 一時期編み物に嵌っていた私に・・編んでいるセーターを見て
それいいじゃない、私にも編んでと姉は言った。

 私は肩凝りも何のその、姉の為に一生懸命編んだ・・編んで、編んで
姉の喜ぶ顔を想い、ひたすら編んだ。





 そしてついに

 編みあがったセーターを・・
 心を込めて作ったセーターを・・

 私は姉に手渡した。


 それなのに・・
 返ってきた言葉は予想の遥か斜め上だった。



 都眞子は暇だからねぇ~・・
 その一言で終わった。


 なんなんだ!

 ありがとうの代わりに、暇だからねぇ~とはなんぞや?
意味が分からない言葉をかけられた。


 姉の喜ぶ顔を想像して編んだ私の心を踏みにじるには十分な
言葉だった。



 思えばすべからくその調子だったと思う。


 姉が私にしか見せない態度や言葉の数々。



 理由は分らないけど、きっと私のことを憎んでさえいたのかも
知れない。身近に年が離れた妹を可愛がってる友人がいたのでよけいに切なかった。


 どうして姉は私の友人のように年の離れた妹の私を可愛がってくれないのだろうかと。


 お陰で・・?
 姉が急死した時も何にも感じなかった。


 葬式で私が流した涙・・それは3才でまだまだ母親を必要とする
甥っ子を思うが故の涙だった。


 姉を悼む涙は一滴も出てはこなかった。