昼近くになっても外は寒くて、近所の神社は地面が凍っていた。
 私は兄に遅れないように一生懸命後をつける。さすがお正月で、参拝客の多さは私を飲み込んでしまいそうだった。
 凍るような水で手を洗って、本堂の方へと足を進める。人混みに揉まれて目を回している私の腕を掴んで、背の高い兄はするすると前へと進んでいった。
 やっとのことで辿り着いたお堂の鐘を鳴らして願ったことは、毎年同じだった。
 この内気な性格が、少しでも治りますように。
 そして、大好きな「あの人」に、会いに行けますように。
 顔を上げて振り向くと、兄はまだ何か願をかけていた。私はそれが終わるのを、じっと待っていた。
「おみくじでも買っていくか?」
 兄が声を掛けてきたので、私は驚いて、慌てて首を横に振った。
 それ以後は何も話しかけてこないで、兄は方向転換して裏手の参道に出る。そちらは人がまばらで、人混みを苦手にしていた私を気に掛けてくれたのかもしれない。
 ざわめきが少ない中で、兄が雪を踏みしめる靴音と、私の呼吸音だけが耳に響いていた。白い息が規則正しく出て、少し前を歩く兄の姿をおぼろげにしていた。
 ふと兄が足を止める。それに、私はぶつかりそうになる。
「よう、村瀬」
 三人ほどの男の人たちが、兄の旧姓を呼びながら向こうから歩いてくるのが見えた。ポケットに手を突っ込んで、顔は靄が掛かったようにはっきりとしないけど、どこか嫌な笑いを含んだ声だった。
 近寄ってくる彼らに一度舌打ちをして、兄は私を振り返って小声で言う。
「表の道から先に帰ってな。美朱」
 すぐに前を向き直る兄に逆らいがたいものを感じて、私は慌てて踵を返した。
「僕に何か用か?」
 いつものように淡々と言葉を紡ぐ兄の声が聞こえる。
「お前の母親、再婚したんだってな。今のは妹か」
「違う。関係ない」
 兄はまるでそうしなければいけないかのように否定する。
「お前らとも、もう関係ない」
 ちらりと振り返った兄の背中は、いつもと雰囲気が違っていた。不快と、苛立たしさと、焦りが透けて見える。
 れ以上私はその場に留まることができなくて、逃げるようにしてそこを去った。




 その日の夜のことだった。 
 ひどく苦しげな声を聞いた気がして、私は目を覚ました。目を開けた瞬間は真っ暗で、天井さえも闇に溶けていた。
 耳も閉じられたらいいのにと思っても、こういう時はやたらと耳を澄ましてしまう。キィという蝶番の掠れる音に、私はぎくりとした。
 うるさい心臓の音をなるべく聞かないようにしながら、私は隣の部屋から出て行く静かな足音を聞いた。
 兄がトイレにでも行ったんだろう。ほっと安堵して、寝返りを打ちながら毛布を引き寄せる。
 でも目を覚ました時にきいた呻き声のようなものが頭にひっかかった。あれは確かに兄の声だった。
 冴えてきた目をベッドの脇の時計に移す。
 時刻は深夜三時。家族は全員寝静まっている時間帯だ。
 遠くで水が流れる音が聞こえる。私はするりとベッドから抜け出す。
 眩しい光を手で遮りながら、私は部屋の外へ足を踏み出した。