ボールがミットに収まり、晴港スタンドからは拍手が送られた。
 千町高校七番林のホームランの後、晴港高校のピッチャー多村は八番の藤本を内野ゴロ、九番の木下を三振に切って取った。
 ホームランの後、山崎が一早く声を掛けた効果か、見事な立ち直りだった。
 これまで気持ちを露にすることのなかった多村だったが、この時ばかりは気持ちが入ったのか、木下を三振に取り、八回の裏の守りを終えた際には、拳を握って小さくガッツポーズをしていた。
 同点のまま、試合は最終回へ。
 明日の決勝のことを考えれば、どちらのチームも延長戦は避けたいところ。
 特に、港東と対等に渡り合えるピッチャーが大智しかいない千町としては、なんとしてでもこの回で試合を終わらせたいところだ。
 その為にも失点は何としてでも阻止しなければならない。
 だが運悪くこの回は四番の山崎から。
 そして、六番の多村にも打順が回る。
 恐らく、先ほどのホームランのことを気にして、次の打席では必死になって向かってくるだろう。
 ベンチに戻った多村は既にバッティングの準備をしてマウンドの大智を睨みつけていた。
 まるで獲物を狙っている獣のような目つき。
 静かだが、いつでも襲い掛かれる準備ができていそうな雰囲気だ。
 とは言え、まずはこの回先頭の四番山崎だ。
 山崎もキャッチャーとして、同点にされた責任を感じているに違いない。
 バッターボックスに入った山崎の目つきはこれまで以上に鋭かった。
 これまでは鋭い目つきの中にもどこか余裕があるように感じられていたが、今の山崎にはそんな気配は微塵もない。
 真剣そのもので集中しているのが伝わって来る。
 中途半端な球は一瞬で仕留められる。
 バッターボックスに立つ山崎からはそんなプレッシャーを感じていた。
「上等だ……」
 投球モーションに入りながら大智は呟いた。
 その瞳は闘志に満ちている。
 相手に真っ向から向かって行こうとする姿勢。
 しかもそれを楽しんでいる様子だ。
 大智は山崎に対して初球、ストレートを投げ込んだ。
「ストライク!」
 審判の右手が上がる。
 スタンドからはどよめきが上がっていた。
 大智の指に弾かれ強烈なスピンがかかったボールは、山崎のバットの上を通り大森のミットに収まった。
 この日一番と言ってもいいようなストレート。
 対して、山崎もフルスイング。
 二人の力と力のぶつかり合いに、球場はどよめいていた。
 二球目。
 ストレートを続ける。
 山崎は迷わず打ちに来た。
 バットがボールを捉える。
 が、ボールは前に飛ばず、後ろのバックネットを揺らした。
 大智の球が山崎を押している。
 山崎はバッターボックスで悔しそうにしていた。
 とはいえ、一球でズレを修正してくるあたり、流石は山崎だ。
 少しの油断もできない。
 三球目。
 ストライクゾーンのストレート。
 千町バッテリーは三球勝負を選択した。
 大智が投げた球はうねりを上げながら大森のミット目がけて真っすぐ進んでいる。
 山崎がスイングに行く。
 バンッ。
 大森のミットが……乾いた革の音を上げた。
「ストライク! バッターアウト!」
 審判の右手が上がる。
「しゃあ!」
 大智は吠えた。
 ノビ、スピード共に間違いなくこの日一番のストレートだった。
 スイングを終えた山崎は唖然とした様子で固まっていた。

「ストライク! バッターアウト!」
 空振り三振に倒れた六番の多村は、悔しさのあまり思わずバットを叩きつけそうになったが、ギリギリのところで何とか堪えた。
 三者連続三振。
 九回表、先頭の山崎を三振に取った大智は、続く五番の平岡、六番の多村からも三振を奪い、この回を連続三振で切って取った。
 しかもそのほとんどの球がストレート。
 そのあまりにも圧巻なピチングに、大森はボールを受けながら身震いをさせていた。
 九回の裏、千町高校の攻撃は一番の難波から始まる。
 マウンド上には多村に代わり、エースの井野が立っていた。
 井野は多村と違い安定感が持ち味の選手。
 本来は先発で試合を作ることの方が得意なのだろうが、多村に疲労の色が見えていた以上、ここは交代が賢明な判断だろう。
 井野は多村のように手も足も出なくなるようなタイプのピッチャーではない。
 少なからずバットには当てていける。
 注意しなければならないのは変幻自在に操ってくる緩急に惑わされて、打たされないようにすることだ。
 コツッ。
 この回先頭の難波が見事に泳がされ、ボテボテの内野ゴロを打たされていた。
「おーい……」
 絵に描いたように相手の思い通りになっている難波を大智は苦笑いで見ていた。
「おい、春野」
 ネクストに向かおうとしていた大智は後ろから声をかけられた。
 振り返ると、上田の姿があった。
「ん?」
「この回で決めるぞ」
 上田は力強い眼差しを大智に向けていた。
 その眼差しを見て大智は悟った。
 俺が返してやるから俺まで回せ、ということだ。
「あぁ」
 大智は振り返していた体を戻しながら、ヘルメットを整え、口元をニヤリとさせて、ベンチを出た。
 二番の遠藤は狙い球を絞っていたようだが、キャッチャーの山崎に読まれてしまったのか、二ストライクまで手が出せなかった。
 二ストライクと追い込まれてからは何とかファールで粘っていたが、最後はストレートに詰まって内野フライに倒れた。
 大智が打席に向かう。
 バッターボックスの前でゆっくりと一度深呼吸をしてから打席に入った。
 初球。
 キィーン。
 球場に金属音が鳴り響いた。
 その瞬間、一瞬だけ、賑やかだった球場が静まった。
 だがすぐに歓声に変わった。
 大智の打った打球は、スタンドに飛び込んだ。
 大歓声の中、大智がダイヤモンドを回る。
 ホームには千町ナインが集まっていた。
 大智がホームに還って来る。
 集まったチームメイトの先頭には上田が立っていた。
 大智がホームを踏む。
「この回で決めるってのは俺が決めるって意味だったんだがな」
 上田はわざとらしくムスッとして見せながら右手を顔の横に掲げた。
 それを見て大智はふっと笑った。
 パチン。
 二人はハイタッチを交わし、静かに笑っていた。