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" Memories 回顧録2 "

== 長山都眞子 ==




 両親は受験に不向きな私の為にたくさんのお金をかけて私立高校に入れてくれた。
そんなだったから両親の為にという思いもあって、高校の3年間を私は
自分の限りを・・最善を尽くした。

 それでも悲しいかな、世の中は厳しい。
ちょっと名の知れた大学に入るには、私の実力はお粗末だったのだ。


結構頑張ったのにって思ったけど2年の後半から3年の1学期まで
担任はかなりレベルの低い学校を勧めてきた。


 正直勉強が得意ではない自分の身の丈というものを認識していた私は
大学に行かず働いてもいいと思っていたし、大学に進むなら自分に合った
大学でいいとも思っていた。

 両親にもそういった自分の想いは伝えていた。


 しかし、母は担任との話し合いの度に推薦でもう少しランクの上の
学校にしたいと食い下がった。しかも〇〇大学へ・・せめてこの辺の
ランクへ行かせたいとその都度先生に頼んでいた。


 母曰く、ダメ元なんだそうだ。
 物事は何でも身の丈に少しプラスして考えてたらちょうどいいのよって。


 それにこういっちゃあなんだけど、日本の大学は入るのは難しいけど
入ってしまえば、その後はちゃんと真面目に出席してノートとってたら
なんとか卒業できるようになってんのよぉって言うのだった。


 だけど母よ、母の勧める学校は私の実力からじゃあ、偏差値10程
足りないんだけどぉ・・って、私は全く行けるなんて露ほども
思ってなかったのに・・・。

 だけどそんな私を知ってか知らずか・・しり目に母は
高校からの一斉の案内で、その目的の大学へと私が3年になった夏休みに
話を聞きに行ってくれていた。


 後で聞いたけれど、ここに娘を行かせたいっ、、奇跡的になんとかして
行けるような僥倖が私と娘の元へ、舞い降りてくれないたろうか・・
と思ってみたり、だけど無理だろうなぁ~と思ってみたりという
相反する気持ちであっちへこっちへと心は揺れていたらしい。



 私もなんだかんだ思うところはあるものの、そこを狙ってる
友達と一緒に話を聞きに行ったりしていた。

 私が行ったのは夏休みの前だった。

 笑えるのは無謀と思いつつ、親子で説明会みたいなのに行ったこと。
 ひょっとしたら神仏が私たち親子に縁を届けてくれたのかもしれない。