神様のよく行くお店とやらは、これまでの屋台型とは違い、ちょっとした小屋のようだった。

表には神様が身につけている風鈴と似た形のものが風に吹かれて揺れている。

ここまで来てようやく手を離してくれた。
暖簾を潜り、木製の引き戸を滑らせると、頭にタオルを巻いている五十代くらいの細身のおじさんが、座ってお茶を飲んでいる。

でもここでは確か、人の姿をしているのって皆神様だったような。でも神様が働いているというのは変だ。商店街でも、一度も見ていない。


「ああ、(しるべ)様!いらっしゃいませ」

その人は立ち上がり、頭のタオルを勢いよく外して、頭を下げた。

敦史(あつし)、今休憩中か? 」

「はい、そうです。あ、その子、もしかして…」

敦史、と呼ばれるおじさんは、笑顔で私と神様を交互に見る。

その表情から、悪い人ではなさそうだと判断できた。

「大丈夫だ舞。こやつは人間だ」

「え、に、人間!?」

人間ってどういうことだろう。見える人?神隠しにあった人? いずれにしろ、小屋まであるくらいだから長い間ここにいることは確かだ。

「そうだ。こやつは河西敦史(かわにしあつし)と言ってな、三十年ほど前に今の舞と同じく神隠しに合った人間だ」

「さ、三十年間もここに…?どうして?」

そう聞くと神様とおじさんは、まあまあ落ち着けと言わんばかりに、奥の座敷へと連れていってくれた。

少しじめっとしたカビ臭い部屋の真ん中に、小さな囲炉裏があった。
おじさんは私と神様、そして白狐たちに、沸かしたてのお茶を入れて渡す。

神様は熱いお茶を勢いよく飲み干し、ぷはぁと息を吐いた。

「いつもな、人間が来た時はここに連れてくるのだ。体験談を聞いた方が早い」

わけがわからず困った顔をしておじさんを見る。おじさんも苦笑いをして、話し始めた。

「えっと、左狐か右狐に聞いたかな、この世界のこととか今まで何人もの人が来たとか。あと、標様のことも」

「あ、神様のことだけ知りません。というより教えてくれません」

神様は笑いながら誤魔化し、「ちょっと外に出てくる!舞、ゆっくり話を聞け」と言ってさっさと出ていった。

おじさんと白狐はやれやれといった様子だったが、こんな初対面の人と一緒にいるのは少し気まずい。白狐たちがいるからまだいいけれど。

「まあ、つまりはねお嬢さん。標様は、迷った者たちを導く、道標(みちしるべ)の神様なんだよ」

「道標?」

「そう。それを踏まえた上で、僕のこれまでの人生を話していくね」

正直、おじさんの人生なんてこれっぽっちも興味がなかった。

でも、神様がいつもここに連れてくると言うくらいなんだから、なにか理由があるのだろうと思い、私は背筋を伸ばして話を聞いた。

「僕の父は風鈴を作る職人だったんだ。高校一年生の時、初めて風鈴を作った。形は歪だったし音も濁っていたけれど、凄く楽しかったんだ」

チリン、と壁に飾られている風鈴が音を立てる。
よくよく周りを見てみると、色とりどりの風鈴が並んでいる。

「でも生活は苦しかった。だから父は僕に風鈴職人を継がなくてもいいと言ったんだ。自分でも、これから一生生活が厳しいのは嫌だったから、普通に会社員となる道を選んだ。

でもそこは酷い会社だった。暴言暴力、残業で会社に寝泊まりの日々、少ない給料。
当時は当たり前のようになっていて、自分が社会についていけないのが悪いんだと精神的に落ち込み始めていた。

そんな時、追い打ちをかけるように両親が事故で亡くなったんだ」

ほんの数分で壮絶な人生の一部を聞かされた。おじさんは苦笑いをしているが、こちらはどういう反応をすればいいかわからない。

ただ真剣に、話の続きを待った。

「もう駄目だと思ったね。自分も両親の元に行こうと思った。でも死ぬ勇気もなければ、退職する勇気もない。
酒に走って、ベロベロに酔っ払って、今度は本当に走り出したくなって走った。ってことまでは覚えているんだけど、お酒のせいか気がついたら朝で、白い鳥居の前に倒れて寝ていたんだ」


