二枚並べたせんべい布団。
「のう温人~」
 っ! 隣の布団から聞こえた猫なで声に、俺はまたかという思いで、くるりと背中を向けた。
「本当は聞こえておるのじゃろう? わらわ、やはり待てぬのじゃ。それに減るものでもなし、一発よいではないか?」
 直後、隣の布団から越境したツネ子が、俺の背中にピタッと張り付いて頬を擦りつけながら、色気もへったくれもない誘いをかけてくる。
「……」
「うぬぬぬぬ、温人はケチじゃ! いけずじゃ!」
「……」
 言いたいことは山ほどあったが、俺は理性を総動員して狸寝入りを決め込んだ。
「……なんじゃ? もしや本当に寝入ってしまったのか? ……つまらんのう」
 ツネ子は諦めたように、いそいそと自分の布団に戻っていった。遠ざかったツネ子の温もりに、俺はホッと安堵の息をついた。
「まぁよいわ。今宵、前哨戦と思うとったが、明日はポチッとした悩殺ランジェリーが届くゆえ、明日の本番に乞うご期待じゃな! ……ムフッ、ムフフフフ~」
 横から聞こえてきた台詞と忍び笑いに思わず噎せ返りそうになったけれど、なんとか気合で堪えた。
 そうこうしている内に、隣からすやすやと寝息が聞こえはじめた。
 俺はくるりと体の向きを変えると、ろくすっぽ布団も掛けずに大の字で寝転がるツネ子の首もとまで布団を引き上げてやった。
「まったく、俺の気も知らず安心しきった顔をして……」
 俺の呟きは、聞く者なく夜の空気に溶けた。
 ちなみに、心通わせた男女(?)がひとつ同じ屋根の下に暮らしながら、何故行為に及ばないのかと言えば、ツネ子の姿に理由がある。
 これは同居をはじめた最初の晩にツネ子に聞かされて知ったのだが、身長およそ140センチのツネ子の姿は幼体で間違いないらしい。ツネ子自身は神として聞くのも恐ろしい月日を過ごしているようだが、降格され、あやかしとなった今の外見は紛うことなき子供ということだ。
 俺の倫理上、子供とは……無理だ。ならば、ツネ子と一生そういう仲になれないのかといえば、そうではない。
 あやかしとしての徳を積めば、その姿も大人の女性に成長するというのだ。徳というのがどうやって積まれていくのかはわからないが、ここまで聞かされてしまえば、ツネ子の成長を待つことに否やはなかった。
 こうして我が家は「大人になるまでエッチは禁止」でルール化した……はずだったのだが、蓋を開けてみれば、俺は夜な夜なツネ子から怒涛のアプローチを受ける羽目になっていた。
「う~ん。……温人、大好きじゃよ……むにゃ」
 ……はぁ。俺の理性、いつまで持つだろう。
 可愛すぎるツネ子の寝言に苦笑して、やわらかなその頬をひと撫でしてから、そっと瞼を閉じた。
 あぁ、今夜も長い夜になりそうだ――。



「のう温人、昨日のひじきのおいなりさんも美味かったが、このごま高菜のおいなりさんもまた美味いのぉ!」
 俺の向かいで、ツネ子が口いっぱいにおいなりさんを頬張って目を丸くする。
「それはよかった」
「お世辞ではないぞ? わらわはこれまで、色んなおいなりさんをぎょうさん食べてきたが、どの店のものも温人のおいなりさんに敵うものはなかった! 温人のおいなりさんは、世界一じゃ!」
 ツネ子の賛辞が、照れくさくも嬉しい。
 俺がおいなりさんを作り、それをツネ子が美味しそうに頬張る。こんな幸福な日常が、ずっと続けばいいと思った。
「ありがとう。まだあるから、急がないで食べて」
「では、さっそくおかわりじゃ!」
 ツネ子は残ったおいなりさんを手に掴むと、空いた皿を俺に向かって差し出した。
「食べ過ぎて、またお腹、壊すなよ?」
