神様に手を引かれる、という何とも不思議な体験をし、『行きつけの商店街』とやらについた。
商店街というより屋台に近いと思われる。狭い道を挟むようにして左右に並ぶお店。
神様の言う通り、服や鞄、食べ物に文房具など、様々な品を売っていた。
それらは私たちの生活と変わらないのに、それを売っている店主が少し違う。
大きなお腹を前に出し、頭にハチマキを巻いた狸。人形のように手招きをする猫。目をつりあげた黄色い狐などが、客を呼び寄せる。
ちらほらお客さんらしき人がおり、店主と話していた。
お客さんは日本語を話しているが、店主は日本語でも英語でもない、鳴き声のような言語を話していて、私には理解ができなかった。
「あの、今更なんですけど、ここってどこですか?」
タイミングを逃し、ずっと聞きそびれていたことをようやく聞くことができた。
神様という存在を知ったものはいいが、これは夢なのか、異世界なのか、はたまた『見える』体質になってしまったのか。
「ん? ここは頂上付近だ」
神様はそういいながら、色んなお店の商品を物色している。
道理で話が噛み合わないはずだ。ていうか、さっきまでここで買い物してたんじゃないの?
するとふくらはぎに、暖かくてふわふわしたものが触れた。見下ろすと、白狐の一匹の尻尾が触れており、何か話した気な表情で私を見ている。もう一匹は、神様について行ったらしい。
「ワシが代わりに説明してやろう。あの方は一度何かに集中すると、周りが見えなくなるからな。あれでも話を聞いている方じゃ」
だったら、いつもはどれほどひどいのだろう。そんなことを想像すると、白狐たちが呆れるのも無理はないと思った。
「良いか、よく聞くのじゃぞ。ここは夢でも異世界でもないし、お主が変な物を見えるようになったわけでもない。同じ世界じゃ」
「同じ世界? じゃあ、現実ってこと? それにしても、私が考えてることよくわかったね」
狐はフンッと鼻を鳴らし「だてに何千年間、人間の世話係やってないわい」と誇らしげに言った。
「難しいかもしれんが、元々この世界は、お主のよく知る世界ともう一つ同じ世界が少し重なり合ってできているのじゃ」
言っていることがよくわからなくて、ポカンとしている私を見て、狐は赤い紙と白い紙を取り出した。
「赤い紙がお主の世界。白い紙がここ、あやかしの世界じゃ。人間たちは知らないと思うが、実はこの世界は半分だけ重なっている。
ワシらは皆、お主ら人間のことが見えるが、人間はそうじゃない。
この重なった部分があろう? そこに属すのが、いわゆる霊感の持ち主じゃ。
そやつらは、お主の世界におってもワシらのことが見えるが、重なっとらん赤い部分に属す人間には見えん。それが大半なのじゃがな。
ちなみにここで人の姿をしとる客は皆神様じゃ」
赤い紙の上に半分だけ白い紙が重なり、真ん中がピンク色に見える。
つまり、このあやかしの世界から見れば、私たちは丸見えだけど、こちらは一部の人にしか見えないと。
「なるほど。じゃあ私は見える体質になったってことね」
「ああもう、違う違う。お主は真っ赤な部分に属す、生粋の見えない人間じゃ」
「ええ、じゃあどういうこと?」
生粋の見えない人間って、何その皮肉っぽい言い方。だったら他に、私がここにいる理由だとか、見える理由とかがあるのだろうか。
「お主は今、神隠しに合っているんじゃよ」
「か、神隠し?」
狐は紙を地面に置いた。今度はそのピンク色の部分に小石を置いた。
「霊感のある者がワシらを見るのと神隠しでは、決定的に違うところがある。
それは肉体の存在位置じゃ。霊感のある者は見えるだけで、肉体はそのままの場所にある」
ピンク色のところから動かない小石を眺めていると、白狐がそれをつまみ上げ、次は赤い部分に置いた。
「ところが神隠しは、肉体ごとこちらの世界、つまり白い紙の部分に飛んでしまうのじゃ。
さっき言ったろう? 白い紙であるワシらの世界は、普通の人間には見えないと……」
赤い部分にあった小石は、白狐に操られ宙を舞い白いスペースに移動する。