なんだか、私と似ていると思った。お酒に走ってはいないし、ここまで壮絶な人生でもないけれど、苦しくて、逃げ出したくてここ辿り着いたのは同じだ。

「それで、標様と出会ったんだ。まあ最初は色々と振り回されたね」

部屋の隅に置いてある紙袋を見てそう言った。白狐たちもうんうんと頷いている。

「変な音のする風鈴を耳につけているし、服装はおかしいし、本当にやばい神様だと思ったよ。
でもね、標様は全てわかっていらっしゃった。
ああやって弾けてらっしゃるが、それは全て、やって来た人間に悟られないように悩みを解決し、その人の決断した道へ歩ませるため。
それがあの方の優しすぎるやり方なんだよ」


それを聞いて、私は今までのことが全て繋がった気がした。

おちゃらけて、子供のようにはしゃいで、人の話は聞こうともしない。

でも、そのおかげで私は神様に気を許すことができ、知り合ったばかりなのにこんな怪しげなお店にまで付いてきた。

本当に大事なことは全てわかっていて、小鬼のこともいち早く見つけて助けてあげていた。

本物の神様だ。

何故か目頭が熱くなってきて、おじさんの顔がぼやけてくる。頬に生暖かい雫が落ちてきた気がした。

おじさんは何も言わずに、傍にあったティッシュ箱を渡してくれた。

「す、すみませ……。続きを、お願い…します」

鼻をすすり、目を擦った。おじさんは程よいタイミングで、再び口を開く。

「標様は、正しい道というものは教えない。その人が決めた道が、より上手く進むように、相応しい道順を示してくれるんだ。目的地は自分で決めて、標様はその道順を教えてくださるだけ。
僕は、もうあちらの世界に帰りたくなかった。帰るのが怖くなってしまったんだ。だから僕は、この世界で生きるという道を選んだんだ」

おじさんは、この道に進んで幸せだと言いたげだった。

ただ、少しだけ疑問に思った。

ここに来たのは三十年ほど前の話。それは新入社員の頃だと言っていた。
今、おじさんの身なりは五十代に見える。他の神様や生き物たちは、誰一人老いていないのに。

「あ、あの……。人間はここに住むことを決めても、時の流れは普通の人と同じなんですか…?」

おじさんは「やっぱりそう思うよなぁ」と頭を掻きながら言う。

「お嬢さんの言う通り、僕の時間はこっちにいても変わらず進む。
いつかは死ぬんだ。その時は、人の世界のこの山の中で、いつしか遺骨で見つかるらしい。
行方不明になっているはずだから、山の中で遭難した人の遺体が見つかりました、って」


おじさんは笑っていた。それら全てを受け入れた上でここにいるんだ、と言っている気がした。


「そうだ。敦史はあくまで、神隠しにあった人間だからな。あ、そういえばな、これは敦史が作ってくれたんだぞ!」

いつの間にか、入口の前に腕を組んで立っていた神様。涙でぐちゃぐちゃの私に、耳についた風鈴を見せてくる。

「そう、僕は標様に救われたんです。ここで父の仕事であった風鈴を作れるようにして下さった。
高校生の頃に作ったっきりで、作り方を思い出すのも大変だったけれど、その時も標様はさりげなく支えてくださったんだ。
そのお礼に、昔の風鈴を今風にしてプレゼントしたんだよ」


神様は本当に照れているのか、ちょっとだけ口角を上げて俯いている。
その感情を表したように、イヤリングが音を弾かせた。

「ふ、風鈴は昔は違ったんですか?」

思い切り鼻水をかんだ後、そう聞いてみた。
するとおじさんは立ち上がり、タンスのひとつを開けて、何かを取り出す。

「これだよ、昔標様がつけていたのは。僕が標様に手作りの新しい風鈴をあげた時、お礼だって言ってくれたんだ。今でも大事に保管しておりますよ、標様」

最後は神様に向かって微笑んでいた。神様は「あーもーいらぬいらぬー!」と言いながら私が手に持つ風鈴を奪おうとしてくる。

その風鈴は青銅らしきものでできていて、今のガラス製とは全く違った。少し揺らしてみても、鈍く重い音がする。

最先端好きな神様にとっては、今つけているガラスの風鈴は宝物だろう。

「風鈴は、中国から伝わったらしいんだけど、当時は風の向きや音の鳴り方で物事の吉凶を占うものとして使われていたんだって」

おじさんが説明をする。
そうか、道標の神様だから、風鈴を付けているんだ。今まで神様だからという理由で気にしないでいたが、よくよく考えてみれば耳に風鈴なんて変すぎる。

