剣都をファーストライナーに打ち取った大智は、続く五番、六番も抑え込み、七回の裏を三人で締めた。
「はぁ……」
 大智の好投の裏で監督の藤原はどういうわけかため息をついていた。
「どうしたんですか? ため息なんかついて。勝ってるんですよ、うちが。あの港東高校からリードを奪ってるんです」
 隣で紅寧が注意する。
「わかってるよ。ただな、やっぱりこういう展開になるんだなと思ってな」
 藤原はグラウンドを見つめながら、しみじみと呟くように言った。
 そんな藤原の様子を見て、紅寧も同調するようにしみじみとした様子を浮かべていた。
 紅寧は視線を落としながら、返事を返す。
「そうですね」
「どうするつもりなんだろうな、あいつ」
「さぁ……」
「さぁ、って……。いいのか? そんな他人事みたいな感じで。このままだとあいつは次も真っ向勝負しない気かもしれないぞ? いや、もしかしたら、さっきの打席が最後になる可能性だってあるんだぞ。今日のあいつのピッチングなら十分にあり得る話だ」
 言葉節々に熱が入る藤原。
 だが、聞いている紅寧は至って冷静だった。
 熱の入った藤原の言葉を聞いても全く動じる様子がない。
 一本筋の通ったブレのない佇まいだ。
「ありますよ。もう一度必ず」
 紅寧は落ち着きのあるトーンながら、力強くそう言い切った。
 目は真っすぐグラウンドを見つめている。
「どうして、そう言い切れる? もしこのまま、七、八、九を三人ずつで終えたら、黒田の目の前で試合が終わってしまうんだぞ?」
 紅寧はグラウンドから藤原に視線を向けた。
 真顔で藤原の顔を見つめる。
 少し間が空いてから、紅寧はそのまま首を傾げた。
「それはそれでいいんじゃないですか? チームとしたらそれ以上良い展開はないと思いますけど」
 それを聞いて、藤原もきょとんとした顔つきになる。
 二人は真顔のまま、また数秒間、目を合わせていた。
「そりゃそうだ」
 藤原が、納得いった、というようにポンッと一つ手を叩いた。
「……って、そうじゃないだろ。そりゃチームとしてはそうなることに越したことはないが、もしこのまま終わったら、不完全燃焼だろ?」
「チームが勝つんならそれでもいいんじゃないですか? 別に卑怯な手を使ったわけでもないですし。これまでちゃんと剣兄に対してもストライクは投げてきたわけですから」
「それは確かにそうだが、誰もあんな勝負は望んでいないだろ。誰もが春野の本気の真っすぐと黒田のフルスイングの対決を待ち望んでいたはずだ」
「そりゃ、点差が開いていたらそんな展開もあったかもしれませんけど、こんな接戦の試合でそんな個人的な感情を含んだ勝負、許されるはずがないのでは?」
「そうだな。黒田の言う通り、勝敗に直結する場面で、個人的な感情や観客の期待なんかを優先させるべきじゃあないな。高校野球はあくまで部活動、教育の一環だしな」
「そうです。わかってるなら、何であえてそんなことを口にしたんですか?」
「それはな……、いるんだよ、世の中には。そういうまどろっこしいもの全てを撥ね退けて、力と力の勝負が許される奴らっていうのが、稀に。そいつらは勝ち負けや教育なんかより大切な何かを教えてくれるんだ」
「大切な……何か?」
「あぁ。どう感じるかは人によって違うと思うが、一つ言えるのは『火種』だ」
「火種?」
「そうだ。『火種』だ。本物同士の力と力のぶつかり合いってのはそれだけで人の心を動かすことができる。レベルの高いパフォーマンスは人の心に火を点け、燃やし、感動させる。見た人に、自分もあんな風になりたい、という憧れの火を灯す。自分も負けていられない、と情熱の火を灯す。昔を思い出し、もう一度頑張ってみようと、消えかけていた火を助ける。そんな風に人々の心に火を灯す火種になれるんだ。だから、俺はもう一度黒田に打席が回って欲しい。あいつらに理屈抜きで力と力でぶつかって欲しいんだ」
「……監督の想いは十分わかりました。大丈夫。絶対にもう一度ありますよ」
 紅寧は再びそう言い切った。
「大丈夫って……。だから、どうしてそう言い切れる? 根拠はあるのか?」
「ないですよ。根拠なんて全く。ただの勘です」
「勘……」
「そう。勘です。幼馴染としての勘。兄たちの戦いがこのまま終わるはずがない。私はそう信じてます。それにきっと見たいはずですから」
「誰が?」
「神様。野球の神様です!」
 紅寧は笑顔を見せた。
「……そうだな」
 藤原はふっとした笑みを浮かべていた。


 試合は八回の表。
 先の回、失点した後、強気のピッチングで押して来ていた関口だったが、この回はまた元の相手のバットをかわすピッチングスタイルに戻っていた。
 八番から始まる千町高校は関口の前に三者凡退。
 七回の荒々しかったピッチングが嘘のように、この回は落ち着いたピッチングを見せた。
 対する大智も八回の裏、七番から始まる港東高校打線を三者凡退に抑えた。
 疲れから細かいコントロールは付かなくなっていたが、その分、球威が増しているようだった。
 さあ、いよいよ試合は九回、最終回へと突入する。