「あれは行き場がない魂。君はあの中にいたんだ」
「へえ……え?」
「天国も地獄も今カツカツでね、受け入れ口がないんだよ。死亡時期に多少のズレがある魂には本来の仕分け時期までここで待ってもらってる。この仕分け場は魂にとって、一時的な保護場所になっているんだ」
死後の世界にも満員とかあるのか。まだ裁く予定のない死者の相手をしている暇など本当はないのかもしれない。
「そして君は本来の死期よりも六十年以上早く来てしまった」
「六十年以上……私、そこそこ長生きする予定だったのか」
青天目さんの口調は穏やかだけれど、冷静に考えてみると、とんでもないことをされたしまったんだなと他人事のように思う。
「そう。でもそこの〝死神〟が間違えて君の魂を狩っちゃったものだから」
これでもかというくらい嫌味ったらしい物言い。男の背中に見えない言葉の槍が突き刺さったように見えた。
「彼の力の具合をどうにも調整できない子でね、この間、やっと一人前になったと思ったらこれだ。どうやら判断を誤ってしまったみたいだね」
「待ってくれ青天目! こいつを人間界に戻せばいいんだろ、そしたら……」
「そう言う問題じゃない。ミスをした者にはそれ相応の罰則を与えなければならない。あと六十年も生きる予定だったのに、彼女がどれだけ辛い思いをしていると思ってるんだ」
青天目さんにそのまま気圧され、ぐっと男は黙りこむ。あまりいい空気とは言えない中、私は「あのー」とやや控えめに手を上げた。
「ちょっといいですか」
ふたりがこちらを見る。その動きがあまりに揃っていたので、少しだけおかしい気分になる。
「別に気にしてませんから」
「は?」
「え?」
また揃った。しかもふたりのきょとんとした顔が不思議と似ているから、思わず笑いそうになった。
「ちょうど、死んでもいいかなーって考えてたところだったんで」
気が病むほど嫌なことがあったわけじゃないけど、生きるって素晴らしいなんて思うほど楽しいこともなかった。あの世界に居場所なんて感じなかったし、くだらない毎日にうんざりしていたところだったし、逆に死後の世界になんとなく興味はあったし、まあ総じてちょうどよかったかな、なんて。
「確かに自分のミスなのに謝りもしない人に殺されたのは納得いきませんけど、それ以外は別に……まあ、運命だったということで受け入れますんで、その人の罰則は取り止めてください」
今のところ、死んだという事実にそれほどショックもないし。
「とりあえず私は上の方をさまよっとけばいいんですよね?」
そう続けて問えば、目を点にしていた男が顔をしかめて私に近付こうとする。それを制すように青天目さんが手を上げた。
「君はずいぶんと淡泊な事を言うんだね。生きていて楽しいことはひとつもなかったかい?」
「え? ああ、とくには。生きる目的みたいなのもなかったし、『いつ死んでもいいや』っていつも思っていたというか……生にあまり興味がなくて…やり残したことも別にないし」
ぼんやりと自分の記憶を振り返りながら、淡々と答える。すると男がにらみつけるような表情でまた一歩こちらに踏み出そうとした。
しかしそれをまた制すように「そう」と青天目さんが頷いた。
「君は“死にたがりさん“なんだね、珍しい」
「死にたがりさん?」
どうでもいいとは思っていても、別に私は死にたがっているわけではなかった。そう言おうとして、寸前で止めた。にこやかにしつつも、青天目さんが少しだけ悲しそうに、そして怒っているように見えたから。
「まあ、そういうのも人それぞれだよね。でも、君が死にたがりであろうと誤ってこちら側に連れてきてしまった以上、そう簡単に君の魂を受け入れるわけにはいかないんだ。勿論、この薊の罰則も帳消しにはできない」
穏やかな口調で話を続け、青天目さんは指を鳴らした。
瞬間、私の手首に黒色の腕輪がはめられる。
そして、そちらの男にも同じような腕輪がはめられた。男は、ぎょっとしたように肩を揺らしていた。
「死神名、薊」
青天目さんがゆっくりと男の名を告げる。
「お前を魂狩りの重大な規約違反につき」
その物々しい口調に、この場の雰囲気が一気に変わったように感じる。
「死神見習いへと降格する」