「まあ、この風鈴は感謝している。前のものも重いと思ったことは無いが、鈍い音が耳元で鳴り続けていると、動きたくなくなるからな」

フッと笑って、照れを隠すように頭をかいた。白い髪がふわりと揺れる。

「その髪色もなにか理由があるんですか?」

「ああ、白は穢れの無い色だからじゃないか?
まあそれはさておき、さあ、そろそろ行こう!さっき飲食店を見てきたが、美味そうなものがあったのだ!」

また声の調子を上げ、私の腕を引っ張る。

さっきは傍に隠れて聞いていたのかと思ったけれど、本当に外に出ていたんだ。

私は湯呑みをおじさんに渡し、お礼を言って外に出る。
神様も、「ありがとう敦史!また頼む!」と言い放ってお店をあとにした。



お店の前に出て、神様はふうっと息を吐く。
白狐たちは何も言わず、大人しく付いてきていた。

「さて、あそこに行くか」

落ち着いた表情で、今度は離れて歩き出す。

当たり前のことなのに、今まで暖かく握られていたものが無くなって、急に手が寂しく感じた。

大事なプリントを忘れてしまった日みたい。

そう思い込んで、自分の感情に蓋をする。
気付かなければ、これは名前のないただの感情。
だから、見て見ぬふりを貫いた。


神様の後ろに並び、見えてきたのは商店街の終わり。
広い公園のようになっているけれど、たくさんのベンチやテーブルが置いてあって、人型神様がお喋りをしていた。

「ここは頂上の休憩所だ。ほら、あそこに神社があるだろう? そこで参拝してる奴らは皆人間だ」

神様の休憩所の隣には、確かに神社らしき小さな鳥居と祠があって、頂上にたどり着いた人がちらほら参拝していた。

参拝に来た一人のお兄さんが、チャリンと小銭を入れ二礼二拍手をし、目を閉じている。

『今年も家族や親戚、友達が、健康で楽しく幸せでいられますように』

 不思議な声がこの休憩所に響いた。まるで迷子のお知らせのように、エコーを通した声だった。

その声が聞こえ終わると、お兄さんは一礼をして、帰って行く。

そのとき、休憩所でのんびりとしていた神様の一人が、お兄さんに手をかざした。

すると、急に強い風が吹いて、お兄さんの髪が激しく揺れる。お兄さんには見えていないのだろうけれど、その風は少し緑色に光っていて、お兄さんに降りかかっていた。

『孫が今年受験なので、無事合格できますように』

 次の人は、本格的な登山服を着たおばあちゃんだった。

その人に向けて、また別の神様が手をかざす。
再び吹き荒れる風は、青く光って見えた。

「あれが加護だ」

光を浴びる人達をぼんやりと眺めている私に、神様が言った。
光はその人に(まつ)わり付き、共に下山していく。

「ご利益があるって聞いたけど、本当にあるんですね」

「ああそうだ。それはここだけに限らない。どこでもあるんだ」

「そっかあ。だから山の上って風が強いんですね」

ここに来なければわからなかった。知らない世界だった。神様だって、いればいいかなくらいの感覚でしかなくて、実際にいるなんて思いもしなかった。


「まあ、加護といっても、全員に全力で与える訳では無いがな。時と場合、人間性にもよる。そして、それぞれの願いに合わせた神が、加護を与えるのだ。
神の休憩所である頂上は、人が少なく神は多い。加護を受ける可能性も高くなるということだ」


