彼の部屋を飛び出したとたん降り出した雨は、みるみるうちにどんどん激しさを増して、私の全身を濡らした。

 失恋して傘もささずに土砂降りのなかを歩くなんて、まるでドラマの主人公気取りでいやになる。だけどほんとうに、どうでもよくなるんだなって思った。雨に濡れるとか、冷たいとか、洋服もバッグも靴もびしゃびしゃになるとか、そういうことが、ほんとにどうでもいい。自分のからだが自分のものじゃないみたいだ。

 前髪からぼたぼたと生ぬるい水がしたたり落ちて、視界をじゃまする。くしゃみがひとつ飛び出して、それで私のからだははじめて寒さを認識したみたいで、かたかたと全身がふるえた。

 客待ちをしているタクシーたちのテールランプが雨に滲み、路面電車はレールを軋ませながら走り去っていく。
 濡れちゃうと、かしましく叫びながら走り去っていく、私と同い年くらいの女の子たち。それぞれにカラフルな傘をさして。

 金曜の夜の街は、どことなく浮ついているようにみえる。こんなに激しい雨が降りしきっているというのに。
 私だってほんの数分前までは、解放感と、彼に会いたいという気持ちでいっぱいだった。風船みたいにふくらんで、飛んでいきそうなほどだったのに、あっけなく弾けてしまった。
 タクシーが近づいてきて、すれ違いざまに派手に泥はねを飛ばした。
 汚い水をもろにかぶった私はもう、笑うしかない。涙も出ない。笑いしか出ない。
 普通に歩道を歩いていただけなのに、なんでいきなりこんな泥水をかぶんなきゃいけないの?
 また、裏切られた。
 何度。何度、同じことを繰り返すのかな、私。 

 電車通りから脇道にはいって、少ししたところで。すっ、と、頭上から雨が遮断された。
 立ち止まる。背後からさしかけられたビニール傘にぶつかって弾ける雨の音。
「何してるんすか。陽乃さん」
 振り返ると、ルームメイトの折原くんが怪訝そうに眉を寄せていた。
 小さいビニール傘を私にさしかけているから、折原くんのからだの半分も濡れはじめている。もう片方の手には、ぱんぱんにふくらんだエコバッグ。
「バイトの帰りにスーパー寄ってきたんだ?」
「俺のことじゃなくて。陽乃さんはいったいどうしてそんなにずぶ濡れなんすか、って聞いてるんです。傘持ってんのに」
「……激しい雨に打たれたい、そんな気分の日もあるよね」
「よね、って。俺にはないっすけど」
 風邪ひくから早く行きましょう、と折原くんが私をうながす。私は首を横に振った。
「私には構わず、先に帰ってくださいな。折原くんまで濡れちゃうもん」
「いいっす。もう手遅れだし」
 サックスブルーのボタンダウン・シャツの、右の肩のところが濡れて色が濃くなっている。ひどく申し訳なくて、ごめんね、とつぶやいた。
「そもそもこの傘、俺にはちっちゃいんですよ」
「折原くん、背、高いから。ビニ傘じゃなくってちゃんとしたの買いなよ」
「だって、すぐなくすし」
 あいあい傘でぎこちなく歩きながら、誰かとちゃんとまともな会話がまだできる自分に、少しだけほっとしていた。