「迷ったな」
 大森がマウンドに来て言った。
 要求したのは外角低めのストレート。
 しかし、大智が投じた球はほぼ真ん中の甘い球だった。
 バッターもそれに焦ったか、もしくは思わず力が入ったのだろうか、痛打は免れた。
 大智は何も言わなかった。
 自分自身、そのことに自覚があった。
「ま、どっちだっていいさ。どのちみちこうなる運命だったんよ、きっと。どうせだ、最後に用意されたこの最高の舞台を楽しめよ」
 大森はそれだけ言うと、大智の胸をグラブでポンポンと叩いて、自身のポジションに戻って行った。
 大森が戻ってくるのを見て、剣都は打席に入った。
 集中力が高まっているのが見ただけでもわかる。
 己に降りかかるプレッシャーと戦っている様子は微塵も感じられない。
 やられる……。
 同等かそれ以上の自信と実力がなければ忽ち飲み込まれてしまいそうな雰囲気が今の剣都にはあった。
 大森がサインを出す。
 ストレート。
 大智は思わず首を横に振ってしまった。
 だが大森はそのままストレートのサインを出し続けた。
「おおっと、どうしたんでしょう。なかなかサインが決まりません」
 大森はタイムを取ってマウンドへ向かった。
「どうした? 投げろよ、ストレート」
「ダメだ。打たれる……」
 大智は唇を噛みしめた。
 剣都か纏う強打者の雰囲気にのまれてしまっていた。
 大森は首を横に振った。
「今の剣都なら何を投げたって打たれるさ。今のあいつを抑えられとしたら、腹くくったお前の真っすぐだけだよ」
 大森は大智の胸を叩いた。
 だが、大智の顔は晴れない。
 まだ自分の力に懐疑的だった。
「なっ……」
 大智は突如、誰かに胸ぐらをつかまれた。
 腕の先を追って行くとそこにいたのは上田だった。
 こんなことをしたら……、と冷静な頭が働いて審判の様子を気にしたが、周りはチームメイトに囲まれていて、辛うじて二人の様子は見えづらくされていた。
「てめぇ、何を……」
 出し辛い声を精一杯出して言った。
「てめぇが、腑抜けた姿見せてるからだ」
 上田は大智を思いっきり睨みつけた。
 今にも襲い掛かってきそうな獣の目つきをしている。
「んだと……」
 大智も負けじと上田を睨み返した。
 流石にこれ以上はまずいと思ったのか、上田は一先ず大智の胸ぐらから手を離した。
「最後くらい、腹くくって堂々と勝負しろや!」
 上田が怒声を上げる。
 それでスイッチが入ったのか大智も怒気を交えて言い返した。
「出来るならやっとらぁ! けど、個人的な感情で皆の夢を壊すわけにはいかねぇから迷ってんだろうが!」
「ごだごだ言ってんじゃねぇ!」
「何だと!」
「んな、理屈染みた考えで今のあいつが抑えられるかよ」
「だったら無理に勝負する必要ねぇだろ。まだ塁は二つ空いてるんだ」
 大智がその言葉を発した途端、上田は言い合いを止めて一瞬黙った。
「……てめぇ。それ本気で言ってんか?」
 恐ろしく低く冷たい声。
「だったら何だよ」
「それだけはぜってぇに許さねぇからな」
「何?」
「んなことして勝ってもちっとも嬉しかねぇんだよ。相手の大黒柱から逃げて勝ったところで、後味が悪いだけで、ちっとも嬉しくねぇって言ってんだよ」
「そんなのお前の個人的な感情だろ。全部が全部、満足のいく勝ち方ができるわけじゃないだろ。時には感情を抑えても勝ちにいかなければならない時だってある」
「そんな時はねぇ」
「ある!」
「ねぇ! そんなものは逃げたやつの言い訳だ。逃げたことをただ正当化したいだけのただの言い訳だ。敵いそうにないから、勝負から逃げる? 安全策を取る? そんなことしてたら一生上には辿り着けねぇ。たかが高校の部活で逃げてたんじゃ、てめぇの将来なんてたかが知れてるぜ」
「だと、てめぇ」
「悔しかったら堂々とあいつと真っ向勝負しろ。そして、勝ってみせやがれ。グラウンドにいる奴らは皆、お前が黒田を真っすぐで抑えるのを望んでいる」
 そう言われて、大智は周りを見渡した。
 マウンドに集まっている上田以外の四人は大智を目が合うと、微笑を浮かべて頷いた。
「お前ら……」
 大智は呟くように言った。
 二年生の遠藤が一歩前に出て口を開く。
「俺らは春野さんの真っすぐに惚れてうちに入ったんです。だから、その球で勝負して敵わなかったなら諦めもつきます。だけど、それ以外の球を投げて打たれたなら、悔しくて仕方がない。俺らは信じてます。春野さんの真っすぐが負けるはずないって。皆、信じてますから」
 遠藤は同意を求めるように、他の二年生に視線を送った。
 サードの岡崎、セカンドの藤本が同意を示すように、力強く頷いた。
「……たくっ。どいつもこいつも……」
 大智は天を仰ぎ、顔を隠すように帽子を顔に寄せた。
 数秒経って許に戻り、大智はふーっと息を吐いた。
 その顔には吹っ切れた清々しい笑顔が浮かんでいた。
 目にはいつもの静かにメラメラと燃える炎が宿っていた。
 そんな大智の表情を見た上田は踵を返してポジションに戻って行った。
「世話かけやがって」
 マウンドから離れる際、そう呟き、ふっと笑みをこぼしていた。
「ありがとな、お前ら。お前らからの期待、しっかりと背負わせてもらうよ」
 大智は微笑んだ。
「後ろは任せたからな」
 大智のその言葉に、二年生の三人は笑顔を浮かべる。
「はい!」
 笑顔で返事をして、それぞれのポジションへ戻って行った。
「いい仲間を持ったよな」
 大森がしみじみと言った。
 大智もしみじみとしながら、あぁ、と返事を返した。
「コースは気にしなくていいからな」
 大森が言う。
「最高の真っすぐだ。最高の真っすぐを俺のミットに投げ込んで来い」
 大森は拳を突き出した。
 大智は微笑む。
「おう」
 二人は拳を突き合わせた。