いつになく真剣に、色々と教えてくれる神様。
遠くを眺めている横顔は、おじさんの前とは打って変わって大人びた顔つきだった。

「さて、ゆっくり話でもするか」

優しく私に微笑みかけ、ザクザクと砂利の上を歩き、ベンチへと向かっていく。

「え、飲食店は?」

私がそう聞いても、神様は微笑み返すだけだった。

なんだろう、この胸騒ぎは。神様の話が怖い。嫌だ、聞きたくない。

神様はベンチに座り、欠伸をして腕を天高く伸ばす。白狐たちは、お呼びでないことをわかっているのか、テーブルの下で休んでいた。

私はテーブルを挟んで向かいに座り、今にも面接が始まりそうな雰囲気に不安が押し寄せる。

「小鬼が来た時に、聞いたよな? なぜ舞が苦しんでいることがわかったのかと」

私はあの鳥居の階段のことを思い出し、首を縦に振った。

「あれはな、この世界のものでない者を、あるべき場所に帰す力を働かせていたのだ。
だから、舞もそれに引き寄せられた。
だが、ここに呼ばれた原因を解決出来ていないから、魂と体が分離しそうになった。それに抵抗するために目眩などが起こっていたのだよ」

「え……」

さり気なく、物凄く恐ろしいことを言われ気がする。だから白狐もあんなに怒っていたのか。

もしあの時白狐がいなければ、体と魂が分離して、死んでいたかもしれないと……。

神様は表情を変えることなく、真面目な顔をして続けた。

「人はな、後悔をする生き物だ。何度も何度も、あの時ああしていれば、と。違った道に進んだ時の可能性ばかりを考える」

青く澄んだ空を見つめていた。そうしている間も、願いの声は鳴り響く。

「舞、お前は今、何が辛い? 苦しい? 声に出して、私に言ってくれないか?」

そう聞くのは、私が悩んでいる内容を、わかっていないわけではないのだろう。
ただじっと、真剣な眼差しで私の目を見ていた。


「……辛い。苦しい。私には夢がない。もうすぐ大学受験なのに、やりたいことが何も無い」

私は催眠術にかかったかのように、口からボロボロと言葉を落としていく。神様の瞳の奥の世界を見つめながら、私は無意識に語っていた。

「お父さんみたいに物凄く賢いわけじゃない。お母さんみたいに、人に優しくできる人間でもない。私は…欲しかった。私にも、たった一つだけでも誰かに誇れる素敵な何かが欲しかった。
憧れてた。だからお父さんとお母さんみたいになりたいって思ってた」


自分でも考えたことの無かった感情が、言葉になって溢れ出る。私の中の、別の誰かが話しているかのようだった。

瞬きをすると、ポタポタと涙が落ちる。それでも開放された言葉たちは、止まるということを知らなかった。

「どうなるのかわからない。怖い。とりあえず賢い大学に進んでも、ついていけなかったらどうしよう。
何となくついた職場があわなかったらどうしよう。
続けられなかったらどうしよう。
老後のために約二千万円も貯金しなきゃいけないって言われている時代なのに、ほんの数歩先の未来も見えなくて怖いよ……」


ああ、知らなかった。私、本当はこんなに不安だったんだ。

自分の感情は、自分が一番わかっているつもりでも、本当はわかっていないことを初めて知った。

知らないうちに、都合の悪いことは見ないでおこうと感情に蓋をし、ストレスとなって溢れたそれは、行き場を失って自分自身を攻撃するんだ。

「怖いよな。自分の人生がどうなるかわからないのは不安だよな。それでいいんだよ、自分の感情に正直でいいんだ」

神様は目を逸らさずに優しく笑った。それから、少し前のめりになって、私の頭に手を伸ばす。

暖かい手のひらが、そっと私の髪を撫でた。

神様は魔法使いなのかもしれない。涙が滝のように流れ出て止まらなくなる。止めたいとも思わなくなっていた。

ずっと泣きたかったのかもしれない。ずっと誰かに相談したかったのかもしれない。
ずっと、この考えや気持ちは恥ずかしいものだと思い込んで、自分の中に溜め込んでいたのかもしれない。


「人は迷う生き物だ。それは我々神が、人に生を宿す時、必ずいくつもの試練を与えているからだ。それをどう乗り越えるかが、課せられているのだよ」

神様はベンチに座り直し、参拝客を眺めた。私もその視線を追い、ちらほら訪れる人々を見る。その影は、少し長くなっていた。

「どんな道に進んでも、それは決して間違っていない。それはその人にとって正しい道だ。だって、どう頑張っても過去には戻れないのだから」

そうだ。当たり前のことなのに、私たちは異様に過去に縋り付く。あの時こうしていれば、今は違ったかもしれないと、結局変わらない現状から目を逸らす。

私だって、何度もあった。数え切れないほど沢山、小さなことから大きな問題まで後悔した。
どうしようもないことに対して、悩み苦しんだ。

過去に戻れないことなんて、わかっているはずなのにわかっていなかった。


「時々、敦史のように死の道へ進むか迷っている人間もやって来る。事情はそれぞれだが、それでも死を決断するのなら、それもまたその人の正しい道なのかもしれない。
ただ、試練というものは一時的なものだ。時は必ず流れるし、その人の行動次第でどうにでも変えることができる。
その一時的な感情に支配されて、全てを終わらせてしまうのは勿体なくはないだろうか」

