「いいよ、いいよ、その調子。いいペースで来てるよ~」
 走っている大智の後ろを自転車で追いかけながら紅寧が声をかける。
「あれ? 紅寧?」
 するとそこに剣都が自転車に乗って、やって来た。
「何でお前が自転車で帰ってるんだ? てか、その自転車誰の?」
 剣都から質問を受けた紅寧は前を走る大智を指差した。
「大智!? 何であいつ走って帰ってんだ?」
「二期連続甲子園出場中の港東を倒す為。そして、剣兄に勝つ為。決まってるでしょ」
 紅寧は冷たく返す。
「邪魔しないでよ!」
 紅寧は急に後ろに振り返ると、一瞬、剣都を睨んだ。
「わかってるよ。んな怖い顔すんなって」
 剣都はそのまま、紅寧の後ろを付いて行った。

「だぁ~。着いた~!」
 ゴール地点にしている黒田家の前に着く。
 大智はアスファルトの上に、仰向けに倒れ込んだ。
「お疲れ様」
 紅寧は仰向けになっている大智の顔を上から覗き込み、飲み物を渡した。
「タイムは?」
 大智にそう訊かれ、紅寧は持っていたストップウォッチを大智に見せた。
「はい。記録更新だよ」
 紅寧はニコッと笑った。
「しゃあ~!」
 大智は寝っ転がったままガッツポーズをする。
 が、次の瞬間、急に真顔になった。
「いやいやいや。俺は長距離選手か。箱根目指しとんとちゃうぞ」
「あっ、いいね、それ。甲子園の次は箱根目指しちゃう? 甲子園優勝投手が箱根に出場。そしてプロ野球の世界へ。夢があるわ~」
「いやいや。流石にそれは無理だろ……。漫画や小説じゃあるまいし」
「何言ってんの、大兄?」
「あん?」
「小説でしょ? これ」
 それを聞いて、大智はポンッと一つ手を叩いた。
「そう言えばそうだったな。んじゃあ、何でも有りか」
「うん、うん」
 紅寧が頷く。
 いや、ダメでしょ……。
「随分と絞られてるみたいだな、大智」
 自転車を停めた剣都が二人の許へやって来て、声をかけた。
「あん?」
 大智の顔が剣都へと向く。
「剣都? 何でお前がいるんだ?」
「やっぱり気がついてなかったか。俺も途中からずっと後ろ付いて来てたんだぜ」
「そうだったんか? 後ろなんて気にしてる余裕なかったからな」
 そう言っている間に大智は腰を上げていた。
「だろうな。いい走りだったぜ」
「別に、お前に走りを褒められたところで嬉しくねぇよ。お前とは足の速さを競ってんじゃねぇんだしな」
 大智は立ち上がる。
「まぁ、そう言うなよ。素直に褒めてんだから。もう、長距離だけは大智に敵わねぇかもな」
「長距離だけは?」
 大智が剣都を睨む。
「あぁ。だけは、だ」
 剣都も大智を睨み返した。
「野球も。でしょ?」
 紅寧が睨み合う二人の横から声をかける。
 紅寧の目は剣都をキッと睨んでいた。
「いや、野球だけは絶対に負けるわけにはいかねぇなぁ。例え、他のこと全てで負けたとしてもな」
「そっくりそのまま返すぜ」
 大智と剣都が再び睨み合う。
 しばらく睨み合いの時間が続いた。
「ま、これ以上ここで口喧嘩してもしょうがねぇ。この先はグラウンドでだ」
 先に剣都が動いて、言った。
「あぁ」
 大智はふっと口元を笑わせていた。
「さて。んじゃあ、俺も練習するかな」
 剣都はそう言って玄関の中からバットを持って来た。
 そして、そのまま自宅の庭で素振りを始めた。
 大智と紅寧は近くでストレッチをしながらその様子を見ている。
 剣都のバットが風を切る。
 惚れ惚れする美しいフォームだ。
「たくっ。この距離でまじまじと見せつけられると、恐ろしくてしょうがねぇな」
 剣都のスイングを見ながら大智が呟く。
「ほんと憎たらしい音。増々、嫌いになっちゃう」
 紅寧は顔を顰めていた。
「何でだよ!」
 紅寧の一言に剣都が反応する。
「何でって、そりゃあ、今、剣兄は私達の敵だもん。こんなスイングするバッター、嫌でしょうがないもん」
「お前には頑張っている兄貴を応援しようという気持ちはないんか」
「ない」
 真顔で言う紅寧。
「そんなきっぱりと……」
 そんな妹の一言に剣都は肩を落とした。
「相変わらずお前は妹に弱ぇな」
 大智が言う。
 それを聞いて、剣都ははぁと息を吐いてから話し始めた。
「何でこうなっちまったかなぁ」
 剣都は腕を組んで考える。
「あ~。やっぱ、あれか? 大智に懐いちまったせいか?」
「おいおい。人のせいかよ」
「いや、そういうわけじゃねぇけど、関係なくはないだろ? 紅寧はずっとお前のことが好きなわけだし、俺はずっとお前をコテンパンにしきたわけだしな」
「ちょ、ちょっと剣兄!」
 紅寧が慌てた様子で声を上げる。
「あん? どうした? 何、恥ずかしがってんだ?」
「べ、別に。恥ずかしがってなんか……」
「じゃあ、何、慌ててんだ? そうだろ? お前、昔からずっと大智のことが好きじゃねぇか」
「それは……。そう、だけど。そうじゃない……」
 小声で呟いて、紅寧は一度黙る。
「帰る」
 紅寧は呟くようにそう言うと、足早に家の中へと入って行ってしまった。
「お、おい。紅寧?」
 剣都は紅寧が入って行った玄関のドアを呆然と見つめていた。