最初は「新入生自己紹会」という発表の場だった。新入会員全員が、銘々一曲ずつ演奏する。グループでもバンドでもソロでも形態は自由。そこで、僕は積年の秘めた野望を叶えるべく、思い切ってついに、憧れの弾き語りスタイルで歌ったのである。だが、これが散々な結果に終わってしまった。
学内のちょっとした広い講義室を借りての舞台だった。上級生や他の同級生会員たちが階段状の思い思いの席から見守る中で、舞台に立った瞬間、手足は震え、血は凍り、自爆して一瞬で退散したい気分に襲われ――自分じゃない何者かに体を支配されてしまった感じだった。それで特に、歌なんかはもう、歌ったかどうかすら定かではない壊滅的な出来栄えだった。思えば、それまで自分の部屋で一人きりでしか歌ったことがなかったのを、大人数の前で、初めてマイクに乗せて歌ったのだ。その、外に出た声、他人が聴いている自分の声を聴いて、改めて現実の残酷さを思い知らされたのだった。
まだ試したことがない、という状態が内包する「もしかしたら」の希望的側面――もしかしたら歌は行けるんじゃないか――だけにすがった根拠のない思い込みが、この時あっさりと打ち砕かれたのである。辛うじて完奏はできたものの、頭の中は真っ白で何一つ考えることが出来なかった。この時のことを思い出すと、今でも嫌な汗が出る。
ただ救いだったのは、この場での挫折感は僕だけではなく、程度の差はあれど、場慣れしていない新入り連中のほぼ全員が味わっていたことである。この会はそういう洗礼の儀式の意味合いもあり、もちろん観客の先輩達もかつては同じように通った道だったのである。
だからなのか、演奏を終えると、決してお情けではない感じの心のこもった盛大な拍手をもらえた。そのことは全く想定外で新鮮な感動だった。拙い歌でもちゃんと聴いてもらえたのである。この場の状況を差し引いても、上手い下手ではなく、そこに何が込められていたか、そのことはちゃんと伝わるというのだ。
確かに、この演奏会タイトルにまつわる話での「歌とか演奏は、何より雄弁な自己紹介になるから」という、同好会会長の言葉通りだった。不思議な事だが実際、これを機に、何だか周りの誰もが、一気に親しげに話しかけて来てくれるようになったのだ。演奏の出来映えはともかく、まだ多分に他人行儀だった新しい世界に、やっと受け入れてもらえた嬉しさがあった。同時に、歌とは恐いものだ、という実感も少々あったりしたけれど。
一方、歌の絶望的な惨状に比べて、フォークギターでの伴奏の方は、意外にもちゃんとできていたようだ。歌に気をとられてあまり自覚がなかったのが、おかげで無駄な力が入らず、その結果、ほぼいつもの練習通りの出来栄えだった気がしていた。それが幸いしたのか、歌との相対評価で実際より上手く聴こえたのか、ほどなくサークル内でギターの「仕事」の依頼がポチポチ来始めた。全く畑違いの、ヘビーメタル系バンドの助っ人サイドギターに駆り出されたこともあったりした。
学内のちょっとした広い講義室を借りての舞台だった。上級生や他の同級生会員たちが階段状の思い思いの席から見守る中で、舞台に立った瞬間、手足は震え、血は凍り、自爆して一瞬で退散したい気分に襲われ――自分じゃない何者かに体を支配されてしまった感じだった。それで特に、歌なんかはもう、歌ったかどうかすら定かではない壊滅的な出来栄えだった。思えば、それまで自分の部屋で一人きりでしか歌ったことがなかったのを、大人数の前で、初めてマイクに乗せて歌ったのだ。その、外に出た声、他人が聴いている自分の声を聴いて、改めて現実の残酷さを思い知らされたのだった。
まだ試したことがない、という状態が内包する「もしかしたら」の希望的側面――もしかしたら歌は行けるんじゃないか――だけにすがった根拠のない思い込みが、この時あっさりと打ち砕かれたのである。辛うじて完奏はできたものの、頭の中は真っ白で何一つ考えることが出来なかった。この時のことを思い出すと、今でも嫌な汗が出る。
ただ救いだったのは、この場での挫折感は僕だけではなく、程度の差はあれど、場慣れしていない新入り連中のほぼ全員が味わっていたことである。この会はそういう洗礼の儀式の意味合いもあり、もちろん観客の先輩達もかつては同じように通った道だったのである。
だからなのか、演奏を終えると、決してお情けではない感じの心のこもった盛大な拍手をもらえた。そのことは全く想定外で新鮮な感動だった。拙い歌でもちゃんと聴いてもらえたのである。この場の状況を差し引いても、上手い下手ではなく、そこに何が込められていたか、そのことはちゃんと伝わるというのだ。
確かに、この演奏会タイトルにまつわる話での「歌とか演奏は、何より雄弁な自己紹介になるから」という、同好会会長の言葉通りだった。不思議な事だが実際、これを機に、何だか周りの誰もが、一気に親しげに話しかけて来てくれるようになったのだ。演奏の出来映えはともかく、まだ多分に他人行儀だった新しい世界に、やっと受け入れてもらえた嬉しさがあった。同時に、歌とは恐いものだ、という実感も少々あったりしたけれど。
一方、歌の絶望的な惨状に比べて、フォークギターでの伴奏の方は、意外にもちゃんとできていたようだ。歌に気をとられてあまり自覚がなかったのが、おかげで無駄な力が入らず、その結果、ほぼいつもの練習通りの出来栄えだった気がしていた。それが幸いしたのか、歌との相対評価で実際より上手く聴こえたのか、ほどなくサークル内でギターの「仕事」の依頼がポチポチ来始めた。全く畑違いの、ヘビーメタル系バンドの助っ人サイドギターに駆り出されたこともあったりした。