神様は固く拳を作っていた。きっと、今まで何人もの人々を助けてきた中で、辛かったことも何度かあったのだと思う。

でも私は、今現在その一時的な試練や感情に支配されている。多分、私以外にも、この世にはそういう人がたくさんいるはずだ。

苦しくて、脱出したいのに、どうしたらいいかわからない。同じ地点で同じ考えを延々と繰り返す辛さ。逃げてしまいたくなる気持ちはよくわかる。

「それでも、わかっていても支配されてしまうんです。終わりが、先が、未来が見えないから……」

神様は小さく「そうだな」と言って、作っていた拳を壊した。

「これはただの例えだ。死以外のことであれば、細くとも道はある。だから、どうか逃げて欲しい。逃げること自体は全く悪いことではない。むしろ、逃げ出す勇気があるのは素晴らしいことだ」


神様の思いが、どんどん自分の中に流れてきた。神様も苦しいこと、辛いこと、嫌なことがあっただろうに、自分の終わらない人生の上で、ずっと人々を支え続けている。

優しすぎるんだよ、神様……。

神様はまた私の瞳を吸い寄せた。涙と鼻水で汚れた顔なんて、見られたくないのに、それよりももっと大切なことがある気がして、話に集中した。

「舞が嫌なら避ければいい。それがお前にとって正しい道となる。ここに残ってもいい、元の世界に帰って頑張ってもいい、死を選んでも……」

最後の言葉は、「いい」とは言わなかった。神様だから、私の言うことを尊重したいと思っているけれど、本当はそんなことして欲しくない、という気持ちが痛いほど伝わってきた。

「私は……神様と離れたくない。……でも、私はこのまま立ち止まったらいけないと思う。ちゃんと向き合いたいと思う。向き合って、前に進みたい。動かないと、何も変わらないから」


これがきっと、本心だ。神様が私の心の引き出しを開けてくれた。

ああ、もうお別れなんだ。

受け入れ難い運命を、私は悟ってしまった。


「でも…まだわからない。目的地が見えないままだから」

私は自信がなかった。戻っても同じことを繰り返してしまう気がしてならない。

すると、神様は私の両手を優しく包んでくれた。

「大丈夫。思い出して。舞は、この神隠しで何を感じた?何をやりたいと思った?何が楽しかった?」

この、神隠しで……。

走馬灯のように駆け巡る思い出。
きっと、まだ数時間しかたっていないだろうに、新しい物事をたくさん見た。

喋る面白い白狐たち。

ファッションセンスがなく、言葉の通じない狐。

地獄から迷い込んだ鬼。

白い鳥居の階段と風鈴。

元人間のおじさん。

頂上で加護を授ける神様と、知らぬ間にそれを受け取っている人々。

そして…変人で子供っぽいのに、実は相手のことを一番に思いやれる優しい神様。

「全部…全部新しくて、楽しかった。
色んな生き物と話すことの楽しさとか、逆に通じないもどかしさ。
服だって、神様たちのセンスのなさは本当に面白くて、ちょっとセットをつくってあげただけであんなにも喜んでくれて、嬉しかった」


神様は目尻を垂らし、口角を上げて白い歯を見せる。
言葉にしなくても、言いたいことがわかった気がした。

『もうわかってるじゃないか』と。

私たちはそのまま立ち上がった。

休憩所のなるべく端の方へ行き、神様はそっと手を離す。

私はしゃがみ込み、神様の足元にいる白狐たちの頭を撫でた。

「左狐も右狐も、本当にありがとう。二人とも、すっごく素敵な狐なんだから、どっちが上とかないよ。さすが、神様の使いだね!」

そう言うと、照れ隠しなのか「こりゃ!犬扱いするでない!」「そうじゃそうじゃ!やっと世話係から解放されて、せいせいするわい」と話している。

でも、細い目の隙間から見える潤んだ瞳と、明らかに小さく垂れ下がった尻尾に、強がっているだけなんだとわかった。

「さあ、そろそろ帰らねば。日が暮れてしまうぞ」

私は立ち上がり、もう一度神様を見つめた。
もう二度と会えないかもしれない。だから、涙を堪えて、必死に目に焼き付けた。

「何かあれば、またこの山を登ればいい。きっと目に見えなくとも、舞に合う加護を与えてくれるはずだ。さあ、こっちだ。この道が舞にヒントをくれるだろう。ただ、それをどう捉え、そこから何を得るかはお前次第だ」