だんだんと声を低くして話すその内容に、血の気が引いていく感覚を覚えた。
そうだ。夢だと洗脳して、考えないようにしていたが、神様に手を引かれて石段を上る途中、何人かとすれ違ったが、こちらを見向きもしなかった。
普通、人間があんなに勢いよく石段を駆け上っている姿を見たら、どうしたものかと変な目で見られるはずなのに。
走っても疲れない。真冬にTシャツを着ていても、寒いと感じない。暑いとも感じない。
それは同じ世界に見えても、違う世界だということを表していた。
がやがやと騒がしい商店街の真ん中で、一人背筋が凍った。手のひらは冷たくなり、スッと冷や汗が流れる。周りの音が妙に大きく聞こえて、私を囃し立てているように感じた。
「帰れ……ないの?」
蚊の鳴くような声で、つぶやいた。足元の狐は紙を持ったまま、不思議そうに答える。
「帰りたいのか?」
「そりゃあ……」
まるで、ここに来た人はみんな帰りたくないと思うのが常識だと言わんばかりの表情だった。逆にいきなりこんな変な世界に来て、帰りたくないと思う人なんているのだろうか。
「それは本心か? 神隠しに合う人間や、特に標様の元に呼ばれる人間は、何かしら理由がある。標様はその内容をご存知じゃろうが、解決するまで帰れんと思うぞ」
振り返り、神様を探すと、相変わらず店を転々とし、品物を手に取って確認している。すでにその手には、紙袋が二つあった。
「あの神様、絶対わかってないよ。ていうか、私のこと完全放置じゃん」
「こりゃ! あれでも一応神様なんじゃぞ! それにな、標様を舐めたくなる気持ちはわからなくもないが、本当に素晴らしい方なんじゃ」
「仕えてるのに、右狐も神様のこと舐めるんだ」
「ワシは左狐じゃ」
いや、このそっくりの見た目でどう見分けるというのだろう。まるでコントのようなツッコミに笑ってしまった。
出会った当初は、右狐に『なぜこんな奴の方が上なんだ』と言われていたが、少しだけ理由がわかった気がする。
「見分け方わかんないよ。そっくりなんだもん。あと左狐、この世界の説明上手いね」
「これまで何千年と標様にお仕えして、人間の世話をしてきたからのう。
最初のころなんぞ、理解してもらえるまで数日かけて説明と体感をしていたからな。
いつしかの人間に『左狐は〝じゃ〟とか〝こりゃ〟という言葉が多い』と言われたことがあるから、そこで見分けるしかないんじゃないかのう」
それは見分けるというより聞き分けてるんじゃないの、と思ったが言わないでおいた。正直、これからも区別できる気がしない。
「おーい! 人間のお嬢さん! ちょっと来てー!」
遠くから神様の声が聞こえた。ついでに呼び鈴を鳴らすように、耳元のイヤリングをリンリンと響かせている。
「あーはい! 今行きます!」
人波、いや神波を掻き分けて、私は神様の元へ向かった。
その店は閉店セール中の服屋のように、ワゴンに大量の服がグシャリと山積みになっている店だった。
ただし、閉店セール中でもなければ、私たち以外誰もいない。目を吊り上げた黄色い狐が一匹、定位置であろう高めの椅子に座っていた。
「コココ、コココンコ!」
店主が神様に何か話している。でも狐語なのか、何を言っているか全くわからない。
「おお、そうであろう! だがな、この娘がこの服を悪く言うんだ。だから、人間の最先端の服装を教えてもらおうと思ってな」
「コココン⁉ ココン、コンコンコココン!」
今度は私に向かって何かを言っている。けれど、さっぱりその言語は理解できない。白狐たちとは普通に話せるのに。
「お前、どこが悪いか言ってみろ。だってさ」
神様が笑いながら訳してくれた。多分、この変わったTシャツは、ここで売られていたのだろう。
「えっと……。まず、『Beef or Chicken?』の意味わかってますか? 牛肉か鶏肉か、ですよ。なのにどうして豚のイラストが描かれているんですか? 面白さとしてはいいと思いますけど、かっこいいとはあまり……」
ここで作られたのかはわからないけれど、これをかっこいいと言ってることは事実だから、一応『かっこいい』の基準を修正してあげた。