「またとは失礼な! わらわがそなたのおいなりさんを食べ過ぎて腹を壊したのは最初の一カ月だけじゃぞ!」
 ツネ子は不満げに頬を膨らませたが、一カ月もの間、連日で食べ過ぎてお腹を壊していたら、蒸し返されても仕方ないというものだろう。
「はい、これで最後な。デザートに葛餅もあるから」
「なんと! 葛餅があるんじゃったら、これで十分じゃ。温人の葛餅もまた、ほっぺが落っこちる美味さなのじゃ」
 俺がおかわりのおいなりさんを乗せた皿を差し出しながら告げれば、ツネ子は満面の笑みで受け取って、大きな口でおかわりに噛り付いた。
「温人がいつも一緒におって、わらわの大好物のおいなりさんや葛のデザートを作ってくれる。ここはまさに、天国じゃ!」
 パンパンのお腹を撫でながら、嬉々とした声をあげるツネ子を眺めながら、俺こそが天国にいるのではないかと感じていた。
 ツネ子と出会ってから、俺の日常は喜びに溢れているのだから――。



「もう我慢ならん! そなた、いつまで外の風にもあたらん、太陽の光も浴びんで、パソコンに噛り付いているつもりじゃ!?」
 六カ月後、天国と言ったのと同じ口で、突如ツネ子が叫んだ。
 退社後の俺は、失業保険受給のためにハローワークに行くのを除き、ほぼ家で缶詰生活を送っていた。ツネ子に食べさせる三食はきちんと用意していたが、その材料は全てネット購入で賄う。
 そうなれば当然、ツネ子も一緒に缶の中だ。最初こそニコニコと三食を食べ、それ以外の時間はパソコンを打つ俺の背中に張り付いてみたり、膝枕で転がってみたりと楽しそうにしていたが、缶詰生活も半年に迫り、ついに限界に達したらしい。
「うーんと、それじゃ外の風と太陽の光にあたりに行こうか?」
 キーッと叫ぶツネ子に誘いをかければ、何故かツネ子はキョトンとした顔をして固まった。
「行かないの? だったら俺、一人で行ってくるけど」
「い、行くに決まっておろうが!!」
 俺がジャケットを羽織りながら玄関に足を向ければ、ツネ子が飛んで後を追ってきた。
「で!? どこに行くんじゃ!?」
「まずは印鑑証明をもらいに役所と、資本金を証明する通帳のコピーを取るから、コンビニもかな」
「なんじゃそれは!? デートにしては、ずいぶんと地味ではないか?」
 ツネ子が眉間に皺を寄せて俺を見上げる。
「そりゃそうさ。これはデートじゃなくて、会社設立の準備だからね」
「なんと! 会社設立とな!? なんの会社を作るのじゃ?」
「作るのは、デジタル資産の市場ニーズを踏襲した仮想通貨の発行元となる会社さ」
「通貨を発行? ……通貨というのは、稼ぐものではないのかえ?」
 俺の答えに、ツネ子は眉間の皺を深くして、怪訝そうに首を傾げた。
「ちゃんと稼ぐさ。ただし、稼ぐのは俺じゃない。お金にお金を稼がせるんだ」
 仮想通貨というのは、軌道にのせさえすれば実にうま味が大きい。流通させるだけで、勝手に多額の運用益が得られるのだ。
 仮想通貨の構想は、世間で仮想通貨が盛り上がるよりもずっと前から持っていた。俺ならば、市場ニーズを緻密に分析し、顧客を取り込める魅力ある構造が創り出せるという自負もあった。
 ただし、実現にあたっては最大のネックがあった。これらを作っても、普及の肝となる、信用というのは一両日では築けない。
 そこに現れたのがツネ子だった。驚くべきことに、ツネ子はちゃんと戸籍をもっている。
 しかも、その戸籍がすごかった。ツネ子は、近世の公家の血を引き、現代でも政界、財界にも顔が利く名家の出なのだ。
 共同経営者として会社を興せば、信用を得るには十分だった。
「それからツネ子、君の名前も使わせてもらうな」
「最初から言っておろう? わらわのものは、全て温人のいいように使ってくれて構わんぞ」