風が吹き荒れる。春のような、何かに応援されているような暖かな風。

シャランと風鈴の音が背後から聞こえ、振り返ると大きな鳥居の道が、ずっと奥まで続いていた。

「……神様!!」

風に逆らい、私は神様に手を伸ばす。神様の背中に腕を絡ませ、ついに限界を迎えた涙が溢れた。

「神様…ううん、標様…。私は…標様のことが、好きでした」

自分の感情に正直でいいんだと、標様が言ったんだ。だから、今だけは、この気持ちに蓋をしたくない。封じ込めたくない。

これで、最後(おわり)にするから────。

「私は…皆の神だ。平等に、人々導くという使命がある」

……知ってるよ、そんなこと。そういうところを、好きになってしまったんだから。

すると、そっと暖かい腕が、私の背中に回された。
ぎゅっと、力強く。
神様に心臓があるのかわからないが、自分とは違う速い鼓動が伝わってきた。

それだけで、もう十分だった。

「大丈夫、きっと舞なら何にでもなれる。どこにでも進める」

私はゆっくりと腕を離した。標様も、それに合わせるように私を解放する。

私は涙を拭い、全力で笑みを浮かべて、鳥居の並ぶ道へと走った。それでも溢れ続ける涙は、風に乗って飛んでいく。

風鈴が、私の声をかき消すように鳴っていた。

「私、頑張るから!!がむしゃらでも、もがいてでも、進み続けるから!!だからっ────」

─────見ていて。








あの日、私は外国人に起こされて目が覚めました。

私がスマートフォンで道を調べた、あの広い場所。

英語でもないその言語を、私は理解出来ず、なんとか身振り手振りで一緒に下山しました。

標様、進む道を教えて下さるとはいっても、少し厳しめにしましたよね?

あの時、すごく大変だったんですから。

でも、おかげで今の私があります。

色々な国の言語を知り、コミュニケーションを取れるようになりたくて、国際系の大学に進学しました。

やっと、何のために勉強をしているか、わかった気がします。

それに、外国人もよく訪れる有名な服屋さんで、アルバイトをするようにもなりました。

標様の喜ぶ顔が忘れられなくて、お客様に素敵な服を着て喜んでもらおうと、日々頑張っています。



来月、私は留学します。

なので、しばらく会いに来ることができないかもしれません。それに、標様との距離も、さらに遠くなってしまいます。

ですが、どうか見守っていてください。

私の選んだこの道を。



私は目を開け、手を下ろし、一礼をした。
強い風が、背後から私を押すように吹き付ける。

『チリン────』


ようやく、あの風鈴の音を心地よく感じる季節がやってきた。




【完】


主人公・舞は、四月から高校三年生になる女の子。
しかし将来の夢が無く、もうすぐやってくる受験に不安を抱え、現実逃避として気の向くままに出かけることを決意。
そうして行き着いた先は「標山」という、頂上に神社がある山だった。
ところが途中で迷子(神隠し)にあってしまう。
そこで出会ったのは、喋る狐たちと、超絶イケメンなのに子供っぽい神様。
ところが、神様には一つだけ欠点があり、その欠点を埋めるべく、商店街へ向かう一行。
商店街のあやかしたちや、ちょっとした事件、ある人との出会いで、神様の役目(道標の神様)や本当の思いなどを知る舞。
次第に神様に惹かれていくも、自分自身の気持ちに蓋をし続けていた。
そして迫る別れの時。ついに舞は神様に思いを打ち明ける。

その数年後、舞は再び標山を訪れた。
神様たちが見えない世界で、頑張っていることやその先進む道について語る。

かっこかわいい神様が、何かに悩んでいる人の心の支えになれるようなお話です。

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