神様はプルプルと震えていた。また泣いてしまったのかと焦ったけれど、どうやら必死に笑いをこらえているらしく、引き笑いをしながら私の言葉を店主に伝えている。
また店主に怒られるかと思ったけれど、なぜか今度は顔面蒼白になって、一言も口を開かなくなった。
「こいつな、本気でその服かっこいいと思っていたのだとさ。人間の最先端ファッションはこれだと」
確かに、誰もあんなデザインの服を着ていないから、ある意味最先端なのかもしれない。
それに、さっき買っていたスパンコールのジャージたちよりはマシだもの。
でも、少し強い口調だったかもしれないと反省した。私が狐の言葉を理解できたら、こんなにショックを与えなくて済んだはずだし、何より神様という通訳者を通さない方が手っ取り早い。
狐語は厳しくても、もっと色々な言語を話せたら楽なのかな。
「まあ、もう服の批判はいい! かっこいい今どきの服とはどんなものなのだ?」
神様は待ちきれないといった様子でワゴンを漁る。
私も、ちょんっと服をつまみあげて考えた。
「あ、これ。こういうのとかどうです?」
私が拾い上げたのは、黒いロングコートとズボン、そして白いワイシャツだった。
至って普通で、流行りとかではないけれど、これくらいしかまともな物がなかった。
「少しシンプル過ぎることはないか?」
「大丈夫です。シンプルイズベストですから」
まだ疑心暗鬼な神様に対し、一度試着してくださいと頼んだ。
試着室があるか心配だったけれど、ほとんど使われていない汚れた試着室ならあるらしく、そこに神様を放り込む。
入る時は渋っていたものの、着替え終わると勢いよくカーテンを開けた。
そこには、予想通りのイケメン神様が誇らしげに立っていた。鏡も備え付けられていたので、自分でその良さを実感してくれたのだろう。
白と黒という安定の組み合わせに、神様の真っ白な髪色が上手くマッチしている。
「か、かっこいいです」
思わず見とれてしまった。店主の狐や白狐たちも同じようにコンコン呟いている。
「そうか! さすがだな、えっと…舞!」
「え、どうして私の名前を…?」
「そりゃ、神様だからな! 狐!お会計!このまま着て帰る!」
店主は慌てて値段を計算し、タグを切っていた。白狐たちも神様に財布を手渡す。
嬉しそうにクルクルと回る神様。その様子を見て、なんだかこちらまで笑みがこぼれてしまう。
お会計が終わり、通りに出た。
元着ていた服は今日買った別の紙袋に突っ込む。
「シンプルイズベストって本当なんだな! 柄が沢山ある方がかっこいいと思っていた!」
「柄物も悪くは無いですけど、あの服はちょっと……ですね」
それを聞き、神様は声を上げて笑った。新しくてかっこいい服に出会えて、とても幸せそう。
流行りとかをもっと知っていたら、他にもかっこいい服を教えてあげられたのかな。
まあ、あのお店だとこれが限界だと思うけれど。
そう思っていると、神様の笑い声がピタリと止んだ。不思議に思って見上げると、神様は真剣な表情で、斜め向かいのお店を見ている。
「どうしたんですか? そんなに良いものがありました?」
「ちょっと待ってろ」
相変わらず話がかみ合わない。でも白狐と一緒に急ぐ姿を見て、何か異変が起きたことを察知した。
向かいのお店もざわざわとしていて、私もその野次馬の一人になる。
よくよく見てみると、お店の中ではなく、店と店の間にしゃがみ込んでいた。神様たちの間を上手く通り抜け、視線の中心の近くまで来る。
「迷子になったのだな」
何か力が込められているような、優しすぎるその言葉に、心臓がドクンと脈を打つ。
神様がそうつぶやいた相手は、頭に小さな角を生やした、リンゴ三つ分ほどの黒い鬼のようなもの。手には槍のようなものを持っており、小さく震えていた。
「そうか、苦労したな。本来ならばもう少し話を聞きたいが、ここにいると、お前の命が危ない。さあ……」
突然、強い風が吹き荒れた。穏やかな陽だまりのように暖かい風。
その流れは神様から小さな鬼に向かって吹いている。
流れに沿って、小鬼の背後に、風鈴のついた白い鳥居の階段が現れた。