 ちなみに同居開始の晩に、俺はツネ子から「わらわの名前も、手持ちの現金も好きに使ってくれ」と言われている。もっとも、それらの出どころが全て、葛の葉っぱにかけた妖術だと聞かされて、現金は遠慮した。万が一、使った後で葉っぱに戻ってしまったら大ごとだと思ったからだ。
「使わせてもらう側の俺が言うのもなんだけど、そんなに簡単に了承しちゃっていいのか? 普通に考えれば、物凄いリスクだ」
「なーに、温人に貸すのにリスクなど……あ!」
 なにかに気づいたように、ツネ子が言葉を途切れさせた。
「どうかした?」
「わらわがリスクを負うというのなら、その代わりに、わらわの願いをひとつ聞いて欲しいのじゃ!」
 ツネ子が目をキラキラとさせ、紅潮した頬で叫んだ。
「わらわにその仮想通貨の名付けをさせて欲しいのじゃ!」
「いいよ」
 俺は躊躇いなく、頷いた。
 むしろ、ちょうどいいとも思っていた。仮想通貨をビジネスとして軌道に乗せることばかりに頭がいっており、通貨の名称というのは、まったく考えていなかったのだ。
 なにより、名ばかりとは言え、ツネ子は共同経営者だ。ツネ子にはその権利がある。
「人はよく、通貨を使って願掛けをするじゃろう? わらわも、それをするのじゃ! わらわは、温人が流通させる通貨に願いを込めた名前を付けるのじゃ」
 俺の了承を受け、ツネ子は興奮気味に続けた。
 ……通貨を使って、願掛け?
「あぁ、もしかして神社とかでの、お賽銭のことを言っている?」
「それじゃ!」
「へぇ。通貨そのものに願掛けとは面白いことを考えたな。それで? 通貨の名前はなんにするのか、もう決まってるの?」
「そんなのは決まっておろう! 通貨の名前は、ベッドインコインじゃ!!」
 っ!? 聞かされた瞬間、目の前が真っ暗になった。
 俺の考えた盤石の仮想通貨とその仕組み……。だけど肝心の通貨にそんなふざけた名前が付いてしまったら、全てが泡と散る。
 っ、考えろ! 考えるんだ!! どこかに打開の道はある――!
「……そうか。それは、実にいい名前だな」
 俺は、今ほど頭を回転させたことはなかった。なんとか笑顔を貼り付けて、ツネ子に向き直る。
「そうじゃろう!? わらわの悲願である、そなたとのベッドインの願いを込めたのじゃ」
 直球すぎる発言と笑顔に押されるが、なんとしてもここで折れるわけにはいかなかった。
「そうだったか。だがな、その名前は素晴らしいが、流通させることを考えると少しだけ長い。だから、BIコインと省略させてくれないか?」
 なんとか見出した打開案、「省略」を極力のさりげなさで切り出した。
「流通しにくいのはよくないが……。じゃが、省略しては、願掛けの効果が薄れはせんじゃろうか」
 俺の提案にツネ子は、不安気に眉根を寄せた。
「それは全く問題ない。重要なのは、神様に祈ろうとするその心だ。参拝だって、正しい手順を踏んでいる人というのは、実際は僅かしかいないだろう? だけど誰もが、心を尽くして礼を取り、それが神様に届いている」
「それもそうじゃな! よいぞ、流通しやすいよう、コインの名前はBIコインで構わんのじゃ!」
「よし、決定だな。ツネ子、素敵な名前をありがとう」
「どういたしましてなのじゃ!」
 満足気に微笑むツネ子に、俺も笑顔を返しながら、内心で特大の安堵の息をついた。
「ふふふ、楽しみじゃな。……願掛けの方もじゃが、なにやらそなたなら一獲千金をなしてしまいそうな予感がするのぉ」
 ちなみに、ツネ子がポツリとこぼしたこの「一攫千金」という台詞は、僅か一年後に現実のものとなるのだが、それはまだ少しだけ先のお話――。