ひくりと男の頬がまた引き攣った。一見クールそうなのに表情が忙しない。
「言わせておけば……てめえ、俺が〝何者〟か知っててそれ言ってんなら、覚悟は出来てんだろうな?」
「え? 短気なコスプレイヤーでしょ?」
「……俺はなんでこんな奴を……もういい。お前みたいな女、どうせ遅かれ早かれ地獄に行くんだろうから今から俺が」
男がそこまで言いかけたとき、パチンと辺りが真っ白になった。
電気がついたとかそういう感じとはまた違っていて、なんというか曇天の空が急に晴れ渡ったような、形容しがたい色の変化だった。
(あざみ)
そして次の瞬間、空間全体に声が響き渡った。見回しても誰もいないけれど、そのやわらかく優しげな声は私たちの耳に輪郭を持って届けられる。
きょろきょろとする私に対して、男はピンッと尻尾を伸ばし顔を青ざめていた。あざみとは、この男の名前だろうか。
「キミはどういう権限でその子の罪の重さを量ろうとしているんだい?」
「……な、なばため……」
「ほら薊、答えてごらん」
優しいけど、ずしりと圧を感じる声。
「どうして、まだ死ぬ予定でもない人間の女の子がここにいるのかな」
さっきまでの勢いはどこにいってしまったのか。すっかり固まってしまった男が「それは……」と居心地悪そうに答えると同時に、ぶわっとあたたかな風が頭上から舞い降りた。
そして、風の中から黒ずくめの男とは真反対の、白いローブのような装いに全身を包んだ男が現れ、こちらに向かって頬笑んだ。目の色がこの男のように少しだけ赤みがかっているけど、色素が薄く銀色にも見える。角も尻尾もなく、絹糸のような白銀の髪の毛を右に結んで垂らし、まるで女のような出で立ちだ。けれど、目つきや声色はどこか男っぽい。
それにしても綺麗な人だ。斜め前で固まったままの……この薊と呼ばれたこの男も見た目は悪くないけど、この人は人間離れしている美しさを持っているように思えた。
「実に大変なことをしてくれたね、薊」
すっかり血の気の引いた顔をして、男は項垂れている。何もかも終わった、とばかりに額を押さえ絶望していた。
雨賀谷春子(あまがやはるこ)さん」
「え?」
なぜ私の名前を知っているのか。聞きたかったけれど、彼の有無を言わさないような雰囲気に、私まで気圧されてしまった。
「私は青天目(なばため)といいます。申し訳ない。私の部下の手違いで、こんなところに連れて来てしまって」
「手違い?」
というか、そもそもここがどこだかもわかっていないんだけど。
「そう」
謎が尽きないけど、とりあえずこの人の言葉の続きを待とう。きっと、わかることのひとつやふたつある筈だ。
「君は今から二カ月と十五日前に、死んでしまったんだ」
申し訳なさそうに彼が言う。
私はやはり死んでしまったらしい。
この妙な世界は、死後の世界ということだ。
薄々感じてはいたが、まさか二カ月半も前に死んでいたなんて、そんな感覚なかったからその長さには驚いた。
けれど、死んだこと自体は正直言って、だからどうしたという気分だった。
生きてようが、死んでようが、私にはどちらでもいいことだ。
「本当はあのホームを歩いていた青山為五郎(あおやまためごろう)さんが死亡する予定だったんだけど、どこかの誰かさんが間違えて君をホームへと突き飛ばしたみたいでね」
どうやらここにいる薊という男の手違いで、私、雨賀谷春子は人身事故で死んだということになっているらしい。最後に聞こえたあの「げっ」っていう声と共に、私をホームへ突き落したのはやっぱりこの男だったのだ。
やれやれ、とその人は手のひらを振りながらじっとりとした目で男を見ていた。男の肩はさらにぎくりと上がる。
「そのうえ、自分の粗相を揉み消そうと必死に君の魂を探し出したと思ったら、無理矢理うつし世へ戻そうとするんだから、本当自分勝手だよねえ。やだやだ」
呆れたように首を振り、どんどん追い打ちを掛ける。気まずそうにしている男の顔は私を相手にしているときと明らかに違っていて、非常にしおらしく見えた。さっきまでの偉そうな態度はどこへいったんだ。
それよりもそろそろこの状況について、説明がほしいところなんだけど。
「あの、質問があります。ええと、青天目さん」
手を上げればその人は「ん? なんだい」と私の顔を見つめ、首を傾げる。
「まず、ここはどこですか?」
「ここは魂の重さを量りにかけられる……言わば仕分け場だよ」
「仕分け場……?」
「そう。上を見てごらん」
言われるがまま見上げれば、頭上を白い光がひゅんひゅんと行き交っていた。その大きさはさまざまで、手のひらほどの大きさのものもあれば、ピンポン玉くらいの小さな玉もある。水晶の玉のような丸い光の玉だった。
こうして見ると、すごい量だ。全然気付かなかった。
私も男に連れられて下降していたとき、はたから見たらこんな感じだったのだろうか。
「右上に飛んでいってるのが、天国行きの魂だよ。輪廻転生の手続きをするんだ」
「手続きって…なんだかお役所みたいですね」
「ここは組織で成り立っているからね」
そう言って青天目さんは「思っていたより現実的でしょう? 〝現実〟ではないけどね」
はははと軽快に笑う。何も面白いことはなかったように思うけど。
「それから、見えるかな。ここから高いところに光が漂っているだろう?」
見上げた先に、いくつかの光が所在なさげに漂っている。その様子は、心なしかどこか寂しそうに見えた。
「あ……、はい」