小鬼のサイズに合わせた小さな鳥居の並びは下を向いており、階段の終わりは光が溢れていて見ることができない。
まるで、白いブラックホールのように吸い込まれそうだった。
「さあ、行け。こちらがお前に相応しい」
神様がそう唱えると、鳥居についた大量の風鈴が、風に乗って一斉に鳴り始めた。
高い音、低い音、ゆっくりだったり速かったりとバラバラなのに、耳触りの良い綺麗な和音が響き渡る。
その音を聞いていると、心臓の動きがどんどん激しくなって、目眩がした。呼吸が荒くなって苦しい。
風鈴の音が、ガンガンと頭を攻撃しているように感じた。
「ぽふっ」
そんな感触が耳にあった。ふわふわと触り心地の良いそれは、音が聞こえないように塞いでくれているのがわかる。
今にも倒れそうなほど腰が曲がったまま、視線を後ろへ向けると、いつの間にか肩の上に白狐が乗っていた。
音が聞こえにくくなったおかげで、頭の痛みが少し良くなり、また神様の方へ目をやる。
小鬼が神様にぺこりとお辞儀をし、終わりの見えない鳥居の階段を下りて行った。
小鬼が光に包まれ見えなくなると、風鈴は止まり、鳥居の階段は煙となって消えていく。
光も収まり、神様はスッと立ち上がった。
「もう大丈夫だ。ちゃんと帰した」
周囲の者に優しくそう伝えると、みんな安心したように会話を再開しながら散っていった。
私だけがしゃがみ込んだまま、呆然との様子を眺めている。
「ああ全く。だから標様に待っとれと言われたであろう!」
肩からぴょんっと地面におりた白虎に怒られる。
すると神様はガラスに触れるかのように、そっと私に手を差し伸べてくれた。
「大丈夫か? 苦しくないか?」
「あ……はい」
力の抜けた声でそう答えた。差し出された手に自分の手を重ね、引かれるままに立ち上がる。
「あの、さっきのは……」
聞いていいものかわからなくて遠慮がちに聞いてみたが、神様は「ああ」と察してくれたようだった。
「あれは地獄の見習い鬼だ。鬼にも色々あるみたいでな、ここに迷い込んでしまったらしい。
ただ地獄の使いである鬼が、神隠しにあって、このような聖なる場所に長時間滞在すると、消えてしまう可能性がある。
だから、奴にとって相応しい道に帰したのだ」
まだ手を握ったまま、なんてことないというようにサラリと答える神様。
先程の余韻なのか、再び心臓が飛び跳ねて暴れている。
鳥居の階段、数々の美しい風鈴、神様の綺麗な横顔、どれも目に焼き付いて離れない。
耳の奥で、あの優しい声が繰り返し再生されていた。
いや、これはさっきの余韻だ。絶対そうだ。苦しかったから、きっとそれが怖くて忘れられないだけ。
「そ、そういえば! どうして苦しいってわかったんですか!?」
じわりと滲み出ていた手汗を誤魔化すように手を離し、少し俯いた状態で神様に質問する。
なんだか顔が火照っている気がして、神様を見ることが出来ない。視界に入っているのは、同じ角度で首を傾けた白狐たちだけだった。
神様の「うーん」と考える声が耳に入る。
「まあ、それは後でだな! あの店に行こう!私がよく寄る店だ!」
綺麗で優しくてかっこいい神様が、質問をはらぐかすように一瞬で子供に返る。
せっかく離した手をまた掴まれ、今度はスキップを始めた。
まるで幼稚園児の遠足だ。手を繋ぎながらスキップだなんて。
そんなことを考えていると、途中でいきなり立ち止まり、顔を覗き込まれた。
何かと思って首を傾げると、神様はニッと白い歯を見せて笑った。またスキップを再開し、今度は鼻歌を歌い始める。
それに合わせて、耳元の風鈴もチリチリと踊った。
神様、あなたは一体何をしたいんですか?
こんなことして、何が楽しいんですか。
暴れ狂う心臓を、なんとかして落ち着かせようと視線を落とした。
そこには、背中にはひとつずつ、神様の忘れていた紙袋をのせた白狐たちが、せっせと走っていた。
「紙袋、服、右狐、左狐。紙袋、服、右狐、左狐……」
「なにをブツブツ言っとるんじゃ」
恐らく左狐と思われる白狐に、白い目で見られる。
それでも馬鹿げた感情を打ち消すのに必死で、呟き続けた。