「な、はぁ……?」
「同時に魂狩り行動を禁ずる。また『残留思念処理課』への異動。その際パートナーを雨賀谷春子とし、六十年分の思念処理をしたのち、その“徳”を全て雨賀谷春子へ受け渡すこと」
「嘘だろ?」
ちょっと待て、と言う男の話を聞かず、青天目さんはまるで呪文にしか聞こえない言葉を並べながら、私の方へ身体を向けた。
「雨賀谷春子さん」
「あ……はい」
「君はこの仕分け場でさまよっても構わないと言っていたが六十年もここにいたら、この空間に耐えられなかった君の魂が“消滅”の道を辿るかもしれない」
「消滅?」
「さっきも言ったけどこの仕分け場は魂の一時的な保護場所で、いわゆる“溜まり場”ではないからね。数年ならまだしも十数年の魂が彷徨えるような空間として、そもそも作られていないんだ。つまり魂が消滅してしまったら、君は輪廻転生はおろか、何者にもなれずこの天界の一部になってしまうか、もしくは浮遊《ふゆう》魂|となって我々に危害を加えかねない」
青天目さんはゆっくりしゃべってくれているけど、頭がついていかない。えっろ、なんだっけ――。
「ふゆうこんって…… 」
「記憶のある魂のことだよ。わかりやすく言うと、浮幽霊のようなものかな」
「どうして危害をくわえるようになるんですか?」
「記憶があると言っても、長い間この世界にいると記憶がだんだん薄れてきて、自分が何者であるかわからなくなるんだ。そうなってしまうとはじめはなかった怒りや憎悪が湧いてきて、最終的に悪霊の類と同じようなものになってしまうんだよ」
「はあ……」
まだわかりきっていないまま頷いた私に、青天目さんはくすりを笑った。
「まあ、大抵は記憶がなくなる前に転生っていう形が多いんだけどね」
「記憶のない魂、っていうのもいるんですか?」
「いるよ、もちろん。死に際によほどショッキングな出来事があったか、生きていた頃の記憶を思い返したくない者、とにかく訳アリってやつだね」
青天目さんはにっこり笑う。まだまだ質問したかったけれど、その訳アリについて、聞くに聞けない雰囲気だった。
「本来はうつし世へ戻ってもらうほうが私達にとっても好ましいんだけど……君は乗り気ではないし“死にたがり”のようだし、一度狩ってしまった魂をうつし世へ戻すのはそう容易ではないからね。だから君が本来の仕分け時期までの時間を過ごす間、もしも心変わりして『うつし世へ戻りたい』と思った時の為に『残留思念処理課』で〝徳〟を集めてほしいんだ」
「とく?」
「君が雨賀谷春子として、もう一度うつし世に戻るために必要な念……いわばエネルギーみたいなものかな」
「え? 生き返ることもできるんですか?」
「もちろん。君は死んでしまったけど、それを帳消しにできるほどのエネルギーが徳にはあるからね。徳っていうのは、一度死んだ者が現世に転生する際に必要なエネルギー……、つまり生命を生み出せるほどの力を持っているから、可能性としてはあり得るよ」
なんだかものすごい規模の話をされている気がする。同時にやっぱり私は死んでいるんだとあらためて実感した。
「はあ……なんだかすごいですね、あ、あとうつ世っていうのは……」
「現世のことだよ。ちなみに残留思念処理課っていうのは、死神の仕事の一種ね」
質問ばかりの私に、青天目さんは嫌な顔ひとつせず答えてくれる。そして先読みまでして残留思念処理課のことまで教えてくれた。ありがたい、どこかの死神とは大違いだ。
「死神は魂を狩るというイメージが人間にはあると思うけど、その狩った魂が未練を残したまま浮遊魂になってしまうことがある。残留思念処理課――ザンシ課は主に、そんな行き場を失った浮遊魂を成仏させて、徳を蓄積するんだ。徳は、死者にとって輪廻転生後の寿命にも関わってくるものだから、こちらの世界で徳を得ることはそれはありがたいことなんだよ」
「それじゃあそのザンシ課の人だけが徳をもらえるんですか?」
「回収を出来るのがザンシ課ってだけで、回収された徳は基本、給料みたいな割合でほかの役職の者達にも振り分けてくれるんだよ、私たちもタダ働きはしていられないからね。こちらでのお金の役割だと思ってくれればいいよ」
「へえ……」